本当にあった?化けアナグマ伝説「天下ババア」の昔話

自然豊かな水原に伝わる昔話「天下ババア」をご存じでしょうか。

大昔、天下ババアと呼ばれる高貴な老婆が代官を使い江戸の将軍様に会いに行こうとしますが、その道中不審なことが次から次へ・・・ついにはアナグマが老婆に化けていたことがばれ、その後、山の地名や風習になったというお話。

ここまでだと「お風呂にはいれて人間っていいな♪」な昔話ですが、この天下ババアが住んでいたという岩穴が実際にあるのです(ページ最後に写真を載せました)。岩穴の写真を見ていると急にやってくるリアル感・・・

 

水原の自然を守る会のブログにて紹介されているお話をご紹介いたします。

 

水原の自然を守る会のブログ「水原に古来伝わる“天下ババァ”のお話」(別サイトに移動します)

 

※物語に出てくる貉(ムジナ)とは主にアナグマの別称ですが、広くはタヌキやハクビシンなどの小型哺乳類の俗称でもあるようです。ちなみに「同じ穴のムジナ」はアナグマが地面に掘った穴(巣)にタヌキも住み着くことからきているとか。

※水原の自然を守る会のブログでは、クマガイソウ群生地から伝説の岩穴へ行く様子が紹介されていますが、群生地は里まつり開催時のみ一般開放しているため普段は立ち入り禁止です(里まつり期間中でも岩穴へのルートは無断での立ち入りは禁止です)。

※文中の( )は担当者が入れた注釈です。

 

 ~水原に残る天下婆の伝説~

 延宝年間1673~1681年国領半兵衛様福島代官としてこの地を治めていたころ、羽山の西の谷の絶壁の洞窟に十二単衣という高貴な衣装を着た気品のある老婆が住んでいた。村人は、天下婆様と崇め奉り色々なものを運んで献上した。

 ある時、石倉の狩人に頼んで名主に会いたいと言って、名主金左エ門の家まで案内して貰った。名主は、老婆を丁重にもてなした。そこで、天下の印を見せて信用させ福島の代官所まで案内させ面会を求めた。

 代官国領半兵衛は不思議に思いながらも天下を治める印を持っているというので面会したところ本物に違いないので座敷に上げて色々とお話をしたところ、老婆は、「わたしは、鎌倉幕府を築いた(源)頼朝公(1147~1199)に仕えた女官(推定500歳?)で、それで天下の印を持っているのです。今度江戸へ出て将軍家にお会いしたいのでよろしく頼む」といわれ、それでは…と馬や駕(おそらく駕籠(かご)のこと)など準備させようとしたら、老婆が申すには「わたしは生まれつき馬や駕が嫌い」だと。なので、(引き戸に使うような)戸板の四つ角に細引(細い縄)を通して(動物を閉じ込める檻のような形の駕籠ではなくオープンな駕籠を作って)人足(力仕事がお仕事の人)八人でこれをかつがせ、十人は犬払いを専門に行列を仕立て、各宿場 伝馬人足(馬と人の手配をする人)は、先々の宿場にその旨を伝達して天下婆様の接待に疎漏のないようにと厳命がくだされた。中でも犬に対する配慮は特別なもので、八丁(873m)以内には犬を置かぬようにと徹底したものだった。

 こうして天下婆の行列は沿道の農民や町民の驚異の目に迎えられながら白川(今の白河市?)の宿に到着した。ここで長途の旅のほこりを落とすため特設の風呂が準備された。ところが、村役人の中に心きいたる(観察眼が鋭い)ものがいて、あまりの犬ぎらいに不審を抱き、囲いの隙間からのぞいたところ身の丈一丈(三メートル)もある貉(ムジナ)が巨大な尾を風呂に入れて、ピシャリ・ピシャリと音を立てていた(ムジナはお風呂が嫌いなので入浴しているような音だけ出していた)。

 びっくり仰天した村役人はころがるようにして上司に報告した。上司は早速村中の犬を集め、そのうちでも一番強い三吉という犬(おそらく銀牙 流れ星 銀のような犬)を座敷に入れ、多くの人足(力仕事がお仕事の人)で外を固めた。

 双方、物凄い唸り声と共に噛み合い 三吉が老婆に食いついたので、貉(ムジナ)が天地振動する程の大声をあげ、三吉も危うく見えたので強そうな犬十匹を加勢に入れたところ、貉(ムジナ)の目は日月の如く光り貉(ムジナ)は苦しくなりあたりかまわず喰いちぎりあばれまわったが、(周りにいた人たちが)三吉、貉(ムジナ)に負けるなと声をかけたところ三吉は婆の吭(のど)にくいついたため、貉(ムジナ)はついに死んでしまった。それでも人の目には婆さんの姿にみえたという。明朝太陽の光が座敷に差し込むと大貉(ムジナ)の姿になったので人々は肝を潰した(とてもびっくりした)という。

 早速、白河地頭(領主)に報告し、江戸表(表は~~の方の意味)へ早飛脚(特別に早い飛脚で夜も走ったとか)をもって報告し裁断をお願いした。ところが、白河の宿場でこの事件に関わった村役人たちは、家族まで奇病にかかりすべて死に絶えたという。これは貉(ムジナ)のたたりだというので多勢の僧侶を集めて貉(ムジナ)を供養し、貉(ムジナ)大明神を建立したのでその後は何事もなく暮らすことができたという。

 この事件があってから水原では結婚式で花嫁が婚家に到着すると、部落の若衆の代表が花嫁衣装のまま背負い、豆の木を燃やした火をまたいで、尻尾のないのを確かめる風習が文明開花の明治になってからも儀式として昭和40年代まで続いた。そして、羽山の北側一帯を鎌倉山と呼んでいるのは鎌倉幕府に仕えたという貉(ムジナ)の話からこのような字名になったと思われます。貉(ムジナ)が名付けた地名です。

羽山の西の谷の絶壁とはここでしょうか?
そしてこれが天下ババアが住んでいたという岩穴。妙な生々しさを感じます。
中を確認する皆さま。見てはいけない何かがいましたか?