幕末小説 仙台藩始末「敗軍の将、」

松川町水原の小説家 丹野 彬(たんの あきら)様の作品 幕末小説 仙台藩始末「敗軍の将、」をご紹介いたします。

丹野 彬 様の作品は、膨大な資料に基づいた時代考証と登場人物の巧みな心理描写をもとに壮大な世界観を紡ぎだします。ぜひご覧ください。

 小説家 丹野 彬 作品集

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幕末小説 仙台藩始末
敗軍の将、
丹野 彬


     一

慶応四年(一八六八)正月。南天の実も凍りつくような寒い朝、文七郎はいつもより早い時刻に仙台城にむかった。前を行く役人の姿はまばらでさっさと追い越して来た。
誰もいない御用部屋の火鉢に手をかざすと、昨日の残り火に癒される気分であった。やがて、炭火が足されて部屋の中が温んだころ、執務部屋の役人方が喧しく席についた。
緊張はみられず、太平な世の中であった。
しばらくすると、伊達一門の当主たちが御用部屋の上間に居座り、尻目に文七郎をみても気遣う素振りもない。藩主の上洛について、あれこれと論じたが、結局、戦のない太平の世になれて、京の状勢など知る由もない彼らである。結論らしいものが出る気配がなかった。
近習が文七郎のかたわらに膝をついて目礼する。文七郎は緊張の面持ちで座を立った。昨夜、藩主慶邦公からお呼びがかかっていたのである。
遠藤文七郎は、十九歳で家督をつぎ、仙台藩家老職についた。きりりと引き締まった顔立ちで、三十二歳の物怖じしない態度が藩主に見込まれ、藩命として諸国漫遊を許されていた。伊達一門より情勢判断には長けている。
御座所で文七郎が平伏すると、藩主は近習をとおざけて、手招きをした。
「京の前関白、近衛忠凞公から書簡が届いている。佐幕傾倒の藩士は、京入りさせてはならぬ、と言うことだ。何を言いたいのであろうか」
京の状勢はめまぐるしく変わっている。文七郎に即答はできなかった。
「これまで、京では朝廷と長州との戦、大政奉還。それから、新年早々の鳥羽伏見の戦など、政権争いが続いています。近衛公は、帝を援けよ、ということではございませんか」
「徳川擁護ばかりが京入りしては、行く先を見誤ることもあるだろう、偵察して、随時、情報を報せよ」
「御意のとおりに」
慶邦は、持病の脚気をわずらっているせいか、すぐれない面持ちだった。こうして文七郎は直々の密名をうけた。

遠藤文七郎は、仙台藩家老、遠藤大蔵の長男として仙台城下片平町に生まれた。仙台藩校の養賢堂で、皇室尊崇を説いた水戸学の朱子学を学んだ。己れが正義と思うならそれを行動で示す、この教えを実践している。領地は栗原郡川口だが、住居は城下の片平町にあった。京までは長旅になろう、老父母も妻も心得ているはずだ。玄関先で妻の差し出す手燭の灯りで草鞋を履いた。家族に見送られながら、密かに屋敷をでると、城下はまだ眠りから覚めずにひっそりとしている。底冷えがする夜明けだった。
奥州街道を江戸に向かった。江戸から東海道を歩む。
先ずは正月三日の鳥羽伏見の戦の跡をたずねた。民家も耕地も樹木も砲弾で焼けただれて、武具の破片が散乱していた。戦災にまきこまれた地元の民衆は、掘っ立て小屋に寝起きをしている。訊ねると、戦死者はしばらく放置されていたが、地元の民衆がみかねて、近くの寺院にはこんで埋葬したらしい。
夕暮れになると、ぼろをまとった残兵にでくわした。足を引きずって怪我をしているようすだ。哀れみをかけると、膝立ちで両手を差し出して物乞いをする。幕府軍の兵と名乗った。いまだに残兵がさまようのは、幕府の権威が失墜したからだろう。日本国が生まれ変われば、諸外国の文物を取り入れて、よき国になる、心が浮き立つ思いだった。
文七郎は、途中、京の寺町に入って、ある寺の辻で足をとめた。付かず離れず影のようについてきた法印坊が文七郎の背後によった。
法印坊は萩野良完と言い、以前は長州萩の東光寺の僧侶だった。いまは仙台の大年寺の役僧となり、天皇崇拝の志は文七郎と同じくして、仙台では、神官,僧侶たちをたばねている。文七郎の手足になる、と言って京までついてきたのである。
「まず、諸藩の動きを」
「御意」
これから法印坊は宿坊を逗留にする。
法印坊が辻を曲がるのを見届けて、文七郎は京の仙台伊達屋敷に向かった。

     二 

京の仙台伊達屋敷をでると、空っ風が吹いて、思わず足がすくんだ。下長者町通りを挟んで、道の向かいは京都守護職邸になる。守護職邸には石橋を設えた門があり、以前は会津藩が栄華を極めた場所であったが、鳥羽伏見の戦の後は、他藩の藩士が我が物顔で出入りしている。京の町は、今こそが書き入れ時とばかりに、商人たちが忙しく走りまわり、仕官を求める浪人がうろついている。
守護職邸の辻を北に向かう。この通りも塀をめぐらした武家屋敷になる。塀を越えた古木の寒梅の、かぐわしい香りも花びらも、すっかり風が散らしていた。
途中には、ひときわ威厳に満ちた水戸徳川屋敷がある。桜田御門の変で、井伊直弼が水戸藩の刺客に遭って政変が起きた。水戸藩とて関わりが薄いわけではなかろう。屋敷の門を固く閉ざして、天下の雲行きを窺っているようだ。御所の蛤御門に入ると、『蛤御門の変』の弾痕のあとも生々しい。先は禁裏御所の南門になる。
呼び出しを受けたのは、禁裏御所の清涼殿、太政官たちが勤める仮建所である。振り向くと、仙台藩宿老、但木土佐が背を丸めた姿でついてくる。五十四歳の京勤めは酷なようすだ。
「但木さま、急ぎましょう」
「やかましい。なにも、急ぐこともあるまい」
足を止めた。両手を腰にそえて、わざとらしく呻きながら腰をのばした。気性は強い方である。
「そうですとも、急いては事を仕損じます。仙台藩の威厳を示すには、遅いほうがよいのです」
後ろから、大童信太夫が但木の後押しをした。
文七郎が仙台屋敷に着任すると同時に、但木は、江戸伊達屋敷留守居役、大童信太夫をよびよせた。大童は、但木の側近ともいわれて、やり手と評判の三十七歳。江戸勤務のせいか、佐幕傾倒で、尊王派の文七郎とは反りが合わなかった。
遅いがよい、とは呆れる。仙台藩はすべてがこんなふうだから、諸藩に遅れをとるのだ。重い荷を引きずる思いだった。
禁裏御門の門前に、但木と大童が遅れて立った。
「やれやれ」
但木は、庭園などをぐるりと見回すと、大童を従えて、まるでわが屋敷のように、清涼殿に上がった。取り次ぎに案内されて、清涼殿に隣接する公卿の間に入った。  
公卿の間は、参内する公家の控えの間で、虎の間(公卿の間)、鶴の間(殿上人の間)桜の間(諸大夫の間)からなり畳が敷かれてある。そこのいちばん手前の板敷きの間が、仮建所に充てられていた。
但木を筆頭に、文七郎と大童が膝を正して、仮建所の板敷きに平伏した。上座に、公卿岩倉具視、薩摩藩西郷吉之助、長州藩木戸孝允、土佐藩板垣退助、肥前藩大隈重信ら、にわか太政官が勢揃いしている。上座に徳川慶喜公が見えないのは、天狗の鼻が削げたようで異様だった。
但木は、ひととおりの挨拶をのべると、言葉をつまらせた。慶邦公の代理で身が細る思いなのだろう。
ひときわ抜きんでた岩倉が、はたと、膝頭を叩いて、但木を声高に叱った。
「今もって、伊達慶邦公が見えないのはどないしたことや。仙台どのは朝廷の御沙汰を何と心得る」
「この季節、奥羽の山河は凍てついて、思うにまかせませぬ。すこしの間の、ご猶予を賜わりとう存じます」
「それは、先日に聞きました。もはや、猶予はなりまへん」
岩倉は嵩にかかった。
「すでに、徳川征討大総督、参謀、それに奥羽鎮撫使の総督、参謀まで決まっているのに、これ以上は待てまへん」
「ただいま、何と申されました。奥羽鎮撫使の役職ですと」
但木は背筋をのばして、別人の様相をみせた。
「仙台は、加賀、薩摩、紀州、長州と五指に余る雄藩でございます。わが藩にことわりもなく、奥羽鎮撫使の役職までも定めるとは、あまりにもわが藩を愚弄しているのではありませんか」
「仙台を雄藩と申されたか。確かにそのとおりでござる」
鳥羽伏見の戦に仙台は参戦しなかった。そのことを嗤う太政官の目前で、但木は言い訳を述べたいのだろう。
「正月三日の事件でも、まず、発砲したのは薩長どのであり、錦旗を掲げて朝廷の軍隊と示したのは、第二日目にあたる。この理不尽で、徳川を朝敵とするのは納得いたしかねます」
慶応四年正月三日。徳川軍は、会津、桑名の兵を先鋒に、一万五千兵の隊列を組んで大坂をたち、鳥羽と伏見の両道をすすんだ。
徳川軍が伏見の関に到着して、開関をもとめると、薩長兵が応対にでて足止めされた。会津兵、桑名兵は長蛇の列で立ち往生。小休止の伝令がはしり、道のそばに腰をすえていると、突然、長州の参謀が号令を発し、会津と桑名を攻撃して、世に言う鳥羽伏見の戦いとなった。
但木は、徳川幇助のいい機会だと思ったのだろうが、この場で太政官に迫って何になろう。文七郎は但木の袖を引きたい思いだった。
「よく聞かれよ。徳川慶喜公の上洛には、会津藩、桑名藩を帰藩させて、軽装にて謁見するよう申し渡してあった。それがどうしたことか、会津、桑名の兵を先頭に、総勢一万人の隊列で、関を開けろと、戦を仕掛けたのは徳川どのではなかったか」
長州の木戸孝允が冷静に切り替えした。
「先ず、発砲したのは長州の参謀どの」
但木が身を乗り出した。
「そうせざるところまで追い詰めたのは、幕府軍ではなかったか。あげくに、慶喜公は徳川軍を見放して、側近と大阪城に退避してしまった。それで、徳川の兵は戦意を失ってしまったのだろう」
太政官たちは口元で嗤った。
但木は返す言葉を失ったようだ。太政官を相手に論ずるほどの若さも知恵もなかった。
大童が口をだした。大童は、藩主に断りもなく慶喜公に謁見して、忠誠を誓った、と自負している。
「言い掛かりかと存じます。慶喜公を賊軍とするのは納得が参りませぬ。慶喜公の帝への赤心は偽りなければこそ、不意の錦の旗に、戦意が失せたものと存じます」
慌てた岩倉が、目顔で西郷吉之助を促した。
西郷の重い口が開いた。
「仙台どの、何を迷ってごわす。朝廷は、上洛した藩主の意見を聞いて、新国家を創るのでごわす。鳥羽伏見でも、おいどんたちは犠牲を払って、賊軍に勝利した。まさか、仙台どのは朝廷に不服があるのではあるまい」
意味ありげに、じろりと眼をむいた。
蛤御門の戦いのとき、仙台藩は御所の下立売御門を警護していた。五十人足らずの兵力では戦にもならず、長州軍は会津藩の警護する蛤御門に進んで交戦した。仙台藩は鳥羽伏見の戦いも不参加、いわゆる様子見だった。そして、再三の要請にも藩主は上洛しない。言い合いは仙台の立場を悪くするばかりだった。
「わが藩主が江戸に出府した際、慶喜公に江戸の警護を命ぜられたことがございました。しかし、わが藩主は体調不良を理由に、七日たらずで帰国しております。藩主は、慶喜公ひと藩の援助は好みませんし、武力で国を治めるのも好みません。伊達正宗公以来、天皇崇拝に変りはございません」
文七郎は板敷きを膝行して、慶邦公の正当を必死に述べた。
太政官たちの気迫は尋常ではなかった。岩倉はじめ、これまで冷遇された三十石公卿の若手が、『一新紀元を画す』と生命を賭けているらしい。その熱意が薩長をはじめ、諸藩を動かしているとも聞いている。
すでに御沙汰書は膳立てされていた。仙台藩主の名代として、宿老但木が御沙汰書を拝受したのである。 

 京仙台屋敷の奥の間で、但木は御沙汰書を無造作に開封した。目をとおして、御沙汰書を捲る手が震いている。顔色も失せている。
「これは、あまりにも恐れ多い文言」
毒蛇でも放るかのように御沙汰書を手ばなした。
不吉な予感にたまりかねて、文七郎が声を上げた。
「如何なされました」
但木に聞く耳は持たなかった。
「これ、灯りを」
京屋敷留守居役の遠藤小三郎が、膝行して燭台をよせた。
御沙汰書をつまむように拾い上げて、但木は虚ろな眼差しだった。
「但木さま」
大童の大きな声で、但木は正気に戻ったようだ。
「西郷の有無を言わせぬ肥肉な体躯。傍らの岩倉はじめ、他の太政官の勿体ぶった態度、すべてが腹にすえかねる。本来なら、わしの姿も太政官の座にあって然り」
但木が口元を引きつらせた。
大童が御沙汰書を手に取った。
「先日まで、幕府に忠義をつくしたわが藩である。同じ思いで幕府をささえた会津に、焼き印を押せるものか」
「これは、やはり、朝廷に居座って、太政官をかたる獣たちの謀り事じゃ」
但木と大童は憤懣をあらわにした。
文七郎が御沙汰書をめくった。
会津藩は幕府に与して、錦旗に向けて発砲し、朝廷に逆らった。よって、貴藩一手をもって会津藩を征伐せよ、これは仙台藩の出願によるもの、との内容である。
「他藩の重臣が朝廷を仕切っても、朝廷の御沙汰にかわりはありません。会津を血に染めるも、無傷で降伏するも、すべて、会津藩の感ずるところ、仙台の及ぶところではございません」
「なんじゃと。文七郎ほど、情け知らずはおらん」
但木が顎をしゃくった。
「それより、仙台の出願とは、これは腑に落ちませぬ」
文七郎が但木の目に探りを入れた。
蛤御門の変の戦いに、仙台藩は御所の下売立門を警護していた。仙台藩は兵数も少なく、相手の長州軍とは戦にもならずに突破された恥がある。
但木は藩主の代理として十二月の一日に京に到着して、京にもなれてくると、鳥羽伏見、下売立門の恥を払拭するために、諸藩との雑談のなかに大見得を演じて、仙台雄藩と高を括っていたとも思える。
一瞬、但木が顔をそむけた。
「これが事実とすれば、わが藩のうつけが、公卿らと酒を飲み交わしたとき、酒の勢いで口走ったのではないのか。それを聞き取った西郷や岩倉あたりが奇策を企んだのだ。西郷ならやりかねん」
「うつけとは、誰のことでございますか」
「黙らっしゃい、若造のくせに。おお、そうか、そうだったのか。文七郎は公卿屋敷の出入りもおおく、法螺を吹いたか。お屋形さまに、詭弁を弄して、気に食わぬやつじゃ」
「嫌疑は滑稽に存じます」
但木はこの期に及んで、朝廷の批判に終始している。文七郎は、呆れて睨みかえした。
「ご家老、怒るばかりでは解決になりません。それに、奥羽の雄藩と見得を切れば、それならやってみろ、と太政官たちの思う壺です。舌は身を斬る刀になります」
大童が但木を戒めた。因循姑息な但木の側近といえども、大童はやはり逸物の人物であった。
「どうすればよいのだ、大童」
但木は禿頭を垂れた。
藩主が上洛して、太政官と面会すれば、すべてが穏便におさまるのだが見通しはたたない。音沙汰がないのは、安穏に暮らしている伊達一門の意見が藩主を惑わしているからだろう。
「朝廷の手を汚さずに会津藩を倒すとは、これは歴とした兵法なのです。朝廷の作戦に乗じてはなりません」
文七郎は朝廷に脅威を感じていた。
「まずは、会津一手追討出願の真実を糺さねばなりません」
遠藤小三郎を問い詰めると、公卿三条実美を酒宴で持て成したことがあったことを漏らした。
「そうか、公卿三条実美は会津藩に追われて長州に逃げた。会津には恨みがあるはずじゃ。根源はそのあたりであろう。それで、国元にも言い訳がたつと言うものだ。大童、仙台一手で会津を説得すれば、わしも朝廷の参与じゃぞ」
但木は手を叩いて小躍りした。

     三

御所の周囲は、二百の公卿家があり、公卿町といわれている。文七郎と大童は三条家を訪ねた。三条実美の屋敷は、ひと通りの少ない京都御所の北側にあった。その先は鴨川になる。
三条実美は『安政の大獄』で謹慎処分をうけた三条実万を父にもち、兄が逝ってから、父の遺志を継いた。尊皇攘夷派の三条は、何も知らされないまま、突然、宮中への参内を止められた。御所の堺町御門の警備をはずされた長州藩と、七人の公卿とともに長州へと逃げて、太宰府で幽閉生活を強いられた経緯があった。政変があって、いまは朝廷に返り咲いている苦労人である。
公卿三条の部屋で、しばらく待たされた。床の間の掛け軸には紅梅が咲いている。文七郎には梅花を愛でるゆとりはなかった。
三条がすり足で部屋に入って、さらりと座を組んだ。温和な公家の雰囲気がただよっている。文七郎は待ちきれずに膝をのりだした。
「朝廷の御沙汰に、仙台藩一手をもって会津藩を襲撃すべき、仙台藩の出願により云々、とありましたが、わが藩は上奏した覚えがございません。これは御沙汰の誤りかと思われます」
「出願しなかったとすれば、それはおかしなことであらしゃいます」
「それとも、朝廷は仙台を試したのではありませんか。それから、天下一新の議定に、仙台を除けるとは、まさに上洛しない藩主への面当てではございませんか」
「こなたは、そんな意地悪なこと致しまへん。でも、ちかごろは諸藩の方々が入り乱れて、仙台さんとも、米沢さんとも取り違えて、はて、と考えこむことがしばしあらしゃいます」
三条は、ちょっと小首をかしげて、さらりと言った。
「そうそう、仙台さんがその気なら援助したいと、米沢さんがおっしゃいました」
「何ですと、それでは米沢藩の言い触らしか」
大童が語気を強めた。
「いいえ、そうとは申しまへん。ただ、領地が欲しいとか、どないとか」
米沢藩がわが藩を援助するとは異なことをいう。油断ならぬ。わが藩は米沢藩に援助される考えは一切ない、文七郎の胸中はさまざまな思いが駆け抜けた。
「よく調べて、お知らせいたしましょう」
酒席では上機嫌で舞い、長州下りを自慢話に酔い痴れたという三条が、仙台と米沢を見違えたとは、何を惚けたことを言っているのだ。
「日本国を清国のように、諸外国の属領にしてはいけまへん」
三条は、十九歳とはおもえぬ、厳しい顔をしめした。これが本心であろう。日本国という言葉は、未来の希望のようなひびきがあった。
仙台藩の権威を示すために、但木が上奏したとか、留守居らが酒宴で虚栄をはったとか、仙台藩がその気なら、米沢藩が援護するとか、さまざまに噂にはなったが、真実は謎であった。しかし、種を蒔いた者は確かにいる。仙台藩がもたついている間に、京の情勢は日ごとに変っていた。
朝廷では、大総督有栖川宮熾仁、参謀西郷隆盛のもとに、東海道、東山道、北陸に鎮撫の出兵準備がはじまった。まもなく奥羽にも出兵することになっている。
慶邦公はいまだに音沙汰がなく、京仙台屋敷ではなすすべもなく、役人たちは蒼ざめた顔をして、長い一日を過ごしている。やがて、陽が落ちかけたころ、表通りが急にあわただしくなった。国元から使者が到着したのだ。
「来たか、待ったぞ」
但木は、ばたばたと板間を踏んで自ら使者を出迎えた。
文七郎も逸る心を抑えきれなかった。先着がきたからには、慶邦公の上洛も間もないであろう。何よりも心待ちにしていた国元の状況をはやく知りたい。使者は、小姓頭坂本大炊と京勤めのある一條十郎であった。
奥の間は久々に活気をおびた。
床の間を背に但木がすわり、せわしげに膝頭をなでた。下座に文七郎、大童、向き合って、遠藤小三郎。それに、坂本と一條が座した。
「世の中、変ったのではありませんか」
「そのとおり、歯車が狂いだしたのだ」
但木は、膝頭をなでるのをやめなかった。
「それよりも、肝心のお屋形さまの京入りはどうした。はやく申して見」
「お屋形さまが上京するまえに、まず、仙台藩の意向を認めた建白書をさしだすのが早道であろうと、ここに持参しております」
京屋敷の役職の見守るなかで建白書が開封された。いちはやく手にとった但木は、建白書を一読して、言葉を荒らげた。
「この建白は何事だ。これでは奉呈できん」
「如何なされました。なにか不服でもございましたか」
坂本が気抜けしたようだ。
「一門の口添えで、徳川家擁護だと。徳川を援けよだと申すのか。掛け声ばかりで、お屋形さまは、来んのか。ああ、朝廷に棲みついた獣めらに、わが藩は無理難題を背負わされそうなのだぞ」
「獣とは」
「朝廷の太政官連中のことです」
文七郎が口添えをした。
但木が小三郎に目配せをすると、小三郎は床の間の文書箱から御沙汰書をとりだして、坂本に手渡した。坂本は御沙汰の内容を確かめて押し黙ってしまった。
「解せません。なぜ、お屋形さまが上洛する前に、会津討伐を願いでたのですか。噂が立ついじょう、何らかの事実があるはずです」
「そのような大それたことを、言うはずがあるまい」
坂本は、向きをかえて、小三郎を睨めつけた。
「京を預かる役でありながら、不謹慎ではないか」
いかにもわざとらしく、但木を責める口調だった。
小三郎は姿勢を正した。
「米沢、南部、秋田などの京滞在の藩士や公卿らとは、たびたび酒を酌み交しました。されど、疑いをうける言行には覚えがありません。決してございません」
「そうだとも、わが藩に落ち度はない。すべて調べてある。陰謀は、朝廷を牛耳る太政官だ」
「だからと言って、このまま仕舞い込むわけには参りません。それがしには建白書を持参した任務がございます。早々に建白書を上奏してください」
「早まってはならん。思慮のない発言と行動は誤解をまねくのだ。わが藩の権威を示すためには、それ相応の兵士を従え、お屋形さまが上洛して、この窮地を乗り切るより方法がない」
但木は、坂本を押さえ込んだ。
京仙台屋敷には明々と灯がともされた。
「それにしても、会津一手追討出願の御沙汰書、こんなもの預かるわけにはいかない」
但木の指示で、大童が御沙汰書を朝廷に差しかえした。すると、藩主が上洛しないのを咎められ、ふたたび御沙汰書を渡された。
それは、前回の御沙汰書の出願の文字を削除しただけの、会津一手追討と、同じ内容だった。
しかし、京の状勢をみるかぎり、それでも朝廷に逆らえば、こんどはわが藩が朝敵にされかねない。会津藩さえ降服承諾すれば、無傷の和解もある。そうなるには、天皇の象徴、錦旗(きんき)がなくては奥羽諸藩も納得しないだろう。鳥羽伏見の戦いでもそれが功を奏したのだ。文七郎は、遠藤小三郎を御所に出向かせた。
御所からもどった小三郎は落ち着きがなかった。
「朝廷に錦の御旗(みはた)を願いましたところ、いまは朝廷に錦旗がござらんので、仙台藩で調達してくだされと、にべもなく断られました」
「錦旗を仙台藩で作れとは、何というでたらめなことを。それでは鳥羽伏見の錦旗は何だったのだ。まさか贋物でもあるまい」
文七郎は唖然とした。
一條十郎が長州の木戸孝允と懇意な間柄なのを知っていた。木戸なら錦旗について何かを知っているかもしれない。文七郎は一條と坂本を連れて木戸を訪ねた。
木戸は風邪をひいて床に伏せっていたが、快く面会に応じてくれた。
文七郎は恐縮して木戸に訴えた。
「錦旗を仙台藩で作れとはあまりにもいい加減なことではありませんか。錦の御旗とは、朝廷より賜ればこそ御威光を放し、民衆は敬畏をあらわすというもの。仙台藩で作って何になりましょう、それはただの旗にしかすぎません」
「なるほど、それはちと困りましたな。朝廷は仙台藩を信じてのことであろうから、悪気はござらんのじゃ」
「それでは、納得ができませぬ」
一條は首を横にふった。
「さようか、それでは朝廷に伺うので、この話はしばらく待たれよ」
木戸は咳をおさめて、頬に笑みをたたえた。
「長州藩とて、いくど薩摩藩を信じ、土佐藩を信じ、そして、裏切られたかしれん。じゃが、目指すのは開国。信念は一緒なのじゃ。信じられぬことが多いが、おのれが信じねば、相手とて信じてはくれますまい。信じ合わねば、世は変えられんのじゃ。奥羽諸藩が朝廷を信じてくれさえすれば、新しい国は、目前なのだが。どうじゃな。新しい国の夜明けに、仙台藩も賛同していただけないだろうか」
言葉こそ少ないが、木戸の真剣な面持ちに文七郎は心を打たれた。一條と坂本の眼が輝いている。
仙台屋敷にもどった一條が、但木に問いかけた。
「木戸さまは開国をめざしております。今日では、これが正義というものでしょう。これでは、お屋形さまの建白書は戯言にすぎません。奥羽鎮撫使の役職が定まっては、建白はすでに遅いのだ」
坂本が力強い声で言い放った。
「開国。やってみょうじゃござらんか」
一條の眼に闘志が宿った。
「会津を降服させて、薩摩を見返してやろうではないか」
但木は一瞬、慌てた様子を見せたが否定はしなかった。
そして、『会津一手追討の御沙汰書』は、小姓組遊佐伝三郎によって国元に送られた。
                          
     四

朝廷では、大総督有栖川宮熾仁、参謀西郷隆盛の指揮のもとに、東海道、東山道、北陸に鎮撫の出兵準備がはじまり、まもなく奥羽に出兵することになっている。
風に流されて尺八の音色がする。来たか。文七郎は仙台屋敷の奥の間で、京の情勢を書簡にしたためると、油紙に包んで懐に忍ばせた。
但木は文七郎を居候扱いにしている。仙台屋敷でも皆が
そのように見ているので、外出するにも、どこに行くのか、と尋ねる者もいない。
御所の周囲は諸藩の武家屋敷が点在していた。鴨川添えの加賀、長州屋敷あたりを巡見すると、さすがに藩士の出入りが多いように見受ける。朝廷の命に従って、国元と京を奔走しているに相違ない。とことんやれとんやれな、の節と太鼓の音色が、遠くに近くにひびいている。まるで陣太鼓のようで不気味だった。いつしか、文七郎は虚無僧姿の法印坊と連れ立っていた。
「太鼓と囃子は、長州藩の品川弥二郎と申す者が、鎮撫の気勢を揚げるために鳴らさせておるのだそうです」
長州生まれの法印坊は、少々得意気に言った。
「なんと心憎い。士気をあおっておるのか。もはや天下を取った気分なのだろう。長州人とは、奇妙なことを考えつくものだ」
文七郎に可笑しさがこみあげた。
「それから、文七郎さま。三好監物さまが二百の兵を従えて、伊豆の下田に上陸したそうです。まもなく屋敷に到着するかと思われます」
「三好どのが来るからには、やはり、お屋形さまは上洛しないのだな」
「そのようです」
「そうなると、お屋形さまに報せねばならぬ大事がある」
文七郎は、懐から書状を取り出して、法印坊に手渡した。
「大事というのはこの書簡じゃ」
先日、坂本大炊の携帯した建白書は、時機遅し、の理由で、但木が朝廷に奉じないことにした。それに、諸国には鎮撫使が出立して、まもなく奥羽にも出発することになっているのだ。
「詳しいことは、この書状に認めてあるので、早々にお屋形さまに届けたい」
「はっ、書状は足の速いものを使って、仙台の大年寺に届けて、密かに殿さまの手元に届くよう、手配をさせます」
辻を曲がると、法印坊の姿はなかった。
書簡が国元に届くのは、江戸城内の情報は三日、京からは飛脚を継いて十日ほど要する。この書状書の返事を待つにはとうてい日数が足りない。朝廷の鎮撫は津波のように、諸国に押し寄せてゆく。

仙台領東名浜から、紀州藩から借り受けた汽船で、三好監物が二百の兵を従えて、伊豆の下田に上陸した。そこで鳥羽伏見の戦を知ったらしい。先触れが、仙台屋敷に甲冑の要請をした。
「甲冑だと」
「何を古いことを申しておる。今の戦法は洋式なのだぞ」
 仙台屋敷の藩士が笑った。
それほど、仙台の内情は遅れていた。戦法も、刀を振り回すだけでは勝てない。鉄砲、大砲だってあるにはあるが、実戦の経験もなく、朝廷の鉄砲隊には及びもしないだろう。
翌日になると、三好が兵を従いて、京仙台屋敷に到着した。にわかに仙台屋敷がざわめき、文七郎が出迎えると、三好は意外な顔つきをした。
「文七郎さまは、どうしてここにおられますのか」
「仙台城でのんびりしておればよいものを、京の見物のつもりなのであろう。でしゃばり者が」
但木が文七郎に軽蔑の眼差しを向けた。藩費を浪費しているとでも言いたいのだろう。
「なるほど、文七郎さまときたら、きのうは江戸、きょうは京か、けっこうな身分でござる」
三好が疲れも見せずに笑った。
文七郎は家老職だが、何の権限もなければ責任もない。三好の笑いは居心地を良くしてくれた。
仙台の奥座敷で、三好は肉づきのよい体つきを引き締めて、藩主の代理という威厳を示した。しかし、上役は但木土佐。但木は三好を見るなり、労いの言葉もそこそこに、抑えていた怒りをあらわにした。
「どうしてお屋形さまは来られんのだ。虫歯が痛い、膝が痛いではすまされん。わが藩は重大な任務を負わせられることになるのだぞ」
「相変わらずですな、落ち着きくだされ。先日、兵を従い上洛せよと、仙台城に書簡を届けたのは、但木さまではありませんか。よって、わしが兵を従いて参りました。それでは、仙台藩の統一見解を報告申し上げます」
三好は、重臣たちを揃えて咳払いをした。
先月、庄内藩主酒井忠篤公が江戸から国元に帰る途中、
仙台城に立ち寄った。奥羽諸藩は奥羽連盟を結成し、仙台藩主が連盟主となって、総督府と交渉することと決めた。
建白書は、仙台藩の決議として朝廷に奉ずること。会津一手追討の御沙汰書の内容にかんがみ、米沢藩が、庄内藩と会津藩、それに奥羽の諸藩に使者を遣わして、その意向を反映しての建白であった。
「慶喜公が蟄居しているという報せに、ようすを見ようと、お屋形さまは上洛を控えておるのです。その代理として、この三好が再度の建白書を持参しておりますので、早々に奉呈していただきたい」
 三好の領地は、黄海村(岩手県東磐井郡藤沢町)にあり、陪臣だった。厳寒の蝦夷地を統制した実績があり、慶邦公の信望もあつかった。
三好が携えた建白書の内容は、朝敵の矢面にたたされている慶喜公の援助、それと、征討出兵を控えよ、であった。
しかし、朝廷では、すでに東海道、東山道、北陸に鎮撫の出兵準備がはじまり、まもなく奥羽にも出兵することになっている。
建白書が奥羽諸藩の意向であれば、いかなる事情であれ、建白書を奉じなければ、慶邦公の顔がたたないであろう、と文七郎は思う。
但木が三好を見下した。
「慶喜の援助では、薩摩を見下すどころか、これではお屋形さまの首さえ危ない。この建白書を奉呈すれば、仙台は幕府に与した賊軍とみなされる。天下は薩摩、長州の掌中にあるのだ。鳥羽伏見の戦いを知ったか」
「途中の伊豆の下田で知りました。驚いて、甲冑の要請をしたところです」
笑いが上がった。
「何が可笑しい」
三好は諸藩の情勢には疎く、戦は刀でするものと思っているようだ。
「それにしても、慶喜公が兵を見捨てて、逃げ尻だったとは、信じがたい。仁君にあるまじき行為ではないか」
大童が口をはさんだ。
「いや、突然に現れた錦の御紋をみて、慶喜公は退かれた。それなりの考えがあってのことと思われます」
「なるほど。これは、慶喜公でなければわからんことじゃ」
三好が鼻で嗤った。
「それ以来というもの、薩摩、長州、土佐が成り上がっておる。これをみて見。朝廷の手を汚さずの謀略には、我慢がならん、痩せる思いだ」
但木は、朝廷への恐れと薩摩藩の憎さをあらわにして、御沙汰書の写しを三好の前に差し出した。
三好は、それを一読して、酔い覚めのように蒼白になった。
「会津追討は、事実か」
すでに勤皇志士気分の坂本が横から口をだした。
「じゃが、やらねばなりません。世の中がそのように変わっております」
「これ、滅多なことを口にするな。お屋形さまが会津討伐など、承知するはずがあるまい。だがの……、朝廷ではすでに奥羽鎮撫使の役割まで定まっており、いまさら出兵を控えろ、などと言えるわけがない、薩摩に遅れをとったのじゃ」
到着したばかりの三好には、何もかも驚くことばかりだったろう。
但木は、黒川郡吉岡(宮城県黒川郡大和町)に千五百石を領し、歴代家老職を与えられ、城郭で安住してきた。但木は五十二歳、三好五十四歳で下役、ともに薀蓄の年齢である。
「しからば、建白書はいかように」
「何のかんの言ったところで、朝廷には、従わねばなるまい。会津と談判して降伏させるか、会津城を攻めて降伏させるか。いずれかは会津しだいじゃ」
但木は、きまりが悪そうに、文七郎を見た。日頃、文七郎が口にしていることを復唱したまでのことだった。
「しかし、朝廷を目の前にして建白書を奉呈しないのは、お屋形さまに背くことになります。このままではお屋形さまにあわせる顔がござらぬ」
「奥羽諸藩の意向でもあるのなら、建白書は奉呈したほうがよろしいかと思います。その後は、その後のこととして対策いたしましょう」
文七郎は慶邦公の意中を気遣った。
「文七郎、やかましい。口出し無用と言ったはずだ」
但木は文七郎に背をむける。
「朝廷に建白書を奉呈して、仙台を賊軍にするつもりか。今となっては、早急にお屋形さまを説得するより方策はあるまい。何事も穏便に解決するのが肝心」
奥羽は天保の飢饉から不況がつづいている。仙台藩の石高も落ち込んで、御用商人からの借金で藩の禄をまかなっていた。但木は、それにも悩んでいるのだろう。脇息から身体をおこした。
「ここにきて奥羽鎮撫隊の出兵費まで捻出しなければならぬとは困ったものだ。早々に国元へもどらねばならん。そして、お屋形さまには仔細を述べて、新たな返事を遣わすので、待っておれ。建白書は、はやまってはならん。仙台を賊軍にしてはならんのだ」
但木は浮き足になっている。
「文七郎、その目はなんじゃ。無礼であろう。わしは京から逃げるつもりではござらぬぞ。代わりに三好監物がおるではないか」
三好は愛想も無く黙っている。
但木土佐は、御用雑務を三好監物に引き継ぎ、一條十郎を従えて国元に戻ったのである。

     五

但木が国元に出立するとまもなく、朝廷から仙台屋敷に召喚書が届いた。
三好監物を筆頭に、文七郎、坂本大炊、富田小五郎とおもだった藩士らが朝廷に出頭すると、公卿と薩摩、長州、土佐の重臣が姿をみせた。
「太政官と称する獣とはこの者たちか」
三好は上座の連中を睨みあげている。
朝廷は、仙台藩の内情など知らぬげに、会津討伐の御沙汰に念を押す。この日は、権威の錦の御旗と日月旗の授与である。
錦旗は、鎌倉時代には存在したらしいが見た者はいない。岩倉具視が錦旗の作成をひそかに進め、国学者の玉松操に構想させた。薩摩の大久保利通が材料を調達。品川弥二郎が長州に戻って製作したらしい。赤地の錦に菊花紋と日月紋の御旗は、厄運を暗示して、三好監物の腕に重く伸し掛かった。
錦旗は仙台屋敷の奥の間の床の間に畳まれていた。
「御旗をこのまま屋に置くわけにはいかないので、一刻もはやく国元に届けるべきではないか」
権限は藩主代理の三好にあるので、三好を促した。三好は、坂本大炊と富田小五郎に大役を申し付けた。
「よいか、坂本どの、富田どの、粗相のないように頼みましたぞ」
文七郎には己れが、御旗を持って国元に戻りたい思いだが、まだ偵察がある。
「お屋形さまの上洛がないのであれば、理屈ぬきで、国元で会津討伐出兵の準備を急ぐよう、申し上げるのじゃ」
「確かに、勅旨に背くことはできません。お屋形さまの考えが一新するまで、説得いたします」 
坂本と富田は、錦旗を携えることの重大さに顔を紅潮させた。
「朝廷では、奥羽鎮撫使の役職の人選も始まっているのだ。決まり次第、それがしも後を追うだろう」
 文七郎は錦旗に書状を添えて、坂本と富田を国元に出立させた。
「建白書を手元に置くのは、お屋形さまに背くことになる。内々にでも、仙台藩の真意を朝廷に奉じたい」
 三好が相談を持ちかけてきた。内々と言うのは、公卿に伝手を頼むと言うことだろう。三好は出入司という大蔵省官僚のような役職で、京の宮家に出入りしたこともあったらしいが、特に親しい間柄ではなさそうだ。
「お屋形さまの面目を立てようではないか。それがしが案内いたそう」
伊達家は、近衛邸の養女糸姫を養女に迎えている。ひとまず縁故つきあいのある近衛邸を訪ねることにした。
文七郎と三好は、近衛邸の門をたたいた。近衛忠煕が関白になったとき、祝賀の使者として、慶邦公は文七郎を近衛邸に遣わした。文七郎が祝賀を述べると、その皇室尊崇の内容がすばらしいと、忠熈に褒められたことがあった。忠熈は亡き孝明天皇のときの関白であったから、このたびの仙台藩の苦渋の建白にも、何らかの意思を示してくれるであろう。一縷の望みがあった。今日では、忠熈にかわり、息子忠房が朝廷の要職にたずさわっていた。
献上物を差し出すと、烏帽子に狩衣の普段着で、忠熈はすこぶる機嫌がよかった。
「昨今、慶邦さんはいかがあらしゃいますか」
「はっ、京都の大事出来には、戸惑っておるようです」
仙台の内情は徳川擁護に傾いて厳しい。文七郎は言葉を選んだ。
「公家たちも、長いあいだ辛酸を嘗めてきましたが、奥羽諸藩の鎮撫は慶邦さんが頼りであらしゃいます」
忠熈は笑みを見せた。
徳川時代、公卿たちの禄は少なく、幕府に依存しなければ生活がなりたたなかった。そのために、公家は座頭に高利貸しを許して権利をとり、または、裕福な庶民をあつめて、和歌や書道、装束などの家元をつとめて収入源にしてきた。下級公家になると役料もなく、短冊や色紙に和歌を書いて旅人の土産として市中に卸し、わずかな金子で生計を立てている。当家の石高は二千八百で中堅の旗本並みだが、岩倉具視などは百五十石と聞いている。先日の仮建所での剣幕は、新国家創り、に命を賭けているからだろう。
刻み昆布に焼き豆腐、それに香の物と酒器がはこばれた。すこし遅れて息子の近衛忠房と御簾中が座した。
「奥羽諸藩の鎮撫は、よろしくお願いいたします」
忠房は、三好を酒豪とみたらしく、しきりに酒器を傾ける。
文七郎も一献いただいた。酒は強い方ではない。
「三好さんは、縁起の良いお方です。酒に染められて 雷神さんにおなりであらしゃいます」
御簾中は三好を冷やかしている。献上物が目当てであろう。
三好は、進められるままに杯を傾けた。酔いにまかせている。御簾中の口添えが忠熈を左右すると、思ったらしい。御簾中の機嫌を見計らって、三好は膝を正した。
「お屋形さまが上洛できないのは、残念でなりません。代わりに、この三好が建白書を持参しております」
 朝廷を裏切る仙台藩建白の内容、文七郎は固唾を呑んだ。
「ほほう、どのような」
「それがしの運命を賭ける覚悟で申し上げます。徳川慶喜公の公明正大な処置と王政一新のおり、諸外国との開港も必須で、みだりに国内において兵を動かすことは、皇国前途のためならず」
建白を諳んずるうちに、忠熈は俄かに色をなして押しとどめた。
「いま、何と申された」
「はっ、徳川家は徳川家と申したまでにござります」
忠熈から笑みが消えた。
「徳川慶喜さんへの配慮に欠けると申されますのか。そないこと、いまさら口になさってはいけません。お取り次ぎなど滅相もない、近衛家は潰されます。尊い命を犠牲にして、新しい国をめざして、みなが奔走しているのに、慶邦さんは、まだ古えにこだわりをお持ちであらしゃいますのんか」
忠熈は、落飾した耳殻に手を触れた。三家以下諸大名の意見をとり立てるべし、この考えが誤解をまねいて、関白の職務を辞めさせられている。
「慶邦さんは何を考えてあらしゃいますやろか。三好さんも、まことに気味の悪いおひとです。のう、文七郎さん」
文七郎は即座に平伏した。
「お許しのほど。仙台道化のざれごと、聞き流していただきとうござります」
「さようですか。慶邦さんの建白、忠房が預かりおくのやから、そのつもりで。佐幕寄りの藩士は、京入りさせてはなりませんと言うたやおまへんか」
忠房は、闇に棲む妖怪でも追い払うかのように、三好に向かって大きく袖を振った。
 徳川慶喜の公明正大な処置……。近衛親子が怯えて、穏やかでない雰囲気が漂った。咄嗟に、三好は酔眼を醒まし、つと立ち上がった。
「今夜は節分じゃ、景気をつけまする。とっくと御覧くだされ」
仙台の謡曲『さんさ時雨』を謡い、すり足で扇をかざして能を舞った。
「この家座敷は めでたい座敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ……。これが、おらの国の節分だちゃ、とっくと見てくだされ。三好獅子じゃ、獅子舞じゃ」
 三好は方言を丸出しにして、表に面した戸を開けると、懐の鹿袋に手をかけて一朱金を鷲掴みにした。
「鬼は外。福は内。それ、福は内、福は内」
 大声を張り上げ、驚いて仰け反る近衛親子の頭上から一朱金を降らせ、豪快に笑い飛ばした。
忠熈は脇息を手放して憮然としている。忠房ときたら、目の前の一朱金に目を奪われて締りのない顔だ。さすがは御簾中、膝元に転げ落ちた一朱金を、さらりと掌に包み込んだ。
「そろそろ、御暇申し上げます」
三好は扇子を閉じ、平伏してにやりとした。
やがて、文七郎と三好が近衛家をあとにした。京の闇は先が見えず、不穏な気がただよっている。三好の足取りは重そうだった。
「いまさら仙台藩六十二万石などと、虚勢を張ってなんになる。今夜は、失態であろうかな」
文七郎の肩越しに言った。
「相手は近衛さまじゃ、一晩過ぎれば、怒りもおさまるだろう」
「伊達家に禍が降りかかりはしませんか」
「お屋形さまの御心しだいじゃ。上洛すれば、考えも変るはずだが、残念なことに、その兆しはないのであろう。次の手を考えよう」
伊達家では跡継ぎの茂村を亡くして、慶邦公は気落ちしている。決断が鈍いのは、それも一因か。じゃが、気後れは、後手にまわって、厄を背負うことになる。
「いまが伊達家の一大事。存続のために、三好はこの身をすてる覚悟でござる」
交わす言葉もなく歩いた。
その後、朝廷からは何の音沙汰もなかった。時は刻んでいる。このまま、腕をこまねいてはおれない。三好もおなじ思いだろう。
文七郎は、江戸の地理に詳しい松崎仲太夫を呼んだ。
「江戸仙台屋敷の考えも知りたいし、慶喜公のようすも知りたい」
「いよいよ、行動をおこしますか」
 輝いた松崎の顔が怪訝な面持ちにかわった。帰り際に枕絵を手に入れるよう、文七郎が言い渡したからである。
「金銭に糸目はつけぬ。できるだけ精巧な品を調達し、早々に戻るように」
「そんな不謹慎なこと、仙台武士の恥でございます。この一大事に、夜な夜な枕絵に耽るとは俗に堕ちたものだ。ああわからん」
松崎が顔を赭らめて、三好に告げ口をしたようだ。
「まあ、よいではないか。おぬしを信じてのことじゃ。くれぐれも枕絵だけは忘れぬように」
三好がにやりとすると、松崎が眼をしばたたいた。 

江戸から帰った松崎によると、慶喜公は江戸城を去り、上野寛永寺に閉居して恭順謝罪しているらしいが、慶喜公の幇助はないらしい。
文七郎と三好は奥座敷にこもった。行灯を引き寄せて、松崎が持ち帰った枕絵に眼を凝らした。眉間に皺をたてた遊女と役者の息づく口許。大胆な秘め事が描かれてある。枕絵をめくる。若者のように文七郎の血潮がたぎった。
杉、檜、桐の三重の箱に小判を敷き詰め、その上に枕絵を重ねて蓋をした。箱は容易にとけぬよう、布巾で頑強に結び、万全の準備をした。
「遅くなるかもしれんが、何事が生じても動揺せぬように」
留守居に言い残して、文七郎と三好は、近衛家に向かった。
先日のこともあり気まずい思いはいなめない。しかし、現役から退いても近衛忠熈の力は衰えていないはずだ。すべて慶邦公が上洛すれば収まることだが見通しがたたない。仙台藩の面目を保つには金銭に糸目はつけぬ、文七郎は考えた。
天地の開けしより 変らぬものは此道なり
三好は和歌らしきものを添えて、布巾の包みを差し出した。いくぶん忠熈の眼が和んだのがすくいである。
「慶邦さんを朝敵と見なすは不本意です。慶邦さんが奥羽諸藩を統制すれば、慶邦さんとて朝廷への参与もあらしゃいます」
忠熈の意外な言葉に文七郎は勇気を得た。この言葉、慶邦公にきかせたい。奥羽諸藩を統制すれば、藩祖伊達政宗が望んだ国政に参与できるのだ。
「幕府をたおし、皇政を維新すべし、この身にかけて、文七郎に偽りはございません」
ひとたび盃をかわすと、三好も目頭を熱くして、天皇に服従することを誓った。座がなごむと、御簾中が三好の和歌を怪しんだ。
「天地の開けしより、変らぬものは此道なりとは、三好さんからの御品は何であらしゃいますか、結びを解いてようあらしゃいますか」
三好が大げさに手をふった。
「いやいや、三好監物のおるあいだは、このままにしていただきたい」
後簾中は、口元に袖口をそえ、流し目で包みを見やった。
忠熈が笑みを浮かべている。 

仙台城から、大條孫三郎が使者として京屋敷入りした。
「お屋形さまが来なければ、誰がこようと無駄足にすぎぬ」
三好に笑みはない。
「いまさら兵隊を率いて、上洛するなどわずらわしい。京の状勢は対岸の火事。伊達一門はのんびりしたものです。なかには、お屋形さまは上洛するのがよろしい、との意見もありましたが、とどのつまり、口先を濁しただけでした」
孫三郎が長旅にもめげずに報告した。
「一門は、責任のなすりつけで、お屋形さまを惑わしておるのか」
文七郎は、国元に戻らなければならないと思った。
孫三郎がたずさえた建白書には、沿岸に諸外国船がうかがっており、みだりに兵を動かすことなく、徳川慶喜を寛大に処置されるよう、との内容が含まれていた。
「これでは、それがしが持参した建白書を書き改めただけではないか。今となっては、お屋形さまの建白一片の理屈など通りはしないのだ」
三好が座り込んでしまった。
遠くに響く太鼓の音色が、京仙台屋敷を不気味に掻き乱した。
「気になる音ですな、まるで地獄の使者のような」
孫三郎が声をひそめた。
「奥州街道の藤田領内で、国元にもどる但木さまに出会いました。その折りに、但木さまが建白書を検めて、建白書の奉呈は無理だろうが、宇和島の伊達宗城さまに意見を伺ってはどうじゃ。こう申されました」
「やはり、但木さまは、建白書を奉呈するな、と申されたのだな」
「さようでございます」
孫三郎には建白書の持参と、もうひとつの仕事があった。それは、慶邦公には跡継ぎがいなかったので、分家にあたる一関藩の藩主田村通顕(ゆきあき)を伊達茂村(もちむら)と改名して養嫡子に迎えていた。幕末動乱の最中の昨年の六月。茂村は突然に、十八歳の若さで他界したのである。
大童信太夫は、福沢諭吉と昵懇の間柄で、福沢の海外派遣費用の一部を、藩費から工面したと聞いている。その福沢の仲介で、伊達家の分家、四国宇和島藩主伊達宗城の次男宗敦(むねあつ)を養嫡子に迎えることになっていた。
宇和島藩は伊達家の分家として、伊達政宗の嫡子を差し出して身内同然だった。孫三郎には宗敦を仙台城への迎えもかねていた。
「妙案でござりますな」
三好は、安堵の表情をした。
伊達宗城は、慶喜公を将軍に推挙し、擁護したのが禍をまねいた。急きょ、領地を嫡子宗徳にゆずって隠居の身であった。宗敦の実父なら、適切な判断を下すであろう。
文七郎と孫三郎は、仙台屋敷を出ると、水戸徳川屋敷から室町通りを南に向かった。しばらく町人地の人混みを歩んで、三条通り、四条通りをまたいて、さらに室町通りを進み、万寿寺通りを過ぎると、宇和島伊達屋敷になる。
宇和島伊達屋敷は豪華な門構えではないが、入ると、どこからともなく老梅の香がただよってくる。玄関は質素な雰囲気を醸し出していた。
藩主伊達宗城が自ら出迎えてくれた。書院の間にとおされて、まず、銃十挺、衣服、金員などを差し出して、ひととおりの挨拶をおえる。
宗城は喜びを表して息子宗敦を呼び寄せた。奥方に添われて宗敦が部屋に入り、宗城と並んで正座した。
「これが宗敦でござる。まだ、未熟者じゃがよろしく頼む」
自慢げに言った。
「よろしくお願い申し上げます」
宗敦が礼をすると同時に奥方も頭を下げた。
文七郎と孫三郎が平伏する。
親子が揃って座すると、宗敦の面長な顔立ちは父に似て、整った目鼻立ちをしていた。
面会の挨拶をおえると、宗敦は父から離れて、文七郎の前に正座した。これが、伊達政宗の血を継ぐ若者か。澄んだ目をして、仙台伊達家を繁栄させてくれるであろう。しかし、仙台城中の厳しい面々を思い浮かべ、京の情勢を見るに、宗敦の前途に不安な影が差して、文七郎は目頭を熱くした。
「われわれは、間もなく国元に戻ります。そのときに、お迎えに上がります」
孫三郎が畳に両手をついて申し上げると、宗敦は、
「はいっ」
十六歳の張りのある声を上げた。
「国元の酒じゃ、一献いかがかな」
宗城は、仙台藩士を客人として、持て成してくれるが、まだ酒のまわらぬうちにと、文七郎は慶邦公の意中を述べてみた。
「仙台藩は、朝廷への建白がございます」
「いかような」
「徳川慶喜公の公明正大な処置と王政一新のおり、諸外国との開港も必須で、みだりに国内において兵を動かすことは、皇国前途のためならず」
文七郎は、先日の三好と同じ口上を述べて、じっと宗城の目を見た。やがて、宗城は建白の内容を理解したのだろう、顔を歪めた。
「徳川慶喜公に朝敵の名を負わすのは、公平な措置ではありません。しかし、奥羽鎮撫使が定まった今となっては、慶邦公の建白はあまりにも唐突すぎて、その機を失したように思います。もういちど国元の指示を仰ぎなされ」
建白の時機が遅すぎた、と言い切った。

奥羽鎮撫使が奥羽に向う日取りが決定すると、二人の奥羽鎮撫使下参謀が、京仙台屋敷を訪ねてきた。にわかに奥羽鎮撫の打合せである。公卿が参謀となり、藩士は下参謀の身分であった。
これがトコトンヤレ節の長州藩品川弥二郎か。紫と白の大縞ズボン、黒羅紗マンテルを着て、なんと華奢な恰好であろう。かたわらが江戸を騒乱させた薩摩藩の黒田清隆。京は一夜にして状勢が変わる。文七郎に戸惑いは隠せなかった。早々に国元に戻らねばならないと思った。
三好は、耳まで紅潮させて言った。
「奥羽は遠い国ゆえ、京と同日のあれこれでは通らんぞ。奥羽諸藩は因習にこだわり、貴藩とはちごうておる。太鼓を叩けば奥羽諸藩が平伏するとでも思っておるなら、大間違いだ。おぬしら、奥羽の糧が尽きるまで戦うつもりか。それとも奥羽を納得させる知術がござるのか。さもなければ、刺し違える覚悟で参られよ」
三好の言動は、威圧を含んで脅迫のようなものだった。
「おいどんたちは戦じゃなか。あくまでも鎮撫でござる」
黒田と品川は、眼を合わせると飲みかけの杯を放した。
「それがしは国元にもどり、おぬしたちの受け入れ体制に取りかかる。おぬしらは決死の覚悟をなされませ」
三好は、奥羽鎮撫使の出立を遅らせることに必死だった。
東海、東山、北陸にむけて鎮撫使の一隊がすでに進軍している。奥羽鎮撫も先陣を仙台兵、後陣を薩摩、長州兵がつとめることに決定した。
三好は、仙台兵を大越文五郎に預けると、息子酉助と昼夜早駕籠で奥州街道を帰国の途についた。
その後を追うように、文七郎は、法印坊と連れ立って、国元に向かった。途中で駕籠から馬の背にゆられた。下野(栃木県)境を越すと、峰々が連なり陽の陰りを感じた。冷風が火照った心身にここちよい。この地を踏めば京の騒動など他国の出来事のように思える。このあたりは白河(福島県)。白河以北は奥羽諸藩の領地になる。
奥州街道から会津にそれる街道を、ひたすら荷車をひく婦女子の群れに出会った。江戸、京都を追われた会津人であろう。気丈な面構えに、秘めたものが汲み取れる。どうしてこの罪のない会津領民を刃に掛けられよう。仙台藩には会津藩を討つ大義名分はないのだ。しかし、この会津の民を目にすれば、会津藩容保公は、会津領を戦火で焼き、民を苦しめて泣かすことはしないだろう、そう祈るしかない。
他藩の重臣が朝廷を仕切っても、朝廷の御沙汰にかわりはない。会津を血に染めるも、無傷で降伏するも、すべて、会津藩の感ずるところ。仙台の及ぶところではない。文七郎の考えに変わりはなかった。

     六

仙台城下に入ると、すでに陽は西に傾いて、広瀬川を通りぬける風は、かたわらの裸木を揺らして刺すように冷たい。長屋通りを過ぎて、広瀬川にかかる大橋を渡ると、懐かしい城門が見える。
城内では朝廷の御沙汰と錦旗に困惑しているだろう。しかし、京からの津波はすでに江戸を北上して、奥羽に向かっている。一門を説得して会津討伐に向けて、出兵の準備にかからねばならない。
文七郎は、仙台城の大手門の前で立ちどまった。大手門の冠木には菊花、桐の紋章が彫られている。菊の御紋に一礼すると、赤心が勇み立ち、苔むした城壁をさっそうと曲がった。
二の丸の取次の間で、慶邦公にお目通りを願いでると、藩論を統一させると言って、先に京を発った但木土佐が姿をみせた。
「なんだ、文七郎か、いつ着いた。おおそうか、今か。お屋形さまは所用がござれば、わしが伺い申そう」
但木は、不恰好に腰をまげた姿で血色もよくなかった。
「重大な事なので、直接に申し上げたい、どうかお取り次ぎを願います」
「只今、御座の間で、お屋形さまは伊達一門と会議中なのじゃ。後に伺いを立てるから、しばらく待たれよ。わしはな、白河を通るときに、馬が足を滑らせて、叩き落とされて、このざまじゃ。腰を強く打ち据えて、思うようにならん」
苦笑しているところに、側用取次ぎが但木を迎えに来た。耳の遠い翁にでも話しかけるように声高に言った。
「宿老、至急に御座の間にお戻りねがいます」
「何事じゃ」
「総軍務の坂さまが、声を荒げております」
「なに、坂がどうした。かまわぬ、言わせておけ」
「御座の間では、一門が三好どのを詰問しておるのだ。一門の機嫌を損じたのは、わしとて同じことよ。建白書を奉呈しなかったことを、いまだに責められておる。文七郎も覚悟しておけよ」
但木は愚痴をこぼして、すっかり気力も失せたようすだ。両手を腰に添えると、千鳥足で御座の間に向かった。ついてくるな、とは言わなかった。
「出兵の準備はどうなった」
文七郎は、ひそかに側用取次に訊ねた。
「そのようなようすは、何も……。そうそう、坂英力さまが、総軍務に抜擢されております」
坂が総軍務に抜擢されたのは意外で、会津討伐絡みで但木の思うところであろう。
但木に次いで御座の間に入り、末座から少し離れたところに座して黙礼をした。いずれの一門は顔見知りで臆することもなかった。但木が着座して、張り詰めた気が中断したようだ。
上座の慶邦公は脇息に身をあずけて押し黙っている。坂英力が目を怒らせている。差し向かいは、一門の威厳のある面々が三好を囲むように居座っている。
三好監物は、襟を正して怯むようすでもない、必死に京の情勢を語りはじめた。
「鎮撫使隊は京を立ち、伊豆の下田から海路を進み、もう十日を過ぎております。まもなく松島に上陸します。揺るぎない朝廷の御沙汰。気が焦ってなりません」
慶邦公の顔色を見て取った坂が、言葉をあららげた。
「お屋形さまが朝廷に建白書を奉呈したいと申したのに、なぜそうしなかった」
但木は顔をそむけた。三好を弁護するようすはないらしい。
「大政奉還の後、朝廷の役職は一掃されて、今日では公卿と南州藩士が朝廷を牛耳っております。近衛忠熈さま、宇和島の宗城さまにも伺いましたところ、残念ながら、建白書は時機を失しておりました」
「仙台藩六十二万石の建白書だぞ。それを朝廷とて無視するわけにはいくまい」
坂は、軍務の責務を担うかのような口ぶりだ。
「奉呈すれば、仙台藩は徳川家に与した賊軍と疑われます」
「言葉を慎みなされ。一介のおぬしが、なぜお屋形さまに逆らうのじゃ。それがしは、江戸の治安を護るために江戸に出向いたとき、徳川慶喜公は、深夜にそれがしを殿中に呼びよせて、江戸の治安を乱して、余を退けようと謀る者がおる。頼みどころは伊達家のほかにござらぬ。慶邦公に告げて徳川家を佐けてくだされと、悲痛な面持ちで哀願されたのだ。建白書が朝廷の目に触れ、徳川慶喜の穏便な計らいにつながるよう、日夜、祈っておったのだぞ」
坂は、三好と同郷の磐井郡黄海村。三十三歳。陪臣の三好を頭越しに怒鳴りつける。
「何度でも申し上げます。すでに奥羽鎮撫使は海路を北上しております。それに向けてわが藩も受け入れの準備が肝心かとぞんじます。お屋形さま、成功の暁には国政に参与の望みもございます」
「たわけを申すな。わが藩には、軍艦もあるし、大砲の具えもある。薩摩、長州のいいなりになってたまるか」
仙台藩では、北方のロシアの進入に備えて、砲台や軍艦の建造を進め、新式のミニ―ル銃を購入して軍備を整えている。坂は総軍務として自信に満ちた顔をして容赦しなかった。
「慶喜公は民衆のために覚悟をなされたと聴いております。いまは江戸城を去り、上野の寛永寺に閉居して恭順謝罪しておりますが、恩赦はないものと思われます。お屋形さま、仙台城下を火の海にしてはなりません。朝廷は会津藩の無条件降伏、その外はありません」
慶邦公が顔をしかめたのを見た但木は、
「何を言いだすのだ」
両手をさしのべて、三好をたしなめた。
建白書は朝廷には届かず、あげくの果てに会津討伐の御沙汰と錦旗。慶邦公としては奥羽諸藩に面目がたたないのであろう。心労からか、瞼のあたりが陰っている。
「しかし、お屋形さま……」
「もうよいのだ。追って御沙汰があるまで、自宅で休んでおるがよかろう」
 京で建白の建言は時機遅れと差し止めながら、心無くも但木は、三好の口を封じる。
「しばらく」
文七郎は、末席から声を上げた。
「三好どのは、お屋形さまの代理として、京の情勢をかんがみてのこと。それを容赦なく聞き捨てるとは、あまりにも身勝手なことではありませぬか。すでに世の中は一変して、薩長の重臣が朝廷を牛耳っても、朝廷の御沙汰にかわりはございません」
「なんだと、もういちど云っても見」
坂は身を乗り出さんばかりだ。
「正宗公以来、仙台藩は天皇崇拝でした。お屋形さま、仙台は仙台です。他藩の世話になった覚えはございません。他藩の言動に惑わされてはなりません」
少なからず他藩に責任の転嫁をしたこともあった一門は、動揺したようすだ。
「口を慎め、文七郎」
但木が文七郎を指した。
「文七郎めは、京屋敷でも要らざることを口にしてかき乱しよった。謹慎だ。文七郎と三好は、謹慎だ」
但木は思慮のない顔でわめいた。三好とともに、文七郎は、但木に謹慎を命ぜられたのである。

冷たい雨がみぞれに変わった。
表戸が鳴って、玄関先がさわがしい。妻が誰かと語っている声がする。はて、声の主は坂本大炊のようだが。出迎えると、坂本が興奮したようすで突っ立っている。
「松島に鎮撫使が到着しました。文七郎さま、すぐに登城してください」
来たか。心待ちにしていた奥羽鎮撫使が、海を渡って、仙台領松島湾に到着したのだ。
「して、お屋形さまの怒りは」
「それどころじゃございません。城内では鎮撫使の受け入れ態勢ができておらんので、てんてこ舞いなのです」
 文七郎は、無駄に過ごした日が悔しかった。ともかくも、登城の命令が出て、心に早鐘がなった。何事も後手に回っては良策など浮かばぬものだ。
妻が上がり框に凛として正座している。
「予想が現実となった。これから先には何が起こるかわからん」
「何があろうと、おなごは覚悟ができております」
「頼みますぞ。それから、子供たちのことだが、しつけは怠らぬように」
「はい。文武にはげみ、伊達家のためには命を惜しまぬよう、常々申し付けております」
「子のためにも、新しい国を目指さねばならん。父を誉れと思うよう、勤めて見せようぞ」
「お祈りを申し上げます」
妻が面を伏せて見送ると、文七郎がうなずいた。
息せき切って登城すると、但木が取り乱していた。
「文七郎は鎮撫使に面識があるので、接待役を申しつける。三好監物にも登城するよう使いを向けてある」
「御意」
「わしは、お屋形さまに従って、後ほど、駕籠で松島に向かうからな。腰痛が治らんので、歩くのも辛いのじゃ」
但木は腰を労わりながら、理由もなく小股で歩き回った。
文七郎は、早馬に跨がり松島をめざした。馬に鞭を入れる。たてがみがみぞれまじりの潮風に吹かれた。面のほてりを感じた。朝廷に従うのが伊達家の生き残る道。皇政維新の暁には開国、貿易、世界は広い。長州藩士品川弥二郎、頼りない御仁じゃが、護ってやらねば。松島湾東名浜海岸はみぞれにさえぎられて、薩摩藩、長州藩、肥前藩の兵が船内で待機していた。
先導は仙台藩の宮城丸。仙台藩士大越文五郎隊長が、京で三好が率いた二○○の兵を束ねている。続行は紀州の軍艦。奥羽鎮撫使総督九条道孝、副総督沢為量、参謀醍醐忠敬、公卿総督参謀付の兵士一四四人。芸州の汽船万年丸。薩摩藩大山格之助以下藩士八六人、雑兵役夫一二八人。長州藩世良修蔵以下藩士一○六人、雑兵役夫三○人。筑前藩士一○○人、雑兵役夫三六人。
すでに、三好が出迎えていた。大荒れの海路を先導してきた大越文五郎が三好に歩み寄った。
「兵士たちは長旅とこの寒さで参っています。受け入れ態勢はいかように」
仙台藩の動向が気になっていたようだ。
「出来てはおらん。この場に及んで、京の状勢を知らぬ連中が、薩摩の作為じゃと、渋っておる」
「こまったものだ。せめて総督さまだけでも、休息させてやりたい」
東名浜海岸の嵐は視界を遮り薄暗く、まるで、奥羽の行く末を暗示しているようだった。
三好の取り計らいで、東名の漁民、名主山本久米蔵の屋敷に公卿連中を宿泊させた。
「まず、長州藩の品川弥二郎、薩摩藩の黒田清隆に面会したい」
この嵐だから、船の中にでもおるのかと、文七郎は思っていた。
「そのことですが、役職の変更がございました。奥羽は国状におくれ、抜きんでて知恵のある人物もござらんので、公卿と参謀の人選は、それらを心して慎重に充てるように」
奥羽鎮撫使の人選には、西郷吉之助の特別な謀で、出立の前日、黒田から大山格之助。品川から世良修蔵の大物が抜擢された。
「大山に世良か、存ぜぬ。それに奥羽には抜きんでた大物がいないとは。そんなこともあるまい」
三好は鼻であしらうが、それは、的を射ているではないか。文七郎は苦笑した。
鎮撫使が仙台城下に到着するのは、できるだけ遅いがよい。明日、晴れたら松島湾を遊覧する。それまでに慶邦公は松島の観瀾亭に着くであろう。そこで面会をする。接待役は手際よく采配した。
公卿連中は漁民の屋敷に安息して、翌日、御船で松島湾内を遊覧した。風雨に晒され、岩壁に突き出す古木の枝。大小二百を超えるともいわれる奇怪な島々に生える松。昨日の時化は一変して、まれにみる朝陽に波頭が輝いた。
九条総督は、感嘆の声をあげて御船から身をのりだした。
「やや、あれは奇怪な島でござるのう」
「仁王島でございます」
文七郎が説明をする。
「幾千年、風雨の浸食がかもしだした島です。奥羽諸藩は、あの松根のごとく、逞しく、そして、しぶとくございます。とくと御覧くだされ」
 暗に奥羽の手ごわさをたとえた。
「さようか。京の雑多など忘れて、ここは和歌の天地でござるな」
総督は始終にこやかであった。
一方の仙台藩主伊達慶邦公は行列を従えて、松島海岸の月見崎の突端にある観瀾亭に入った。観瀾亭は藩主の別荘である。
慶邦公が九条総督に面会して長旅をねぎらうと、その落ち着き払って堂々とした恰幅は、鎮撫使たちを圧倒した。
席上、長州藩世良修蔵が但木土佐に向かって、思いもよらぬことを言った。
「鎮撫使としては、会津討伐の出兵の準備ができていると聞かされて上陸したが、いまだに動きがないのはどうしたことじゃ。朝廷を軽んじておるのではあるまいの」
それは、上洛をしなかった慶邦公に浴びせたような口ぶりだった。但木に恐れるようすはなかった。
「滅相もござらぬ、ただいま米沢藩などと協議しているところです」
「他藩との協議など必要ござらん。貴殿は朝廷の沙汰を忘れはしまい。ただちに出兵にとりかかりませ」
「なぜ、そう急ぐのです。仙台には仙台の都合があるのですぞ」
「遅れれば、それだけむつかしくなるのじゃ」
但木は世良から、薩摩藩大山格之助に向き直った。
「ここは仙台領地です。昨夜は浜に逗留しておった江戸の
商船を、わが藩に断りもなく没収したというではないか。
仙台領地を土足で踏みにじる真似はご遠慮ねがいたい」
大山格之助が声高に言い返した。
「あの商船は幕府の鑑札を所持しておった。幕府が消滅したからには、没収するのが当然であろう。そのような訳の分からんことをいっちょるなら、商船は盛岡藩にあずける。品物は、鎮撫使隊の宿泊費用に充てるつもりだ。不服はあるまい」
大山と世良は、かわるがわる但木の首根を押さえつけるようなことを言った。
但木の顔が歪んだ。痛んだ腰がより酷くなったようすだ。この時、大山、世良なる両名が、仙台藩を愚弄したと、家臣たちが思い込んでのことだろう、そこここでざわめきが起こった。慶邦は、船旅の労を慰めたほかは一言も口を開かなかった。

     七

遊覧の後、接待役の文七郎、三好は、仙台城下の養賢堂に、奥羽総督府設置の準備に取りかかった。
「養賢堂は仙台藩の聖なる学問所です。総督府に明け渡すことはなりませぬ」
養賢堂の学頭や会津救済の連中が反攻する。しかし、仙台城から総督府が遠くになると不便になり、近づきすぎるとお互いに干渉することになりかねない。総督府は、遠からず近からず、格好の場所であった。
総督府には、早々に平藩など奥羽諸藩の藩主が表敬訪問におとずれ、九条総督に面会して会津討伐の要請に応えた。
「総督府は会津への出兵を急かすが、その前に、会津との仲裁をしなければならない」
但木は会津に使者を立てた。しかし、会津は遠く、米沢領を踏んで、険しい山道を幾重にも越えねばならないので、とうてい日数がたりない。
出兵の見通しが立たないことに、痺れを切らした薩長兵が、城下町の盛り場に溢れだした。茶屋女や女郎だけでは酌婦が足りず、百姓女もかりだされた。兵たちは恥も外聞も無く酔って女に絡んだ。
「仙台には戦力がないのじゃ。そうではないか、早々に会津を討つべきじゃ」
仙台藩の出兵の遅れを、薩長の兵がなじり嘲笑した。
さらに手拍子を打ち、箸で椀を叩いて、竹に雀を袋に入れて、後においらのものとする、などと囃し立てたりした。竹に雀は伊達家の家紋である。
突如、百姓女が立ち上がって、兵を見据えると、力まかせに兵の頬を平手で打った。徳利が倒れ、皿が飛び散り、茶屋が騒然となった。兵は憤慨したようすだったが、百姓女の凄い剣幕に、すっかり気圧された感じだ。
「仙台の女を馬鹿にするんじゃねえよ」
百姓女の尻に手を回したというのだ。
「美人が怒ると、恐ろしや」
お互いを肴にし合って、茶屋に笑いが上がった。
「それにしても、仙台の男衆は手ぬるい。女にかなわんとちがうんか」
笑いに笑いが誘った。
あまりの侮辱に庶民は耳をふさぎ、眼をそむける。仙台藩士は事を荒立ててはならない、何事も穏便にと我慢している。
「女郎屋や湯屋などは、下々の者が戯れる場所であって。武士が同宿して快楽に耽るなど以っての外、南洲兵は卑しい奴らだ」
我慢も限界であった。
千鳥足で肩を組み合った南州兵と、城下の夜警にあたった仙台藩士が、些細なことで口論になる。城下はいつ破裂するか知れない緊張が漂った。文七郎は見かねて、長州藩隊長桂太郎を訪ねた。
総督府近くの空き地で、桂太郎は百数名の兵士の軍事訓練をしていた。太鼓の音にあわせて四列が縦隊となり、大円を描くような行軍の最中であった。兵士の手足も緊張をみなぎらせて躍動している。
文七郎は行軍をしばし眺めた。これが西洋式の訓練か。笠に蓑の仙台とは随分の違いを感じた。
「おや、文七郎さんではないですか」
 桂は指揮を半隊長にまかせて、浅黒い顔に笑みをたたえて寄ってきた。
「これは、みごとな隊伍の行軍じゃ」
「数十人ならともかく、このように百人以上の縦隊となると、歩度を合わせて行軍しないと隊列が乱れます。歩度を合わせる手段として太鼓を鳴らすのです」
桂は胸をはった。
「なるほど」
槍や火縄銃の古式からみると、銃の威力が勝った西洋式の訓練からは見習うことが多かった。
「薩長の兵は、生まれた時から諸外国に脅されて育ちました。秦の国のように奴隷にされてしまう危惧もあり、一新紀元を画す、わしらの目指すところです」
意気揚々と語った。
「ところで」
「何事でござる」
「城下には昨夜も見回りの仙台兵士と南州兵のいざこざがあったらしい」
「それは、まことに遺憾でござる。わしらを疑ってござるのか」
桂は笑った。
「奴らは正当な薩長の総督府護衛軍隊ではありません。薩長の脱走兵が徘徊して、奥羽の人心を惑わしておるのでござる」
「そうだったか。佐幕派の連中がまぎれこんで、鎮撫を妨害しているとすれば、油断がなりませんな」
文七郎はため息をついた。太鼓の音がひときわ威勢を放って、軍隊の足音も乱れがなかった。

鎮撫使が仙台に到着してから、すでに十日が過ぎた。鎮撫日程ではとうに会津を降伏させている。
榴ケ岡には桜の蕾が膨み、開花の時季であった。料亭梅林亭では、仙台藩監察朽木五左衛門の接待で花見の宴が催された。これも出兵を遅らせる意図が含まれている。
梅林亭の戸が開け放され、芸子たちが三味線で舞い踊る。宴会の最中、次の間で、文七郎と三好監物、世良修蔵が酒を酌み交わした。
「よいか、三好どの。毎日出兵の訓練ばかりでは先に進まぬ。明日にでも出兵の準備をなされませ」
「世良どのは気忙しい御仁じゃ、この桜景色を御覧くだされ、仙台は鳥の囀りさえ、のんびりしておるのじゃ」
 三好は腹をゆさぶって笑った。その恰好の無様に世良が眉をひそめる。
「それから、幕領や代官所など幕府直属の物は、ただちに取り潰して、出陣の経費に充てるので、依存あるまい」
世良と三好の問答は、狐と狸の化かし合いに似ていた。
「仙台兵は戦を好まぬ。それに、酒宴の最中に堅苦しい話は禁句じゃ」
文七郎は、周りを気にして耳をそばだてた。このような気の置けない座敷で、口任せはならぬ。佐幕派の怨みつらみの口実になるのだ。すでに不穏な空気が流れている。
「そのような屁っ放り腰では、皇政維新は望めぬ。性根を叩き直さねばならんぞ」
世良が宙をにらんだ。
「酒など口にしては、殉国の士にすまぬ」
蛤御門の戦いでも思い出したのだろう、世良が杯を伏せた。
色づいた花も蕾も世良には見えぬらしい。背後に忍び寄る気配に、文七郎は飲みかけの杯を手放した。振り向けば、九条総督の御目付役戸田主水が何か言いたげだ。戸田は世良が苦手らしい。
世良が戸田を凝視している。
総督の御目付役の戸田には、鎮撫の責務を抱いた世良の胸中など察し得ないであろう。奥羽に乗り込めば、いつしか奥羽諸藩が会津藩を平伏させるだろうと、気楽に日々を過ごしているようだ。
「その眼はなんじゃ、世良どのはその眼でいつも総督さまを脅かすのじゃ」
 立ちすくむ戸田に、転機をきかした仙台藩士朽木五左衛門が誘い込んで、榴ケ岡の梅林亭から程近い料亭に連れだした。
文七郎は何食わぬ顔でぶらりと外に出た。
席を改めて朽木五左衛門は芸子の酌で戸田主水をもてなしている。
「さあ、飲みなおしてくださりませ」
脇息にもたれこんで、酔眼を浮つかせて、戸田は流暢だった。
「仙台藩は六十二万石の大藩じゃ。のう朽木どの。仙台藩には仙台藩の事情があるのであろう」
「はっ、さようでござります」
「世良修蔵のように、仙台藩は怠慢じゃと、叱りとがめて何になる。それよりも仙台藩に身をゆだねて、会津藩を降伏させるのが得策じゃ。会津藩は仙台藩が始末をつけてくれようのう、朽木どの。それにしても京都の賑わいにくらべると、盛り場も通り一片」
余りにも質素な土地柄に戸田は退屈を感じていたのだろう。
「戸田さまの御立腹は当然でござります。何と申しましても戸田さまは、総督さまの御目付にござります。総督御目付ともなれば、下参謀などかなわぬ身分でござりましょう。気を取り直して、仙台藩を九条さまにお取次ぎくださりませ」
 下参謀以上の実力と言われて、戸田は身を起こした。
「そうか。朽木どのは戸田主水を認めてくれるのか。今夜は愉快でたまらぬ。世良の眼はいつも胃臓を締めつける。それに三好監物なる者、奴も気に食わぬ」
「三好がどうかなさりましたか」
「三好監物などは、頑固な気性で世良と気があうらしい。さんざん太政官から言い含められて、慶邦公の建白書など、ただの紙切れとしか思っておらんかったのじゃ、京でも」
戸田はまだ飲み足りないらしく、膳に手を伸ばして杯をとりあげた。
「これっ」
朽木が芸子に目配せをする。
芸子は戸田の杯に徳利をかたむけて、飲み干したのを見届けると、科をつくってよりかかり、大腿に手を添える。  
戸田は猿のように赤い顔をして酒臭い息を吐いた。芸子の色香と酒肴が戸田を泥酔させる。薩長の泣きどころを探れば、薩長を非難する恰好な口実となると見た朽木の企みであろう。文七郎は厠に立つふりをして、座敷の戸口から離れた。
総督に上言するには、藩主が自ら総督府に出処しなければならず大儀である。総督御目付を仙台藩佐幕派の掌中におけば、総督府の内情は筒抜けに知ることができる。この日から戸田は仙台城と総督府を堂々と行き来するようになった。

総督府が仙台城下に設営されるとまもなく、副総督沢為量を指揮のもとに、薩摩藩大山格之助が率いる薩摩隊が庄内に遠征し、長州隊が会津と二手に分かれた。庄内藩と会津藩を分断する狙いであったろう。送り出した九条総督が、会津出兵を急ぐほど、仙台藩では会津を説得する日数が足りなくなる。いつしか、仙台藩佐幕派の額兵隊と称する血気盛んな連中の恨みが燃えていた。
この頃、総督府の近くに火災が発生した。これはまさしく総督府に対しての嫌がらせである。これに反発して長州兵が暴動を起こしては、仙台城下が火に舐め尽くされる恐れがある。文七郎は、総督府が仙台城下を離れることを目論んで、総督府に出向いた。
「三好どのを知らぬか。今朝から姿がみえん。こうのんびりでは気が滅入ってどうにもならん」
世良が三好を探しているところに出喰した。
「それでは、一歩前進と参りますかな」
文七郎は、うん、と咽のつかえを払った。
「何事じゃ」
「総督府が仙台城下では、余りにも会津と距離が遠くござる。総督府を南方に移転してはいかがか」
「わしもそう思っちょる。出兵、出兵と掛け声ばかりでは、気があせってならん。それに一日過ぎれば、それだけ会津討伐はむつかしくなるのだ」
「まず、それがしが仙台の出兵準備をうながします。世良どのは総督府の移転の準備をなされませ」
世良の目が輝いた。
外に声高な笑いがして、三好監物が長い包みを抱えて入ってきた。
「よおっ、世良どの。頼まれておった絵図でござる」
「なに、絵図が手に入ったのか。絵図があって、出兵も一歩前進。本日は吉日であろう」
周りの長州藩士も笑いを上げた。
三好が、畳半畳ほどの絵図を広げると、世良、文七郎が取り囲んだ。絵図には、起伏する緑色の山々があり、その狭間を縫うように群青色の川が流れている。平地には朱色の奥州街道が走り、枝道も四方に走っている。要所には宿場が記されていた。
会津城に向かうには、まず、仙台領の白石から七ヶ宿をとおり米沢領に入り、そして会津に入る。ここは、仙台、米沢、会津の折衝の道で、鎮撫使を入れるわけにはいかない。そして次、福島宿から吾妻山麓を越えて会津に入る。険しい山だが、日程を稼ぐには良い。二本松領から会津、白河から会津は平坦な道がつづいて最適だ。
世良が吾妻山麓を指さした。
「会津討伐は、福島がいちばん近道か」
「吾妻山麓は、険しくて大砲を担ぎ上げるのは容易でありません」
「福島の百姓衆を使いばよいではないか」
「この農繁期に応じてくれるかどうかわかりません」
「年貢を免除するといえば、文句は言わんだろう」
 うむ、文七郎が腕を組んだ。一気に他藩の領地では、但木さまが許すまい。
三好は興奮気味だ。
「とりあえず途中の岩沼はどうであろう。頃合を見計らって福島、白河と進んで、やがて北上する大総督を白河で待ち、指揮を仰ぐ」
「それがよい、仙台領では何も進展することがない」
世良は手を打って喜んだ。
総督府の移転は即日、仙台藩に伝えられた。

 慶邦公の膝元で、但木土佐と坂英力が策を練っていた。
「総督府が他領に移転しては不便をきたしましょう。やはり、下参謀に悪智恵をつける者がおるのです」 
坂が肩を怒らせた。
「逆心者か」
慶邦公が脇息を手放した。
「三好監物でございます。我藩の動きは、総督府に筒抜けでござります。坂本大炊もです」
「あの三好が、まことか」
 慶邦は心労から血色が良くなかった。
但木が首を横に振ってこれを否定する。
「心配御無用にござる。これを逆手に利用するのです」
「はよう言って見」
「城下に総督府があっては、諸藩の使者が双方に気遣います。総督府が岩沼というのなら放任すればよろしかろう」
「まだ、会津からの返答も来ぬのに、総督府が離れては不便をきたさぬのか」
「総督府が他領に移れば、総督府に何が起ろうと、我藩には一切関わりのないことです」
「なるほど」
但木と坂が顔を見合わせて含み笑いをした。
「じゃが、これ以上出兵を延期するのは、総督府の怒りを煽るだけです。お屋形さま、そろそろ腰を上げてくださりませ。但し、牛歩のごとくですぞ」
但木は含み笑いを引きずっている。
「その間に、会津を無血降伏の説得に努めます。奥羽列藩が同盟を結び、同盟主の仙台藩が取り成せば、会津藩はかならず譲歩するでしょう。この財政の窮迫しておる時機に、戦に関わりあうのは、まっぴら御免こうむる」
坂が但木の調子に合わせる。
「それに、お屋形さま、会津に進軍となれば、文七郎、三好の一切の接待役を解いて、排斥せねばなりません」
「それでは、総督府がわしを疑いはせぬか。せめて文七郎だけでも接待させたいが」
「それは、なりませぬ。それがしどもが付き添って、旨いこと謀りましょう」
但木は事態を楽観している。
「よしなに」
そう言って慶邦公は口をつぐんだ。
 三好監物は蟄居。文七郎はまたも謹慎を命ぜられた。

弥生の下旬になると、いくらか日が高くなって、すっかり葉桜に変った。それでも日が暮れると炭火が欲しくなる。仙台の大年寺の役僧、法印坊が慶邦公の密命を携えて文七郎を尋ねてきた。
「大儀である」
招き入れて、書簡を拝読する。他藩は信じられぬ、偵察して随時報せよ、の内容が含まれている。
法印坊のようすを見ると、膝の上に拳を震わしている。
「三好監物さまが、老いた母上さまと連れ立って、人知れず黄海村に去って行かれました」
文七郎は言葉がでなかった。さぞ、無念だったろう、三好の悔しさに己れの悔しさを重ねて合わせて宙を向いた。熱いものが込み上げる。
やがて法印坊が時刻を気にしたようだ。
「会津には、新撰組の生き残り、幕府や水戸の浪士が若松城外に、ぞくぞくと集結しているらしいのです」
「とるに足らぬ連中が、死に場所をもとめて会津に来て、会津を惑わしておるのだろう。そうなると、無血降伏など、一筋縄ではいくまい。但木さまは会津の底力を甘く見ておる」
「わたしは、諸藩の神社や仏閣を宿坊にして探索いたします」
「わしとて、屋敷にこもってはおれん」
屋敷の裏門は開け放されている。
 
     八

世良修蔵は、但木土佐を総督府に呼び寄せた。但木は背を丸く座して、不機嫌な顔をしている。
「参謀どの。呼びつけるとは、何事でござる」
世良の口尻がゆがんだ。腹が煮えくり返る思いなのだろう。 
「会津と内通していると聞いた。出兵を遅らせるのはそのためか」
「誰が、そのようなことを。まさか、文七郎ではあるまい。仙台藩は間もなく出兵することになっている。わしを勘繰るのも甚だしい」
但木は平然としている。
「それに、総督府付きの三好監物が、お役御免とはどう言うことか。いちいち総督府に逆らうのなら、総督府を盛岡藩に移すので、それでもよろしいか」
すでに、奥羽鎮撫使副総督と薩摩藩は盛岡に遠征していた。
「お待ちなされ。人事については我藩の内情なので、いちいち口出しは無用でござる。後任としては、すでに大越文五郎を決めておるので、ご容赦くだされ」
大越文五郎は、鎮撫使を京から仙台までの長旅を案内してきた。三好ほどの人物ではないが、気心は知れている。
「さようか、それでは、大越どのと日程を組んで白河へ進むので、そのつもりで」
「いかようにでもなされたらよろしかろう」
荒々しく草履をはいて、総督府を去る但木を、世良は窓越しに見た。どういうわけか、反りが合わない。鎮撫使を疎むばかりで、本心がつかめないらしい。
まもなく、大越隊を先頭に、鎮撫使一行が歩んだ。奥州街道を岩沼、白石、福島、そして白河の小峰城を本陣として、そこから会津を攻める。負担の少ない作戦であった。

世良は、仙台の地を踏んで以来、仙台藩も、朝晩の霜の立つような寒さも肌になじめなかった。風邪にやられて身体がだるいせいか、持病の痔が悪化して、とても馬に跨るところではなかった。世良は岩沼宿で駕籠を降りた。
さしあたって、九条総督と側近を岩沼に逗留させ、隊は出立することにしている。
東浜の海は波立っている。ここの港から、船が出て米やその他の物資が、江戸に運航されているらしい。ああ、潮の匂いだ。郷里の周防大島の渦潮を懐かしく思った。子供の頃は大島を巡るのがすきで、島の頂上に登って、海を走る外国船を不安げに眺めたものだ。
「参謀さま」
世良の駕籠を担いてきた駕籠担ぎが平伏した。強壮な身体の若者であった。
「世の中が変わるのでございますか」
世良を見上げた。
「そうじゃ、侍も、百姓も、鍛冶屋も、あきんども、みんなが平等に暮らせる世の中になるのじゃ」
若者の目が輝いた。
「わしらのような駕籠担ぎも、お願いすれば叶うのでございますか」
「なんじゃ、申して見」
「これからは、駕籠ではなく馬の時代かと思います。そうなったら、わしらは駕籠担ぎをやめて、馬具屋を始めとうございます」
「おおぅ、そういうことじゃ。これからは、古きにこだわらず、前向きに生きねばならん。新しい国をつくるのは、おまえたちのような若者じゃ」
「それでは、参謀さま。後々のために、お墨付きをいただきとうございます」
「なるほど、確りした若者じゃ。それなら、そのようにいたそう、後に総督府まで参られよ」
世良は、若者の肩をたたいて大いに力づけた。

文七郎は深編み笠をかしげた。一部始終を見届けねばならん。
岩沼の八島本陣(検断屋敷)では、総督一行の出入りで物々しかったが、一刻後には門を閉じて静まった。しばらく道端の大木に身を添わせて、大越文五郎が本陣から現れるのを待った。打ち合わせがある。しばらくして本陣の前に人が立った。来たか、文七郎が通りにでた。
「これは、文七郎さま、どうしてここに。それがしひとりでは心細く思っていたところです。九条総督と側近を休息させましたので、それがしは、これから、世良下参謀隊を福島城下に御案内します」
「仙台藩兵の宿泊はどのようになっておる」
「仙台兵は隊列を組んでみたものの、戦う意志はなく、気楽なものです。この先の白石城下に本部を設ける、と言って向かいました」
「計画通りなのか」
「はい。気がかりなのは会津の降伏承諾です。但木さまが七ヶ宿には向かいました」
じゃが、但木の筋書きとおりにはいかないだろう。
「それがしは、これから七ヶ宿に向かう。それから白石城に戻り、福島、白河に向かうつもりだ。いつもお主らの傍におるので安心いたせ」
一連の行動を大越に知らせると、深編み笠の前をあげた。すでに七ヶ宿には法印坊が向かっている。
雪どけの水が道添えの川を流れている。木々が芽吹いて、ほどよく湿りをおびた風がとおりすぎている。
文七郎は、足裏に石畳のここちを感じながら七ヶ宿街道を歩んだ。七ヶ宿は仙台領の西南端で、上戸沢宿、下戸沢宿、渡瀬宿、関宿、滑津宿、峠田宿、湯原宿がある。
湯原宿は上山藩領で、北の道は庄内藩領、南に向かうと米沢藩領、山河を越えれば会津藩の領地になる。
街道は、参勤交代や出羽三山の参拝者などの往来が多く、人馬が途切れることはなかった。
下戸沢宿には仙台藩御番所があり、御番所の周りには木柵が巡らされて、旅人が集まりとどまって検問をうけている。
文七郎は御番所に立ち寄って深編み笠を外した。奥に座した御境横目役(役人)が、目敏く見つけたらしい。慌てたそぶりで御番所を下りてきた。
「これは、遠藤文七郎さま」
御境横目役は平伏した。何の疑いもなく、
「一刻まえに、真田喜平太さま。先ほど、但木土佐さまと坂英力さまの駕籠がとおりすぎました」
文七郎の行く先は但木と同じ関宿本陣と思ったらしい。
足取りが速くなった。渡瀬宿をすぎて関宿に入ると茅葺屋根が連なり、ひときわ格式のある門構えが、関宿本陣『渡辺家』。参勤交代には、藩主と従者二百名が宿泊できる大宿である。
両側には旅籠屋や草鞋などをぶらさげた雑貨屋、飯屋、駕籠担ぎ、馬の世話など、関の民はみな宿場にかかわって暮らしているのである。
関宿本陣から目先の旅籠屋の二階の軒先に『権現宿坊』の看板がさがっていた。出羽三山に詣でる修験者が多く宿泊するので、わかりやすい屋号にしたのだろう。入口の格子には法印坊の㊞じるしの笠がかかっていた。この宿だな。本陣のような門構えの豪華な構えではないが、恰好の宿だった。暖簾をくぐると、主人が腰を低くして出迎えた。街道に面した二階の部屋で法印坊が、待ちくたびれたようすで煙草を吹かしている。文七郎を見ると、煙管をおさめて居住まいを正した。
法印坊は障子戸を半尺ほど開けた。
「向いに関本陣がみえます。家老とおぼしき者たちが連れ立って、本陣に入ったようです。それから、意外なことを耳にしました。二日前に、庄内藩が会津藩に出向いて、会庄同盟を結んだようです」
「どういうことだ」
一瞬、文七郎は京と江戸に思いを馳せて、国をゆるがした事件を思い出した。
『禁門の変』の長州藩の降伏条件は、岩国へ入った西郷と岩国藩主吉川との会談により決定した。その条件とは、藩主の罪は家臣の責任。おもだった人物の斬首や切腹である。徳山藩領で、長州藩家老、国司親相と益田親施が切腹。翌日に岩国藩領で、福原元僴が切腹。同日に四人の参謀も野山獄で斬首されたと聞いている。
次に、薩摩藩が江戸を騒乱させた事件の結末は、庄内藩の交渉役が薩摩藩邸に出向いて交渉した。
「賊徒の浪士を武装解除したうえで、一人残らず引き渡すよう」
これを薩摩藩士が拒むと、藩邸の外からの砲撃を合図に、討ち入りが開始された。
この焼き討ちによる死者は、薩摩藩邸や使用人、浪士が六十四人。また、捕獲された浪士たちは百十二人におよんだ。一方、攻めの上山藩が九人、庄内藩が二人の計十一人であった。
その庄内藩と同盟を結んだ会津藩が、関宿会談に臨んでいる。
「米沢とて信じがたい。越後から米沢に移封のとき、徳川に没収された旧領が欲しいと、言ったそうではないか」
「仙台藩は奥羽の雄藩などとおだてられて、踊らされているのではありませんか。情けない」
法印坊の考えが正しいかもしれない。この関宿会談は、諸藩それぞれが、腹中に一物を持って参集している。はたして、但木家老の大ざっぱな考えで大事を成せるものなのか。
「関宿でも、神官や僧侶は、われわれの味方でございます。いずれ会談のようすも、本陣の信心深い者から神官の耳に届くでしょう」
「いや、まて。本陣には、我々と同じ考えで、白石城の真田喜平太と申す者がおる。この宿で、面会してみたい」
真田喜平太は、白石城の片倉小十郎の従者として、ときどき仙台城に姿をみせている。勤皇派である。
「承知しました」
法印坊は腰を上げた。
法印坊と入れかわりに、宿の主人が、徳利に塩焼きの川魚、山菜の胡麻和えを添えて上がってきた。
膳を文七郎の膝元によせて、
「今朝釣りの岩魚の塩焼きでございます。どうぞお召し上がりになってくださいませ」
主人は、文七郎の杯に徳利をかたむけた。
「本陣では、お偉い方々がお集まりのようで。たいそうな気遣いで魚を吟味したとか。それから、近ごろは、街道を庄内藩や久保田藩の方々が足しげくとおられます、なにか好いことがあるのでございますか」
宿場の民は、街道を往来する物々しさを気づかないはずがなかった。
「そうだ、好いことが興るのだ。新しい世の中になるのだ」
しかし、それには難題が山積みされている。
「それは、おめでたいことなのでございますね。それでは、もう一本お持ちいたしましょう」
主人は手もみをしながら下がった。
会津藩は京の出兵で相当の痛手を被って、すでに戦力はあらかた使い果たしている。会津藩の降伏承諾で会津討伐騒動は落着にしたい、と但木の謀りごとだが、はたしてどうか。すでに、会談は始まっているようすだ。
文七郎は、本陣の門から目を逸らせて、ぴたりと戸を閉じた。関宿会談を但木に任せておくのが残念でならなかった。
七ヶ宿をかこむ四方の山は高い。すでに陽がかげっている。
法印坊に連れられて真田喜平太が部屋に入ってきた。徳川家康と戦った真田幸村の子孫らしい。肌黒の顔には太眉が横たわり、目尻が吊り上り、鼻の下には髭を蓄えている。
「ご足労をおかけして恐縮です」
文七郎が労うと、真田の顔は晴れなかった。
「会談も無事におわり、腹ごしらえをして、諸家老たちは国元にもどりました。但木さまと坂英力は駕籠で白石に向かいましたが、わしは徒歩です。本陣の門前で先ほど偶然にも法印坊どのに声をかけられた次第です」
真田は、そう言って、会談のようすを語りはじめた。

関本陣の裏戸が開け放されて、早瀬の音がひびく。但木は、会津藩の使者梶原平馬に、
「京の出陣には敬服いたします」
鳥羽伏見の戦いを労うと、梶原の顔に悲痛な陰が宿った。すでに、降伏御申入は、米沢の斡旋で、会津藩に差し出してある。返事を待つ緊張した一瞬、家老たちが耳を立てる、安危の分かれ目だ。三つの条件とは。
第一 若松開城
第二 肥後守殿城外に御謹慎
  第三 謀主の首級御差出
「覚悟なされたか」
但木が訊ねると、梶原は膝の拳を握りしめた。
「第一、若松開城は覚悟して参った。第二、藩主とて不服はござらぬ」
但木の顔がすこしほころんだかに見えた。
「じゃが……」
梶原の眼が血走った。
「第三、謀主の首級差出は納得できませぬ」
但木がおもわず姿勢を正した。
「この場に及んで何を申すか」
「会津領民の犠牲を強いてまで、京都守護職の任務は、すべて帝の守護でした。時勢が一変したからとて、朝敵と汚名を被せられたままでは、納得できませぬ」
「それでは総督府が承知すまい。会津を戦火に巻き込んで、再度、家臣や民に犠牲を負わせることもあるまい」
謀主の首級差出というのは、藩主の禍を一身に負う義人のことである。
「会津は、鳥羽伏見の戦いで、首級差出の重職も、あまたの兵士も失いました。殉士の道義は、己れの道義でもあり、すべて覚悟の上でござります」
梶原の毅然とした態度には、仙台藩六十二万石の権威などまったく通じなかった。
「貴藩には同情するが、総督府はすでに岩沼に移った。徐々に福島、白河に向うことになっておる。よいか、日程はぎりぎりまで来ておるのだぞ」
梶原は、第三の件について、頑なに拒み続けた。二、三の首級か、会津を火の海にするか、の決断は一目瞭然ではないか。誰もが不審を抱いた。
梶原は微動だせずに正座している。
「たとえ、会津で謀主の首級差出をしても、長州、薩摩の怨念は強く、戦闘は免れないでしょう」
意外なことを言った。
「なぜ、そう決め付ける。仙台を信じられんのか、どうなのだ。謀主の首級御差出は、熟慮して、必ず実行するように申し渡す。城に戻られてそう伝えられよ」
但木は梶原を若輩な者と見たのだろう。己れの筋書きを一方的に押し付けたのである。
「これにて奥羽騒動は落着にしたいものだ」
但木は、諸家老と喜平太を見て、うまくやったと、言わんばかりの顔つきをした。
会津藩は謀主の首級差出は納得がいかぬらしいが、長州藩では、蛤御門の騒乱の責任を取って、益田家老たち三家老が自刃。兜級は安芸に滞在していた幕軍の使者が検分、という悲惨なめに遭っている。世良家は益田家の家臣であるのを、会津は知っているのだろうか、文七郎は思った。

ここから先は、旅籠屋もなく、往来の足音がとぎれる刻だった。川音がひびき、星明りをたよりに、文七郎と真田、法印坊が白石城にむかって谷の道をすすんだ。白石城は仙台領の南部に位置し、慶邦公の家臣片倉小十郎の居住であった。
仙台城下を出立した奥羽鎮撫使の一行を岩沼の八島本陣に逗留させて、仙台隊は白石城に本部を設けた。そこには慶邦公がいるはずである。文七郎は黙々と先を急いだ。城下に入ると、法印坊は、世良のいる福島城下に向かって姿を消した。
白石城は、幕府の一国一城制の対象外とされていた。仙台藩の支城として、本丸、二の丸を中心に、幾重にも外郭を備えた堅城である。大手門からは道幅がかわり、鍵の手に折れ、天守の代用の三階櫓が姿を現した。大櫓が闇に浮かんでいる。真田に従って文七郎は白石城内に入り、城内が寝静まるころに慶邦公に呼ばれた。
「関宿の会談では、会津の使者が首級の差出を執拗に拒んで、不可解ながら、庄内と同盟を結んだそうです」
慶邦公が脇息から身を起こした。
「まさか、会津と庄内は朝廷と一戦を交えるつもりではあるまい」
「真意はわかりませんが、なにやらを画策しているようです」
「二股をかけたのか。わしを信じられんということか」
「朝廷軍は、ひと藩ずつしらみ潰しに攻めてきます。朝廷軍が優勢とみれば、諸藩は必ず朝廷に寝返ります。そうなれば奥羽連盟は総崩れです」
「起こり得るかの」
「まだ遅くはありません。まず、わが藩が錦の旗をかかげて、それぞれに諸藩を降伏させるべきです。米沢が使者をたてて、諸藩を取り成しておりますが、これらはすべて仙台の傘に甘んじてのこと。米沢は口が過ぎます」
「会津を見捨てるのか」
「そうではござりません。会津は会津の考えに任せるのです。慶喜公のように、恩赦はないと思われます」
慶邦公の目玉がぎょろりと動いた。

     九 

会津藩には、やむを得ず、降伏の犠牲を承知してもらうことで、奥羽戦争の拡大をおさえて、平和に事を終息したい。そうした思いを抱いて、慶邦公は米沢藩主と共に、岩沼要害屋敷に出向いた。このあたりは侍屋敷がしめている。
沢副総督と大山下参謀が庄内に遠征して、世良下参謀が福島に軍事局を設けて、総督府を白河にむけて移転の準備に出払っているときであった。
岩沼要害屋敷で、九条総督はわずかの側近に護られていた。
慶邦公は、会津藩寛典処分嘆願書と、会津藩救済の諸藩名簿の連判状を差し出した。
「どうか、この嘆願書をお取り上げ願いたい。それから総督さま。会津藩の恭順謝罪にもいくつかの条件がござります。名誉を回復、首級差出撤回、会津藩領の減地は越後だけにしていただきたい」
「余が奥羽の土を踏んだのは帝の命令です。降伏条件のもろもろは、すべてが朝廷の会議で定まったこと、いまさら減地がどうのこうのと言われてもこまります」
総督は、一見、穏やかそうだが一途なところが感じられる。
九条総督は世良の言葉を思い出していた。
二本松藩あずかりの白河城内に、岩沼の総督府を移転できるように準備をして、九条総督さまを迎えに上がります。それがしが総督府を離れると、仙台は会津救済について、難題を持ち込むに違いありません。会津家老の首級を確かめるまでは、決して取り上げなされませぬように。奥羽鎮撫使が会津に情けをかけたとて、大総督は決してお許しにはなりません。できれば、江戸、下野(しもつけ・栃木県)を攻めながら北上してくる大総督府の援護をうけずに、会津を降伏させたいものです。世良は幾度も念を押して、岩沼を離れている。
「九条さま、これ総督さま」
九条総督は、ふと、われにかえった。
灯がともされて、真昼のような明るさだった。刻がすぎるのも忘れて甲論乙駁が起こっていた。
「総督さまを責めておるのではござりませぬ。この嘆願書を朝廷にお取次ぎ願いたい。それだけのことです」 
総督の窮地をみかねて、総督付諸太夫塩小路式部権少輔が口添えをした。
「その嘆願の内容では、あまりにも一方的で、わたくしどもだけでは、ご返答はできません。それほどおっしゃいますなら、直接、太政官に嘆願なされたらよろしいかと思います」
「何を申される」
会津藩の存命は、仙台の技量にかかっている。慶邦公の眼に灯が揺れて凄味を増した。目下、総督は仙台の掌中にある。握り潰すこともたやすいことだ。こうなったら、総督が嘆願受理まで辞さない覚悟だ。慶邦公は微動だにせず居すわった。
この日の折衝は、申の刻から子の刻まで、午後四時頃から八時間にもおよんだ。
やがて総督の眼がうつろになった。うつむいて手の甲で額を支え、崩れそうな身体をようやく立て直した。
「それなら、お預かりいたしましょう。じゃが、参謀たちと協議してからのことで、余の一存で承諾できません」
参謀とは、世良修蔵のことだろう。この場にいないのを幸いに責任を転嫁したか。
朝山刑部権少輔も総督を補佐して強気だった。
「世良下参謀とて、太政官の命令に背くことはできないでしょう。朝廷軍は下野あたりを北上して、白河に向かっていると聞いております。そこで総督府に嘆願なさったらよろしかろう」
「でしゃばった口のききよう、許さぬ」
慶邦公が総督側近の公卿たちを睨みつけると、公卿たちは、おのれが人質になっていることに、はじめて気付いたらしく、仰け反って身を震わせた。
「とりあえず、嘆願書は預けた、説得の甲斐があった」
慶邦公は疲れて足を引きずるように、岩沼要害屋敷を引き上げた。別れ際、
「総督が取り上げてくだされば、長州、薩摩などどうでもよい。できれば、薩長を一掃して、九条公卿を掲げて京に攻め入ろうではないか」
米沢藩主の過激な冗談が、慶邦公を惑わすのである。

会津救済の嘆願書を九条総督に呈したが、結局、意に適わぬと却下された。却下したのは、十中八九、公卿塩小路と世良下参謀の仕業であろう。京の太政官なら奥羽諸藩の事情を察してくれると、坂英力が自ら建白書を太政官に差し出すことにした。
「お屋形さま。それがし坂英力が京に出向いて、朝廷に建白書を奉呈いたします。三好のような軽率な真似はいたしません。それまで、会津討伐の出兵は牛歩のごとくですぞ」 
坂は急きょ、下役大衡儀三郎らと海路を江戸に向った。
徳川慶喜公は、鳥羽、伏見の戦いのさなか、大阪城を抜けだして江戸城入りし、なおも追討命令がだされると、上野寛永寺に謹慎した、と聞かされた。とにかく慶喜公に謁見したい。江戸屋敷の留守居役を従えて、江戸上野に立ち寄って驚愕した。上野戦争の後日で、上野あたりがすっかり廃虚になっていた。
「戦いの日は雨降りで、たったの一日で勝敗が決まりました。彰義隊は作戦もなくただ砲撃を繰り返すだけでしたが、長州人の大村益次郎と申す者は、思慮深い作戦で挑んだと聞いております」
留守居役は、昨日の出来事のように語った。
彰義隊と称して幕府を慕う者たちが、江戸城無血開城を不満として、江戸上野の寛永寺一帯に立てこもった。これを、長州の大村益次郎の指揮の下に、長州兵、薩摩兵が彰義隊を包囲して総攻撃をした。彰義隊も必死の応戦で、当初は優勢勝利かと思われたが、正午から肥前佐賀藩の射程距離の長いアームストロング砲の砲撃がはじまると、彰義隊は敵わずに散り散りに逃げ惑い、寛永寺も打撃を受けた。戦死者は彰義隊百五名、ほかに五八名といわれている。
「江戸を制覇した薩長は下野、白河を目指したそうです」
「もしや、残兵の敗走先は奥羽か、残兵を仙台領に入れてはならぬ」
坂は、軍務という職責を感じ、大衡に言い聞かせた。
「それがしは国元に戻るので、おぬしは京に急いて、太政官に建白書を届けてくれ」
 大衡とて、上野の無残な焼け跡に怯えていた。
「そのような大役、それがしには荷が重すぎます」
「藩の一大事に、そのような弱腰で何とする」
江戸がこんなありさまでは、朝廷が建白書を取り上げるか否かは不安だが、まずは、大衡を早駕籠に押し込んで、坂は国元に引き返した。
大衡は、京の御所前で駕籠をおりた。御門で仙台藩を名乗ると、取次ぎに奥に導かれて、藩主の建白書が疑いもなく奉呈された。さすがは仙台藩六十二万石、朝廷がにべもなく断るわけもいかぬのであろう。大衡は内心得意だ。
一刻して大衡は太政官に囲まれた。
「会津藩の処置については、奥羽鎮撫使に一任しておる」
「奥羽鎮撫使は、奥羽列藩同盟の連判状を時機遅れと因縁をつけて、取り上げようとは致しません」
大衡がたじろぎながらも懸命に弁明した。
「大衡儀三郎といったか。この建白は貴藩の真意か」
仙台藩の内情を詰問されて、大衡は冷や汗がながれた。
「それがしは命令に従っただけで、詳しくは存じませぬ」
坂英力は三好監物を愚弄したが、やはり建白は時機すでに遅し、それどころか仙台藩は賊軍と疑われてしまった。
「おぬしを仙台藩に返すわけにはいかぬ」
大衡は拘留されて、宇和島藩に身柄を引き渡された。

一方、仙台城では慶邦の面前で、但木と坂、文七郎が膝を突き合わせていた。
「大衡儀三郎が宇和島藩預かりとは、仙台藩の信用も失せたものよ。嘆かわしいことだ」
「会津藩の無条件降伏も仙台藩の建白書も、成す事すべて失敗じゃ」
「こうなれば、日光宮さまを軍事総督とし、奥羽列藩同盟が結束して薩長と対峙するしかあるまい。兵隊の数では劣らぬはずじゃ。勝利の暁には白河以北に建国。お屋形さま、この手もあります」
京では薩賊が帝をあざむき、万民を塗炭の苦しみに陥れていると、日光宮は哀悼されて奥羽に身を寄せていた。
日光宮とは輪王寺宮をいい、明治天皇の叔父にあたる。日光宮さまなどと口にするとは意外なこと。京の天皇と奥羽の天皇。日本国に二人の天皇などありえない。そうなると、当然、戦争になる、文七郎は危機を感じた。
「日光宮さまとは、どなたの言いふらしだ、米沢か。公卿岩倉具視、薩摩藩西郷吉之助、長州藩木戸孝允、土佐藩板垣退助、肥前藩大隈重信らを、但木さまは忘れはしまい。これらの太政官たち、いや朝廷軍は、新国家を創るのに手段を選びませんぞ」
「だまれ、だまれ、文七郎。お屋形さまの前で、何を言い出すのだ。口をつつしめ」
但木は扇子をかかげて、文七郎に退座を命ぜる。文七郎は慶邦公に向き直った。
「仙台を火の海にしてはなりません。朝廷軍の砲弾は威力があって、我藩とは雲泥の差です」
「砲弾の威力の違いとはどう言うことか。無礼ではありませんか」
軍務の坂が膝行した。
但木と坂は、尚も日光宮をもちだして強気の策をのべる。
「白河以北に奥羽国が誕生です」
「仙台が連盟主の奥羽国か。坂英力、伊達家を頼んだぞ。仙台藩に逆らう者はすべて抹殺してよろしい」
慶邦は、文七郎に諫言されたことなどすっかり忘れたように、但木と坂の舌に言いくるめられた。軍務と見込んだ坂に刀剣正宗をとらせた。
「この刀剣、決して敵に渡しは致しませぬ」
 坂は感激して涙を流した。                 

     十

信夫の里は平坦な田園がひろがり、稲作や養蚕が盛んであった。奥山の雪解け水を張った水田の向こうには、桑畑のなかに農民が土を耕したり、藁を敷いたり、見え隠れしている。道端の草の芽が伸び始めて小春日和だった。
文七郎は、法印坊と同志の福島の神官に案内されて、奥州街道を福島城下に向かっている。神官は勇んで前方を指差した。
「ほら、あの笊を伏せたような山が信夫山と申します。ここまで来ると福島城下はまもなくでございます」
兵隊が通るときは、みだりに声をたてぬように、と福島藩からお触れがでているらしい。街道からは子供や犬を遠ざけていた。
羽州街道の七ケ宿関本陣では、会津、仙台、米沢の家老たちが会談をくりかえす一方、沢副総督と薩摩の大山格之助が、天童隊、それに薩摩兵を引率して庄内征討に出発した。会津は長州隊、筑前隊、それに仙台隊が、会津境に布陣した。会津と庄内を同時に攻めて、手を組ませない作戦であろう。
奥州街道は福島藩士が警備にあたり、ものものしい雰囲気のなか、南部兵、長州兵、筑前兵を率いた奥羽鎮撫使、下参謀世良修蔵の一行が先をゆく。宿泊地は福島城下になるらしい。
福島盆地のど真ん中に居すわる信夫山は、山裾に黒沼神社、頂上には羽黒神社、羽山神社などの宮があり、庶民の信仰の山として敬われている。世良の一行が、信夫山の裾の橋をわたると、福島藩士と羽織袴姿の地主や問屋の主人など、地元の有力者が出迎えている。先頭の下参謀従者の勝見善太郎が隊列の前にでた。勝見は、世良と同郷の周防大島生まれで世良の腹心であった。
「福島藩御用人鈴木六太郎と申します。それがしが参謀どのの御用達を仰せつかっておりますので、なんなりと、申しつけくださいませ」
のんびりとした口調だった。世良が駕籠から降りた。ここからは歩くつもりらしい。
「騒々しいことでござるが、よろしくお頼み申します」
世良が挨拶をすると、出迎えの連中が、再び深々と頭をたれた。世良が朝廷の使者と聞かされていたから、緊張した面持ちだった。
文七郎は道端から世良たち一行の動向を見守った。
仙台領の松島に上陸してから、ひと月になろうとしているのに、仙台藩はいまだに藩論が定まらず、一門を集めて会議をくりかえしている。因循な家風にこだわる仙台を、世良は叱咤し、福島方面に出兵して来たのだ。福島領に入ると、福島藩士が接待をすることになっていて、世良下参謀は気をよくしていることだろう。
世良は、福島の宿泊所となる金沢屋に案内された。金沢屋は格子戸がしつらえて妓樓の構えである。
「のちに、若い醍醐参謀も宿泊することになっておるのに、庶民と同宿ではあまりにも騒々しいのではないか」
玄関先で躊躇した。
「金沢屋を宿所にすれば、軍事局を設えた長楽寺も、福島城も近いので、何かと都合がよいかと思います。それに金沢屋は、改築して二、三年足らずで、まだ白木の匂いが漂っております。この界隈では、金沢屋ほどの宿はござりません。すべて、それがしどもが監視しておりますので、決して迷惑はおかけいたしません」
鈴木は、新布袋屋という旅籠宿の角まで小走って北側を指さした。
「それ、そこの突き当たりが、仙台藩士の方々が宿泊しておられる各自軒でございます」
「仙台藩士の方々とは」
「瀬上主膳さまの宿所です」
「さようか、瀬上隊か。福島藩の意向であればそれでよろしい」
世良は金沢屋に逗留することになった。雑兵や農兵は神社や寺に宿泊して出陣を待つことになっている。
文七郎は、世良が宿に入ったのを見届けて、軍事局が置かれた曹洞宗萬年山長楽寺に回ると、すでに仙台藩士や福島藩士が執務していた。役人が文七郎を囲炉裏に招き入れた。囲炉裏は赤々と炭がおこり、鉄瓶の湯が沸いている。賄い女が汲んだ白湯は、心身を温めてくれて、ここは寒さ知らずであった。
軍事局の経費は、福島藩からの援助金だけではとても賄えず、さしあたり幕府直轄の川俣代官所などを取りつぶして、食料や宿泊費に充てることなど、役人はこまごまと文七郎に報告した。すべて、世良の采配であるらしい。
ほどなくして、世良修蔵と鈴木六太郎が現れた。世良は文七郎の姿を見て意外な表情をした。
「これは、文七郎どのではござらんか」
「それがしは立ち寄っただけのこと。もろもろは大越文五郎に申しつけ下され」
文七郎が慶邦公直々の隠密とは気付いていないようすだ。
「三好どのを総督府から遠ざけて、慶邦公は何を考えておられるやら、さっぱりわからぬ」
「それなりに事情があるのでござる。気に召さるな」
文七郎は笑い飛ばしたが、実のところ、仙台藩内は佐幕派が堂々と口を挟んで三好のような尊皇派を排除しようと躍起なのだ。福島城下には、仙台藩の大越文五郎隊の兵や農兵が次々と到着して、城下には兵が数千にも膨らんでいた。
福島城下からあふれた兵の宿泊所は近郊の神社や寺があてられた。夜明けの寒さに耐え切れずに、裏山の竹を境内で燃やして住職に喝を入れられたとか、夜更けまで酔いどれの兵がぶらついて物騒だとか、軍事局には再三にわたり、住人から苦情が持ち込まれている。それで、福島藩お抱えの浅草宇一郎という目明かしが、ごろつきを雇って、巡回しているらしいが、それでも人手は足りないらしい。
三年前のことになるが、信夫郡、伊達郡の農民衆が、名主や豪商屋敷などに押し入って打ち壊しをした事件があった。いわゆる農民一揆である。その農民衆が、百人、二百人と軍事局に集結して気勢を揚げている。農民衆のなかには法印坊の姿もあった。農民衆に世直しを煽り立てているようであった。
軍事局の戸は開け放されて、世良が農民衆に向かって正座している。先導してきた佐原村の農民代表が嘆願した。
「鎮撫使さま、われわれは、数年前の飢饉から立ち直れず、いまだに飢えに苦しんでいます。年貢の取り立ても厳しく、もう限界です。世直しをお願いいたします」
「世直しを、世直しを」
背後に、農民衆が土下座した。
「新しい国を創るために、鎮撫使は参上しておる。一日でもはやくその日が来るよう、農民衆も力を貸していただきたい」
「農家はこの時期、種子を蒔くのに忙しくて、人手が足りません。農兵の出兵は見合わせていただきとうございます」
「それは、十分に承知しておる。しかし、世直しに農兵の力は欠かせない。どうじゃ、年貢を三年間、免除とするので協力していただけないか」
世良が願い出た。
世良修蔵は、周防大島椋野(山口県大島郡周防大島町)の庄屋八郎左衛門の三男。幼少のころから瀬内海を行き交う外国船を見て育った。西本願寺の月性という僧の門下生になり文武を学んだ。長州藩三家老のひとり、益田家の家来の世良家に養子に入り、奇兵隊の幹部になった。故郷の周防大島が幕府軍に焼き討ちされたときには、奮戦して大島を取り戻した実績を認められ、このたびは鎮撫使に抜擢されて奥羽に来ている。ここ数年の凶作、貧困は椋野の農民も福島の農民も変わりはなかった。
農民の代表と話し合った結果、年貢を免除するならと、
しぶしぶ農兵を承諾している。
藩の財政を担う農民衆は、仙台も福島もひもじい思いをしている。農民衆のためにも会津討伐は急がねばならないと、文七郎は思った。
軍事局の本堂で、世良と大越文五郎、文七郎は、鈴木六太郎から絵図の説明をうけた。道は、西の荒井村から吾妻山に向かい、峠を越えれば会津領になる。険しい山道だが、会津藩では米、穀物を牛の背で運んでいる。荷は阿武隈川の舟に積み替えて岩沼、そして江戸に送る。帰りは塩や海藻を会津に運ぶのである。
「この山道は、会津藩の抜け道になるので是非とも押えておきたい」
鈴木は、自信気に絵図に描かれた吾妻山の峠のあたりを指先でたたき、朱に引かれた道を城下に向かって這わせた。
「吾妻山道は、瀬上隊が警護するのがよろしかろう」
大越は文七郎に賛同を求めてきた。よしなに、文七郎に異論はなかった。

     十一  

福島城下の軍事局から雑貨屋、絹問屋、茶店が居並ぶ通りをぬけると、大木戸役人が通行人を検めていた。年貢となるはずの農作物を密かに城下に運びこむ闇売買人を取り締まるためだ。大木戸役人たちを横目で見ながら、文七郎と法印坊は,須川に掛かった板橋をわたり西方にむかった。ここからはしばらく上り坂がつづく。絵図によると、この道は吾妻山の峰をこえて会津領までのびている。鎧の兵隊や大砲を積んだ荷車がとおって物騒だと、農民たちは夜になると戸の錠をおろして警戒しているらしい。
「ここから荒井村になります。百姓たちは、大砲を積んだ荷車を、牽いたり、押したり、戦の手伝いにかかりきりで、農作業ができないと嘆いております」
法印坊が文七郎に農民の暮らしを語った。
「会津が降伏するまで、いまひとときの辛抱じゃ」
とは言っても、先はまだ見えてはいない。やがて、藪におおわれた道端で、文七郎は目を凝らした。道端の藪群がゆれたのだ。すばやく小石を拾って投げつけると、百姓着の二人の男が頬被りの顔を突き出した。
「何者じゃ」
法印坊が声を張り上げると、男たちが身をひるがえした。
「あの者たちは地元の百姓じゃない。地元の百姓は、あのように素早しこくはございません」
法印坊は眼をしばたたいた。
「間者であろう」
鎮撫使を見張っていたのかも知れぬ。昼夜にかかわらず、鎮撫使の周りには諸藩の間者がうごめいているのであろう。
荒井村の農家に瀬上隊が駐屯にしていた。吾妻山の雲が薄れて、芽吹き始めた柿の木に陽が射して、春まさにたけなわだった。瀬上主膳が農家の囲炉裏に芝木を焚いて暖をとっていた。文七郎をみて顔を歪めた。但木宿老あたりから、文七郎の不評を聞かされているのだろう。
「これは、これは文七郎さま。わしらを偵察に参られましたのか」
「下参謀が会津境を見たいといって、上ってくるらしいので、付いて来たまでのこと」
「温まったら、戻られたらよろしかろう」
瀬上は、芝木を抱えてきて囲炉裏に放った。みるまに煙が充満して目の前が暗くなった。駐屯所の外がにわかにざわめいた。思いがけなく地元の農民が顔を出したらしい。
「道端にうずくまっている男がいたので、声をかけたら刀を突きつけられて、駐屯所に案内しろと威されました」
農民は、背負った駕籠を揺すりながら柿木を指差した。柿の木の陰に百姓姿の二人組が突っ立っている。
「何者じゃ」
兵が声を上げると、二人組はその場に土下座した。先ほどの偵察兵ではないか。屋内には煙が充満して、文七郎には気づかないらしい。
「実を申しますと、我々は会津兵です、隊長に面会を願いたい」
会津兵に動ずる素振りはなかった。
「会津の偵察兵か」
瀬上が驚いて外にでた。これから攻め入ろうとする会津方が這入り込んできたのだ。
「幕府が衰退して、非常時のわが藩に矛先を向けるとは何と無慈悲な行い。ただちに山麓の兵を引いて、国元に引き上げていただきたい」
偵察兵は、瀬上に敵意がないと見て取ると心安かった。
「鳥羽伏見の戦いではあまたの兵が戦死して、残されたわずかの兵や幼い子息たちで国境を護っております。会津は戦いを望みません」
「そのとおり。会津の傷口を突いて、血を流して、なにが新日本国か。何事もなければ、我領地を護って安泰で暮らせるものを」
瀬上は、憤慨の面持ちで、文七郎まで届くような声で言った。
「それがしとて貴殿と同じ考えでござる。じゃが、下参謀が会津を攻めよと、やかましくて参っておる」
「事情は察しておりますが、会津の藩主も穏便にと願っております。どうか、お情けをたまわりたい」
「聞くところによると、今日あたりに、福島入りの下参謀が山頂から二本松藩方面の戦況を巡検に参るらしいぞ」
「それは、聞き捨てならぬ。砲撃となりますか」
「うむ、長州の目もあるので、一度は砲撃せにゃならん。そのときは貴殿ら、白い布か何かで目印でも立ててくれぬか。我軍はその的を外して砲撃することにいたそう」
「はっ、恩にすがります」
約束を交わすと、偵察兵の眼がうるんだ。手の甲で涙を払う姿は疲れ果てていた。
「飯でも食っていかぬか」
「一刻でもはやく戻らねば」
会津の偵察兵はすばやく姿を消した。
「御覧のとおりじゃ、会津を刺激してはならん」
瀬上が、文七郎に振り返った。
それでも、会津が降伏するまで戦いは持ち堪えねばならない。それでは、どのようにすればよい。文七郎が外に出て山を見る。
「山頂はどうなっておる、霧がかかれば砲撃は出来ないだろう」
「いまのところ、霧に蔽われて見えませぬ」
離れたところから返事が返ってきた。運を天に任せるよりしかない。
会津藩は、偵察兵を使って長州兵の動向を探っている。仙台藩などを頼ってはいないのだろう。この時期、朝廷軍は下野から会津を目指している。このままでは激戦は避けられない。但木土佐、早く無血降伏に決着せよ。文七郎は歯軋りする思いだった。

一方の長州兵は、荒井村に向かっていた。法印坊が動向を探っている。
冷たい空気は咽によくない。世良が咳をはいた。
「奥羽の気候に慣れはしたが、寒気がしてならん」
世良が咳は止まなかった。
「お休みになられては」
鈴木六太郎が今朝から気遣っている。
「気のせいじゃ。それより、荒井村とはこの村か。瀬上主膳は会津征伐の陣頭指揮をとっておるのだな、激励せにゃなるまい」
世良が駕籠から首を伸ばした。吾妻山が迫っている。
「体調がすぐれぬなら、休養すればよいのでは」
「ぐずぐずしておっては日程が遅れる。状況を確かめたい」
「長州人とはなんと気忙しい」
鈴木が濃い眉の屈託のない顔で笑った。しばらくして、鈴木が駕籠の中の世良に声をかけた。
「会津が降伏すれば、世の中がどのように、よくなるのですか」
「武士や百姓の身分の階級がなく、人はみな平等な世の中になるのじゃ。諸外国の英吉利や仏蘭西という国は、すでにそうなっちょる。日本国もそのように変わらねばならぬ」
「それじゃ、武士の身分がどうなるのですか。それがしは百姓どものように成り下がると……」
「不服か」
鈴木は納得のいかぬ面持ちで、諸外国など想像もつかないらしい。
鈴木が世良の駕籠から離れると、勝見善太郎が駕籠に寄った。
「のう善太郎。外国船が日本の海を往来して、開国か、植民地か、と狙っておるのに、福島の藩士などには、緊迫したようすもなく、錦旗など八幡神社の幟ぐらいにしか思っていないのであろう」
「情けない奴らです。我らは気を引き締めて行動しないと、つまずいて怪我をします」
「故郷の大島郡が松山藩に侵略されたときは、周防大島の民百姓が一丸となって、死に物狂いの戦いであった。それが大島を奪回したのだ。死に物狂いで戦うのは、我々だけか」
世良は、長州兵に早足の号令をかけた。
法印坊も駆けた。
荒井村の農家に駐屯している瀬上をみるなり、世良は手厳しかった。
「会津に砲撃もせずに、安閑としておるのはどうしたことか」
「鉄砲も火薬も山頂に担ぎ上げて、準備は調っております。まもなく、我隊の偵察兵が戻ります。そうしたら敵の動きも掴めましょう。決して安閑としているのではございませぬ」
瀬上には会津と口約束があって、これ以上の返す言葉がないらしい。離れて見守る兵のところに行って声を落とした。
「会津兵は、まだ山中であろう。奴らが峠を越えるにはまだまだ刻がいる。今日の出陣はどうしても阻止せねばならぬ」
そして、瀬上は声高に、
「おい、偵察兵は戻らんのか。誰か迎えにいって来」
手を上げて芝居めいた態度で兵を怒鳴り散らした。
そんな瀬上を、世良が見据えていた。
「こそこそしたり、大声をだしたり、瀬上とは落ち着きのない人物じゃ。注意しておけ」
勝見に忠告した。
一刻が過ぎて、茨に顔を刺されたか、顔に傷を負った偵察兵が戻って来た。掘り井戸にもつれこみ、三人で酌の水を飲み回した。そして生き返ったように息をついた。
山腹に入るとまもなく山賤(やまがつ)が現れ、会津陣営の見えるところまで案内すると騙されて、食物を取り上げられた。さんざん山中を歩き廻ったあげくに奴を見失い、枯れ葉のなかで夜をすごしたらしい。山賤とは、里をはなれて山中に棲み、山菜や川魚、鳥、兎などを捕まえて生活している者のことをいう。
「何という愚か者じゃ。災難だと思って休むがよい」
瀬上は顎に薄ら笑いをうかべて心から叱ってはいなかった。一刻でも長州兵の動きを停めたのは、褒美に値いすると思ったのだろう。
「山賤というが、ほんとうは敵の間者であろう。得体の知れない者に身をまかせて、愚か者じゃ」
長州兵が取り囲んで嗤った。
「午後の山は危険だから、会津の攻撃は後日でもよかろう」
文七郎が世良に言った。
「いや、早いほうがよい。山頂には中村小次郎隊が待機しているはずじゃ。その足で二本松領の嶽の温泉まで向かう。その後のことは心配御無用」
世良は草鞋を締めなおした。
中村小次郎とは、下参謀従者の長州藩士で小隊をまとめている。瀬上隊とは別行動で、地元の農民を雇い入れて大砲を担ぎあげているらしい。世良の一行が吾妻山の山頂を目指して出発すると、座り込んでいた瀬上隊も腰をあげた。法印坊の姿が見えぬが、そのうちに現れるだろう、文七郎は瀬上隊の後尾についた。
山道に被さる枝木が払われ、悪道には石が敷かれている。会津藩が地元水原村の農民衆を雇って、道の手入れをしているらしい。北向きには根雪が凍りついて、山風が冷え冷えと首筋にまとわりつく。途中、瀬上隊が足を速めて、世良の一行を追い抜いた。山頂は霧が濃く一寸先も見えない中、かすかに兵がうごめくのを感じた。
瀬上主膳が立ち止まった。
「長州中村隊か。我藩に援護はいらぬ。長州隊は山を下りていただきたい」
「そうはいかん、この場に来て一矢を報いねば気がおさまらん」
瀬上は会津と密約があって長州は邪魔なのである。
「この霧では砲撃はむりじゃ。この道を下れば岳の湯治場にでる。まもなく、下参謀が上って来る。体調がよくないそうだ。湯に入ってしばらく疲れを癒されるのがよかろう」
しばらく押し問答をしたあげく、瀬上は岩場に腰をおろした。一歩も踏み出さない意気込みである。
「先が見えずに足を踏み外せば谷底に落ちる。そうなりゃ、お陀仏だぞ」
瀬上が中村を説得する。
中村は追いついた世良に向かって、無念そうな顔をした。
「地元の猟師にきいて、天気を確かめるのでしばらく待たれよ」
世良は、猟師を先に立て、きびきびと行動を取った。
「山霧は風の吹きようで消えます」
猟師が天を仰ぐ、風が出てきたようだ。
「こりゃ、晴れるわい」
やがて、幕を引いたように樹景があらわれた。長州兵が気勢を上げて小躍りした。木々の間の遠くに会津磐梯山が望める。鬼面山の西側は、噴火で吹き飛ばされた赤茶の地肌が現れ、岩々が突き出して白い噴煙が流れている。
「瀬上隊長どの、指揮をとっていただきたい」
中村が声をかけた。
「よし、準備はよいか」
瀬上が観念したように鉄扇を揚げる。
「砲撃開始」
砲撃がはじまった。硝煙の臭いがただよった。山の下からも爆音がきこえる。会津藩の反撃であろう。だが、砲弾は意外な方向で炸裂している。
「爆音ばかりでなぜ弾が当たらぬ。実戦の経験のない仙台は、鉄砲の扱いもできんのか」
中村は歯がゆそうだった。
「あの白布は何であろう、人の気配を感じぬか」
中村が指差した。広大な樹林のなかに、白布はあまりにも目立ちすぎる。瀬上は、おもわず目をおおった。あれは約束の旗印なのだ。
「あの白布は硫黄を採る坑夫の溜まり場でありましょう。民に大砲を向けてはなりません」
瀬上は必死に弁明をする。中村が砲兵に近づいた。
「よいか、目標はあそこの白い布じゃ。早々に打ち込みなされ。そっちの鉄砲、何をしておる、おまえもじゃ。大砲とはこのように撃つものだ」
中村の一声で、白布に狙いを定めた。
「撃て」
一斉に砲撃が始まると、眼下に土煙が立ちのぼった。下方からの大砲の音がぴたりと止んで、白布が樹林の中に消えた。
会津を砲撃してしまった。文七郎は後尾でもたついて、一瞬の出来事のようだった。会津に対して弁解の余地はなくなった。文七郎に悔いが残った。
「長州人め、赦すものか」
瀬上は周りをはばからず悔しさを露にした。

     十二

国政が一変して朝廷が動きだしたころ、文七郎は京で諸藩の動きを探索していた。朝廷に参内して会津討伐も命じられている。京の町中を隊列組んでさっそうと行進している姿に勇み立ち身震いをしたものだった。そして、有無を言わせぬ太政官の厳しさも知っている。但木土佐とて仙台の立場を熟慮しているはずだ。
その但木は、世良修蔵が白河に総督府の準備をしているころ。米沢の斡旋人と、会津藩の使者梶原平馬を国境の七ケ宿に呼びつけて、再度、説得をした。
「首級を差し出すのと、会津城下を戦火で失するのと、どちらが得策と考える」
但木は、梶原に前回と同じことを詰問した。
「容保公は城外で謹慎の身、城も明け渡す覚悟でござる。じゃが、首級をさしだせば、会津は奸賊を認めたことになります。会津は、決して朝廷に逆らった覚えはござりませぬ」
「禁門の変の事件の責任をとって、長州藩は三人の家老の兜首を提出したのだ。それでは長州が納得いたすまい。何度も言わせるな」
会津藩主容保公は恭順謝罪の心づもりで故郷に戻ったらしいが、幕府の残兵や新撰組の残党が落ち延びて、死に場所は会津城と集まってくる。藩論が定まらないのは、これらの無頼者を振り切れぬためでもあろう。
「会津は徳川慶喜公に従っただけ。慶喜公は罪を一手に引き受けたと聞いております。会津の罪もそのときに赦免になったはず、穏便に取り計らっていただきたい」
「大総督府の兵隊が、白河の国境に布陣して、攻め入ろうと伺っておるときに、穏便、穏便だけでは、言い訳がたたぬではないか。藩主の罪は家臣の責任。容保公の罪は、お主ら家臣の責任ではないのか。それが忠義というものであろう。会津には藩主の責務を担う家老がおらんのか」
藩主の責任は家老が負おう、それは家老職の但木とて同じ宿命である。
「首級を差し出せば、長州は納得するものでしょうか」
梶原は長州藩に疑心を抱いている。
「仙台城下の養賢堂に総督府があったころのことだが、開城、藩主の謹慎、それに首級を差し出せば穏便に取り計らうと、世良修蔵は言い切っているのだ。いざとなれば、この但木の責任のもとで世良を説得させてみせよう。だから、ただちに国境の兵を引き揚げ、恭順謝罪を受け止めて、会津城下の流血だけは避けてくだされ」
梶原は疑いぶかげだ。
「先日、吾妻山麓の出来事をごぞんじですか。あのとき、仙台藩は会津陣に発砲しないと約束しておきながら、発砲して負傷者までだしている。こんどまた仙台に任せろとは、信じがたい」
「わしを信じられんのか」
沈黙がつづいた。
梶原たち会津の使者は、不安気な面持ちで但木を見詰めた。

金沢屋の居間の囲炉裏には炭火が赤々と熾っていた。大越文五郎は落ち着かないようすで灰をならしている。文七郎が外に目を馳せた。障子戸に残光が射して、いくぶん日が長くなったようだ。二人は軍事局から戻る世良を待っている。金沢屋で待つようにと、世良に言われていたからだ。金沢屋の賄いが忙しく立ち働くころ、世良と従者の勝見善太郎が帰ってきた。二人とも疲れた表情は否めない。世良が囲炉裏に座すると、
「奥羽の夕暮れは寒かろう」
文七郎が労を慰めた。
「いや、辛いことばかりではないぞ」
世良の表情は明るかった。挨拶もそこそこに、金沢屋の当主浅之助が文七郎の耳元でささやいた。
「文七郎さま、法印坊と名乗るお方が訪ねられておられますが」
「会わせたいお方がおる。とおしてくれ」
文七郎は腰を浮かせて、座をあけた。法印坊が姿を現すと、
「これは、大年寺の役僧どのではないか」
大越が意外な顔をした。
ここに座られよ、文七郎は、法印坊をおのれの脇に座らせた。
法印坊とは長州萩の東光寺の僧侶で、良完といった。いまは仙台の大年寺の役僧となっているが、仙台藩の内情にも通じていたので、江戸、京と駆けめぐり、文七郎の手足となって暗躍している。世良に紹介を終えると、法印坊は短髪を撫でて穏やかな表情をみせ、炭火に目をおとすと、思慮深そうな目の奥が赫々と揺らいた。
「奥羽鎮撫使が仙台に上陸したとき、兵隊のなかに萩藩士が多く、言葉訛から郷里の潮風や土の匂いが漂って、わたくしは懐かしく思いました。そして、手助けをしないではいられない衝動にかられたのです」
世良は、驚いたようすで法印坊を見直した。
「あなたは、萩の僧侶どのでしたか。それはありがたい。勇気百倍でござる」
囲炉裏は穏やかな雰囲気がながれた。法印坊は、アヘン戦争で負けた支那国のように、わが国も諸外国の植民地にさせられる危機が迫っていることを、とうとうと説き、そのために身体を張った吉田松陰ら数多くの有志が命を落としたことなどを語った。
「それを思い出すと、それがしは気が焦ってならぬ」
世良は故郷を思い出したようだ。
「尊王派への風当たりは強く、飛ばされぬように一念を貫かねばなりませぬ」
大越も思いを新たにしたようだ。
「郡部の農民衆が、世直しはわしらの願い、と農兵も快く引き受けてくれている。福島にいて百万の味方を得た思いじゃ。長州であれ、奥羽であれ、農民衆の願いはどこも同じじゃ」
世良の目が輝いている。この農兵の思いを、己れに聞かせたかったに違いない、文七郎は思った。
浅之助が、晩食か、風呂かと伺いを立てに来ると、法印坊が腰を浮かした。
「待ちなされ。今夜は揃ったところで、一献いかがか。なあ、浅之助さん」
世良が引き止める。
「大丈夫でございます。膳の数が、ひとつやふたつ増えても、ちっとも構いやしません。ちゃんと心得ております。先ほども、福島藩の鈴木さまがお見えになられまして、晩食とか寝所とかに、粗相のないようにと、念を押して帰られたばかりですもの」
浅之助は炊事場に入った。
部屋を変えると、床の間を背にした世良の両隣に大越と文七郎、法印坊と勝見が下に座った。晩食で心を通わすことにした。やがて酒席は酒に染められた。頃合を見計らったか、法印坊は酌婦たちを下がらせた。
「西郷隆盛が言ったそうだ。奥羽鎮撫使が出立して何日になる。いまだに会津成敗が出来ぬとは、いかがしたものか」
「何と」
世良は杯を伏せた。法印坊が声をひそめて続ける。
「日程によると、会津はとうに降伏していなければならぬ。それなのに、九条どのは奥羽鎮撫を何と心得ておる。けしからんので官職を没収。慶邦公は会津の嘆願などを大総督府に送りつけて、いたずらに日程を遅らせているので、減封に処する」
「法印坊どの、それは真か」
大越が箸を放した。
「真ならどうするつもりじゃ。下野あたりを北上する朝廷兵のあいだで、もっぱらの噂だそうじゃ」
「伊達藩を、減封と愚弄するとは許しがたい。それじゃ、明日にでも、白石城に参られよ。その言葉、お屋形さまの目前で申して見よ」
大越が座布団を蹴って仁王立ちした。法印坊が下から睨み上げる。
「そのとおりじゃ。大越どの、座られよ。会津討伐は行き悩んでおる。面目ごさらぬ」
世良は酔い覚めの顔色をしている。
表街道では会津国境に大砲をかまえる一方、裏街道では米沢藩の斡旋で、会津救済の会談がおこなわれている。この頃は、奥羽諸藩が連盟で奥羽国などと模索しているのだが、世良に知る由もない、いや、知れてはならんのだ。 文七郎が咳払いをした。
「良完どの、口が過ぎますぞ。大越どのは、仙台藩士の中でも唯一、天皇を敬うておる。責めるのは筋違いでござる」
世良が細い息をはいた。
「それがしは、心を引き締めて白河の小峰城に向かうことにする。そこに九条総督を招いて、会津の嘆願を待つことにしたいのじゃが、いかがであろうか」
文七郎は頷いた。酒を召すところではなかった。これは法印坊の戒めであったろう。
     
     十三

仙台隊が会津国境で睨みをきかせているうち、世良には総督府を白河に移す大事業がひかえていた。
世良が宿泊所となる本宮の宿大内屋につくと、庄内を攻めている薩摩の大山格之助から書簡が届いていた。それによると庄内藩は意外に手ごわく、我軍は手傷まで負っておる。援護の要請であった。
大山が苦戦をしている。こちらとて兵士は不足だが、大山の要請なら断りきれぬ、南部隊を差し向けることにした。南部隊なら庄内の地形にも詳しく戦力になるであろうと、世良は身を削がれる思いであったろう。
世良が南部隊長に要請すると、
「ここまできて、戦わず引き返すわけには参りませぬ。ましてや、これから庄内めざして激しい行軍となれば、我が兵の負担がおおすぎます」
頑にこばみつづけた。
それはもっともなことであった。今日は会津、明日は庄内と翻弄されては南部隊とてやりきれまい。世良は錦旗を授けることを思いついたのだった。
「朝廷より預かりの錦旗でござるが、これを掲げて庄内を成敗してくだされ」
恐れ多くも菊紋の錦旗である。南部隊長は一瞬、身を引いた。
「不服をもうして、申し訳ござりませぬ。この上は、命にかえて戦い抜きます」
錦旗を手にして南部隊長の手が震えている。
「庄内を鎮めた後は、白河の総督府でお会いしたい」
世良にはいっときも手放したくない錦旗だろうが、士気を高めるために苦渋の策であったろう、文七郎は思った。
その日、南部藩兵は錦旗を掲げて意気揚々と庄内に出立した。

錦旗の思いも醒めぬうちに、岩沼の総督府から書簡をたずさえた使者がやってきた。書簡は会津救済のことが認めてある。意外な文面に、世良の全身に激怒がはしった。書簡をめくる指が小刻みにふるえた。内容は、会津救済の嘆願を九条総督が取り上げたというのだ。
「これは真か」
世良は使者に確かめた。納得がゆかないようである。
「はい。じゃが、参謀たちと協議をして、返事をいたすことになっておりますので、直ちに岩沼まで、お帰り下さいますようとのことでございます」
 使者は意外なことを口にした。
「それから、醍醐参謀は、桑折宿におるのです」
「桑折宿じゃと、兵隊もおらぬ所になぜじゃ」
「醍醐参謀は、世良さまに総督府の状況を知らせようと、岩沼を立って桑折宿まできました。そこで仙台兵に呼びとめられて、どこへ行きなさる、いま仙台領を去るなら、餞別をつかわすので待ちなされ、と桑折宿に宿止めされております」
「圧力に屈したのであろう。早々に総督府を白河に移し、九条総督と醍醐参謀の身の安全を護らねばならぬ」
世良にはまたも心労が加わった。
奥羽の空には不気味な暗雲が渦巻いている。
上野に立てこもった幕軍の残兵を成敗してから薩摩藩、土佐藩、大垣藩が北上をはじめたと、報せが届いているこの時機に、嘆願を取り上げなさるのは遅すぎる。白河に奥羽総督府を移し、庄内征伐軍が凱旋し、鎮撫使たちが揃ったところで、会津救済の嘆願書を取り上げるようにと、世良は九条総督に状況を認め、使者を戻した。
順風が逆風にかわったのだ。

白河城は奥州の南部にある。豊臣秀吉の奥州仕置きに改易されると、会津、上杉らが支配した。その後は城主の交代があり、いまは二本松藩が護っている。早々に白河を固めて総督府を白河城に移し、会津と一戦を交わして会津の動きを封じねばなるまいと、世良は思ったのだろう。二本松隊と長州隊をつれて白河城入りを果たし、白河城で会津に攻め入る準備の最中であった。
仙台隊の隊長佐藤宮内と伊達弾正に、白石城本陣から早馬が到着した。奥羽連盟が成立して、九条総督は会津の恭順謝罪を受け入れることになった。会津の攻撃は控えるように、と言うのである。
「下参謀が攻撃を急かせておるのに、仙台さまから停戦せよ、と言ってきた。我らはどちらを取ればよいのか」
「今回は錦旗を掲げて合戦しておるので、下参謀に従えばよい」
「いや、我々は農兵といえども仙台兵じゃ、仙台さまの指揮に従えばよいのじゃ」
荷方、担方の農兵は、三年間の年貢を免除するということで来てみれば、戦場と寝所の寺や神社を毎日動かされて、気の進まぬ仕事であった。停戦と知って、大砲を積んだ荷車をほうりだして小躍りした。
佐藤宮内と伊達弾正は、そんな兵士を叱咤するでもなかった。この戦は乗り気でなかったのである。停戦は会津藩にも伝わった。
世良は、白河城三の丸に総督府を設営してから、二本松兵と長州兵に総督府の警護を命じ、そして、わずかな側近と二本松藩士を従えて岩沼に向かうことにした。

この時期は寒暖がはげしく、この日は山おろしが雲を攪乱させ、夕暮れのように薄暗く、肌寒い風が吹いた。
文七郎は白石城本陣で、停戦布告を知った。白河に遠征している仙台兵に戻るよう早馬をたてたと聞いて、唖然とした。停戦布告の裏を返せば、遠征している兵士を帰藩させて、仙台領の守備態勢を立て直すためではないのか。会津に通じる佐幕派が台頭して、尊皇派を失脚させ、長州人は皆殺しなどと叫んでいるらしい。こうなると、己れの命さえ危ない、文七郎は危惧の念をいだいた。
とにかく白河に急いで、世良に会わねばなるまい。途中福島の軍事局に寄ると、机の上には書類も少なく、わずかな仙台藩士と福島藩士が退屈そうに喋っている。途中の二本松城も特別に変わったようすでもなく、本宮宿に向かった。
蒼い顔をした大越文五郎が、本宮宿大内屋の玄関にでむかえた。文七郎を部屋に招くと、ひと気を払って襖戸をたてた。そこには、世良と勝見が座っている。
「大変な事態になりました」
「明日にでも、九条総督さまを白河に迎えねばなるまい」
世良は文七郎を頼りにしている。
「総督の周囲は仙台藩兵が固めており、長州人は入り込む隙はございません」
「岩沼から出られないというのは、それは、人質ということではないか」
世良の顔が厳しくなった。
「さよう。仙台藩は総督を手放しはいたしませぬ。どうか、参謀どのも、会津の恭順謝罪をお取り上げくださいませ」
「白河に総督府を移転しようと、準備万端ととのったこの時期、これは恭順謝罪じゃなく、降伏謝罪と言うのではないか。降伏謝罪ならよかろう。まもなく大総督も白河にお着きになる。白河城で大総督に降伏謝罪を提出するように、白石城本陣に伝えてくだされ」
世良には仙台藩の内情を知る由もなく、一途に総督を案じている。
「それに、額兵隊と称するものたちが仙台藩を脱藩して、行方をくらましています。我々だけでは世良どのの命の護ることはできません。それどころか、それがしも、いつ刺客に襲われるかわかりませぬ」
すでに、文七郎には覚悟が出来ていた。
「とにかく九条総督、醍醐参謀に危険が迫っているとなれば、引き返すわけにはいかぬ。大越どの、桑折宿の醍醐参謀だけでも、安全な場所に匿ってくださらんか」
「福島宿も仙台兵がおるので危険じゃ。落ち合うなら八丁目宿がよかろう。そして策を考えよう。それがしが醍醐参謀を桜内本陣に連れてまいりましょう」
大越になら醍醐参謀を任せてもよかろうと、世良は藁にすがる思いであったに違いない。
大越が桑折宿に向かったあと、世良は故郷の藩士、松野儀助と繁蔵を呼んだ。この未来ある若者を奥羽の冷風に晒させたくないと、世良は思ったのであろう。
「儀助に繁蔵。お主らは、これから国を背負って立つ若者じゃ。いかなる事態が起こるかもしれぬ。国元にもどって親孝行してくれ」
松野と繁蔵は顔をみあわせた。故郷の萩に帰れというのだ。
「会津城を目前にして、故郷に帰るわけにはいきません」
「新しい国をめざして、どれほど郷里の兵を失ったかしれません。ここで逃げては、故郷に申し訳がたたぬではありませんか」
松野と繁蔵は、世良に食い下がった。
「じゃが、状況は崖淵にいるようなものだ。犬死にはさせとうない」
二人には納得がいかないようだ。勝見が二人に耳打ちした。
「そんな顔をせんで、白河で待っておれ。参謀が言い出したら利かぬことを、おまえら知らぬことでもあるまい」
世良の頑固ぶりを長州兵は知りつくしている。
 
八丁目宿は二本松領になる。西山の吾妻山は雲に隠れて姿が見えなかった。この地方は水が豊富で干ばつの被害も少ない。庶民の性格もおおらかで秩序も保たれている。奥州街道の両脇には、旅籠、雑穀問屋、鍛冶屋、茶屋などが並んで、旅人が行き交って賑わっている。秘密裏に落ち合うには都合がよかった。
正午過ぎて、大越文五郎に連れられて、醍醐参謀が桑折宿から八丁目宿の桜内本陣に入った。それから間もなく、世良と勝見が二本松兵と連れ立ってやってきた。勝見と二本松兵は本陣の表格子に陣を取った。目前の街道はここで曲尺のように折れる。目の前を早馬が素通りした。どこの早馬であろう、勝見と二本松兵は怪訝そうに顔を見合わせた。
大越が本陣に入るのを見届けて文七郎も入った。文七郎が奥座敷の襖を引くと、醍醐参謀の童顔がきりりと引き締まった。  
本来なら京の屋敷で、下々にかしずかれて和歌など詠んでおるものを、十九の若さで動乱に巻き込まれて、奥羽の寒い風に吹かれている。このような難儀を見せるはずではなかったのに、不憫なことよ、文七郎は思った。
「九条総督は、慶邦さんの斡旋で会津藩の嘆願書を受理なされました」
醍醐参謀が世良に報告すると、
「やはり、真か」
一瞬、世良は首を横にふった。半信半疑だったろう。
「九条総督が、嘆願を受理なされたのなら、それがしが異を立てることはありませぬ」
世良が悲痛な顔を見せる。見るに忍びなく、文七郎は顔をそむけた。
醍醐参謀がつづけた。
「諸藩の家老たちが白石城に集まって、奥羽連盟を組んで会津救済一色です。なかには、九条総督を掲げて、北上してくる薩長州兵を迎え撃つなどと言っているお方もおられます」
醍醐参謀は、岩沼にきてから飯坂の湯治場などに招待されて、女中相手に紙折りや綾取りをして、暇を潰すことが多かった。傍目には、公卿とは女々しく幼稚の手遊びに映ったかも知れぬが、知らぬ振りをして何もかも見通しだったようだ。
「世良どの。こうなっては、大総督に出向いて奥羽を救っていただきたい。会津の措置は穏便にと願ってくだされ。奥羽を血で汚したくありませぬ」
文七郎が伏した。
「承知した。が、そのまえに九条総督を白河にお連れ出し、その後に、その連盟の嘆願書やらを預かって、大総督に奉じる。これでよろしいか。とりあいず、二本松城で、実際を確かめようではないか」
意外な方向に歩き出した。
「醍醐さま。ここから先は、大越どのと本宮宿でお待ちください。暗くならぬうちに立たれるのがようございます。白河に総督府が移るころには、江戸から大軍の味方が北上してきますので、安心です」
世良が力づける。
桜内本陣の外にでると、駕籠が用意されていた。ここから、一里ほど先が二本松城下になる。
二本松城の箕輪門は石積みされて、堂々とした姿は十万七百石の権威を示していた。書院の間にとおされて、家老丹羽一学から意外なことを忠告された。
「事態が急変しました。慶邦公が奉じた会津謝罪の嘆願を、九条総督が拒否しました」
えっ、突然の知らせにしばし世良も勝見も絶句した。
「ひとまず受理されましたが、その後に敵わぬ、と返されたそうです」
「英断をなされたものだ」
世良の引き攣った顔に幾分か赤みがさしたようだ。
「慶邦公は、ただちに会津征討解兵を通告して、仙台兵を帰藩させております。もはや、奥羽に長州人の居場所はございませぬ」
丹羽一学は泰然たる態度を示した。
八丁目宿の早馬は、仙台軍は直ちに郷里に引き上げるべし、の通達だったのか。それぞれに藩は国境を護り、朝廷軍を迎え撃つということか。白石城本部では何事が起こっている。同席している文七郎は目の眩みを覚えた。
「会津征討解兵とは、どういうつもりか。奥羽諸藩は朝廷を裏切ったということか、丹羽どの」
世良は納得がいかないらしい。
「裏切ったのではござらぬ。会津謝罪の嘆願書を拒否したからでござる」
「それでは、九条総督の御身は人質ということか」
世良の身体がよろめいたかに見えた。
「仙台は、九条総督さまを仙台領から放しはいたしませぬ」
丹羽一学が世良を見据えた。敵となるであろう長州人が目の前にいる。
世良はようやくに身体を立て直した。
「白河に総督府を移転しようと準備万端ととのったこの時機。今となっては江戸から来る大総督に、白河の総督府で降伏謝罪を提出する。何と言おうと、岩倉具視たち太政官の命令は絶対で、九条総督や側近の公卿たちもそれは心得ている。安易な妥協は赦されぬことは、但木土佐などは、百も承知のはずじゃが。そう思わぬか、丹羽どの」
「そのとおり、朝廷の命令は絶対です。しかし、仙台に睨まれれば二本松藩は潰されます。朝廷か、仙台か、どちらかに与しても、わが藩にふりかかる禍はさけてとおれませぬ」
丹羽は諦念の顔をした。

「せめて、福島の軍事局に戻り、総督の安否を確かめたいのだが」
「それはなりませぬ。仙台藩士の数人が脱藩して、長州兵を狙って行方知れずと聞いております。奥州街道は危険でござります」
「本来なら、大越どのが、白石城から奥羽連盟の嘆願書をあずかり、その嘆願書をそれがしが大総督府に届けて御沙汰を待つはずだが」
「状況が一変している今、福島の軍事局にも、仙台兵が待ち構えております。この場から、白河にお戻り下され」
「奥羽は皆敵というのか」
「そのようでござる。忠告を無視なさるのなら、命の保証はできませぬぞ」
丹羽は世良を諫めたのち、しばらく待たせて二枚の木札を準備した。木札には『丹羽一学』と書かれてある。
「それほどの覚悟ならば、この札を駕籠に括り付けて参られよ。仙台藩兵も怪しむことはないであろう」
世良と勝見は、駕籠に『丹羽一学』の木札をぶら下げて福島城下の金沢屋に向かうことにした。
醍醐参謀と側近は、大越に警護されて本宮宿に向かっているはずである。
「文七郎はどうする」
世良の顔色が失せている。
「それがしは、これから白石城に参ります。お屋形さまに進言して、戦は避けなければなりません」
陽は傾き、心の中は暗雲が渦巻いている。

     十四

吾妻山の山おろしに吹かれて、福島城下の大木戸を二挺の辻駕籠が通りすぎた。申の刻(午後四時)頃のことである。駕籠に括り付けた『丹羽一学』の札が異様にめだって、木戸役人が不審がった。駕籠は雑貨屋、絹問屋、茶店が居並ぶ通りを曲がり、遊里に入った。この時刻になると通りは蒲焼きの匂いが漂い、遊び人や旅人の姿が多く賑わいをみせていた。通りでも、ことさら際立つ金沢屋の玄関前に辻駕籠がとまった。
世良と従者の勝見がそれぞれの駕籠からおりた。出迎えた宿主浅之助が突然に戻った二人を見て不審がった。
「お戻りになられましたか」
浅之助はそう言い、外のようすを覗いながら素早く戸を立てた。世良と勝見は、中の間の囲炉裏で茶を一服して心を静めた。始終無言である。奥の階段を軋ませて二人は蔵座敷に上がった。勝見を手前の座敷に休ませ、世良は奥の座敷の板戸を引いた。旅人が宿泊する部屋とは一味ちがって、厚い土壁の落ちついた雰囲気が気に入っていた。今夜はくつろぐ余裕がない。脇差しと銃を床の間にすえると、正座して腕を組んだ。
 奥羽列藩同盟の嘆願書を携えて、早朝に江戸に発つ。会津藩の恭順謝罪について、大総督に伺いを立てる。この状況を庄内に遠征している参謀沢為量と下参謀大山に報告せねばならない、世良には焦りのようなものを感じた。 
「湯になさいますか。それとも膳に……」
階段の足音は浅之助であった。
「そのまえに、書状を届けたいところがある」
福島の総督府軍事局は、金沢屋とは目先のところの曹洞宗長楽寺に設営されていた。去年、一昨年と奥羽地方は天候不順で農作物は不作であった。軍事局には地元の百姓衆が救済の嘆願に押し寄せて居座り、解決したばかりだ。軍事局の役人はいちいち世良に伺いをたてるので、毎日が忙しい。雑務と慣れない奥羽の寒気で心身とも疲れているところに、諸藩の裏切りである。
 硯箱一式を抱えてきた浅之助に、
「わしがおることを、福島藩の鈴木六太郎に知らせてくれまいか。軍事局におるはずじゃが」
福島藩鎮撫使接待役、鈴木に使いをだした。
世良は墨をすりながら眼をつむる。
遠い故郷が思い出された。世良を取り立ててくれた師匠である僧月性は逝った。新選組に拘束された奇兵隊の親友、赤根武人は冤罪で殺られた。出生地周防大島は幕軍に焼き討ちされて廃墟となってしまった。外国船に威されながらも、皆が必死に、新しき国を目指して命をかけたのだ。
筆は躊躇せずに進んだ。書簡をおりたたみ油紙に包んで、幾重にも紺紐でくくりつけた。まもなく、
「下参謀どのが戻っておるとか」
福島藩の鈴木六太郎が、杉沢覚右衛、遠藤條之助を従いて訪ねてきた。座敷に招くと仰々しく正座した。世良は福島の素朴な土地柄が気に入って、鈴木たちと酒を酌み交わしたこともある。今夜はそのおっとりした気性がもどかしかった。この者たちは、すでに会津征討解兵を知っているはずだ。心中を明かしてよいものかどうか、迷いが生じた。だが、ここまできては、信ずるほかあるまい。
世良は、床の間の棚から書簡を持ち出し鈴木に手渡した。
「庄内に遠征している薩摩の大山下参謀に報告せねばならぬ事がある。早急に使者を手配して、書簡を届けてくださらぬか」
世良は懐中時計を覗き込んだ。一刻でも早いがよい。
「使者は福島藩から気心の知れたものを見配って、今夜のうちに出発させてくだされ。それから、それがしは早朝に江戸に出立したいので駕籠を調達してくだされ」
福島藩の三人が膝を寄せ合い、使者には目ぼしい足軽二人を定めた。
「確かにお預かりいたしました」
座敷を出ようとする鈴木を、世良が呼びとめた。 
「朝廷に異心を抱く者があり、奥羽鎮撫が行き悩んでおる」
 鈴木は、おもわず懐の書簡を押さえて怖じ気づいてしまった。会津征討解兵は当然知っているはずだ。世良の書簡を携えて鈴木たち三人が金沢屋をでると、
「おい、鈴木じゃござらんか」
不意に呼び止めた者がいる。息詰まる思いでふりむくと、十人ほどの仙台藩士が近づいて、三人を取り巻いた。なかでも姉歯武之進は、瀬上隊の附属軍目付役で、隊長に次ぐ権力の持主であった。
「そんな顔をして驚くことないであろう。駕籠に可笑しな札をぶら下げて来おって」
仙台藩士は嗤った。金沢屋を見張っていたようだ。
 鈴木たちは弁解もなく、瀬上隊の宿舎各自軒に連行され、隊長瀬上主膳の前に突き出された。
仙台藩の意向は、随時、福島宿の瀬上主膳まで報告されていた。
これまで瀬上主膳は、長州兵の命令に従い、吾妻山麓の会津領境まで進軍して、大砲で会津陣地を脅かしていた。しかし、忍んで来た会津兵が恩赦を請うのに同情して、空砲や的を外して発砲ばかりが続いた。それを長州兵にとがめられて、会津陣地に実弾を発砲して会津兵に手傷を負わせている。それが原因かは定かでないが、仙台藩は信用できぬと、会津藩から嫌疑をかけられたのは確かだ。瀬上主膳は後悔の念にかられるほど、世良に憎しみを抱いている。
「会津藩を攻める理由は何もなかったのだ」
会津征討解兵の報告をうけて、安堵していた矢先のことであった。瀬上は鈴木を見るなり、
「こ奴は世良の接待役」
と言い、気味の悪い笑みを浮べた。
「金沢屋で何があった、申してみよ」
 無言で平伏する鈴木の肩に、姉歯の鞘が食い込んだ。はだけた懐の包みを見逃すはずがない。懐からむんずと掴み出して、瀬上の膝許に放り出した。
「書簡ではないか」
 瀬上は無造作に包みをとりあげて目を凝らした。
「それは、世良どのから預かりしもの。紐を切ってはなりませぬ」
鈴木の慌てた声が非常事態を悟らせた。
「なんと、世良のものじゃと、この書簡が」
瀬上は態度を改めて、書簡を見直すと、
「とてつもない代物だ」
おもわず書簡を手放した。姉歯が憑かれたように小刀をとりだし、書簡を包んだ紺紐に刃をあてる。
「姉歯、待て」
紺紐を切ればどうなるかは百も承知だ。しかし書意も知りたい、瀬上の息が荒くなった。
「紐を切ってはなりませぬ」
鈴木六太郎の悲痛な叫び声が、瀬上の心を掻き乱した。瀬上が目配せする。一瞬にして書簡の紺紐が断ち切られた。杉沢と遠藤が眼を伏せ、鈴木ががっくりと畳に両手をつく。座敷がざわめいた。
「隊長、なにを迷っております。封を切ったからには、後には戻れませぬ」
 瀬上が手を震わせて書簡をひろげた。紙面に眼を走らせると、達者な文筆。みるまに顔面が紅潮した。墨太の奥羽皆敵の文字が浮き上がっている。
「なぬ。奥羽皆敵じゃと、奥羽列藩同盟が必死に懇願しても、世良が奥羽皆敵では、会津の嘆願など、ただの戯言であったろう。憎くきは世良修蔵。偽官軍はただちに成敗してくれようぞ」
瀬上は、脇差しをとりだし、鯉口を切ると素早くおさめ、世良を処刑する素振りをした。
「奥羽皆敵。これで、世良の罪状が決まった。吾妻山の遺恨をはらしてくれようぞ」
鈴木に戦慄が走った。
「いやしくも天皇の使者じゃ、偽官軍と呼ばわるは、あまりにも恐れ多い」
鈴木が斬るな、と弁明するのは、瀬上の感情を逆撫でするようなものだった。
「偽官軍じゃないと、どうして言い切れる。天皇が奥羽を血で汚すことを望むものか。これはあきらかに薩長の陰謀だ。奴らは偽官軍なのじゃ。会津藩も仙台藩も、天皇を敬う心に偽りはござらぬ。世良はそれを蔑ろにしておるのじゃ」
瀬上が意地の悪い面をした。
「大捕物をはじめる。福島藩が立会いを務めていただきたい」
鈴木と杉沢、遠藤が顔を見合わせた。
「それがしの身分では決め兼ねます」
「それでは、ただちに登城して承諾を取り付けて参れ。もし確答えぬならば、福島藩に禍がおこるであろう」
鈴木は顔色を失った。
「わが藩を潰すのですか」
姉歯が脇差を握りしめる。
六十二万石の仙台藩に逆らえば、三万石の福島藩などひとひねりである。窮地に追いこまれた三人が、一斉に腰をあげると、姉歯が杉沢を指した。
「おぬし一人が行け、二人はここで待っておれ。是非とも立会いの承諾を取り付けてまいるのだ。よいな、貴藩のためであるぞ」
各自軒では緊迫して大捕物についての段取りがはじまった。
杉沢は、鈴木と遠藤を捕られて各自軒をでると、駆け足で福島城にむかった。材木屋、呉服屋のむこうから仙台兵がくる。長州兵が姿をけして仙台兵が夜の街をながしているのだ。今の刻では、年寄斉藤十太夫は下城して屋敷に戻っているはずだ。杉沢は横道の路地を小走った。屋敷では、斉藤十太夫が臥所から起きてきて生寝の面を強張らせた。
「下参謀の召し捕りとは、あまりにも重大なことで、わしの一存ではなんとも言えぬのう」
「召し捕りに立ち会わねば、鈴木と遠藤の命が危ない。福島藩にも禍が生じます。もう刻がありません」
「奥羽皆敵じゃと。書簡の詳細はわからぬが、後々、仙台藩から遺恨を買うては、福島藩とてやりきれぬ。じゃが、藩として下参謀召し捕りの命令を下すわけにはいかぬのう」
斉藤はひとりごとを言い、杉沢の顔色をみた。
「して、おぬしの考えはどうなのじゃ」
 杉沢は姉歯武之進の剣幕を恐れた。
「仙台藩に従うのが、よろしいかと」
「さようか。それじゃ、おぬしらに一任いたそう」
斉藤が溜め息をついた。杉沢は二重三重の重荷を背負って各自軒にもどった。
瀬上が先発隊として旅籠各自軒に投宿した晩。各自軒の女将クラが、内縁の夫、浅草宇一郎を持ち出して、仙台さまは宇一郎の故郷でございます、仙台さまのお世話ができるのも何かのご縁で光栄でございます、と言って挨拶にきたのだった。浅草宇一郎なるもの、仙台領大河原の出生で福島藩の目明かしをしていると言う。姉歯は、クラを呼び出した。
この時期、絶え間なく福島近郊の百姓衆が、貧困救済嘆願を求めて、軍事局の周囲に姿を見せていた。その夜警の途中に立ち寄ったと言い、宇一郎が各自軒の内庭に姿を現して脛の埃を払った。
「あっしのような者を、何事でござります」
面を伏せた。宇一郎は福島藩の二両五人扶持で雇われの身、仙台藩士などとは軽々しく口の利ける身分ではなかった。 姉歯は手招きして、宇一郎を呼び寄せて、声をひそめた。
「宇一郎、極秘に大捕物がある。その方の手の者を二十人ばかり拝借したい。罪人はいま金沢屋に寝ておる。金沢屋の間取りを知りたい」
「あっしどもは下卑たる者、お侍さま方の内情までは、ちと、ご勘弁願いとうございます」
「おぬしの生まれは大河原といったか。仙台のために働けば、大河原の身内も鼻が高いであろう」
 宇一郎は、賭博を開帳していざこざを起こし、旅人に手傷を負わせて郷里を追われ、いまは福島宿で目明かしをしていると聞いている。
「身内を引き合いに出すとは、どういう事でござんしょう」
郷里の眼をのがれ、見知らぬ土地で生き抜くにはもう若くはない。浅草宇一郎はすでに五十を越えている。宇一郎は姉歯を睨み返した。
厳つい顔つきの宇一郎と言う男。只者じゃない。こういう男は身内を引き合いに出すと落ちるものだ、姉歯は思った。
「一旦、耳に入れたからには有無は言わせぬ。討ち損じも許せぬ。この捕物は、福島藩が立会いを務めることになっておる」
明朝、世良修蔵が江戸へ発つ。これは是非とも阻止せねばならぬ。だが、瀬上隊の一存では荷が重過ぎる。
各自軒が取り込みの最中に、文七郎と大越が各自軒を訪ねた。あまりの物々しさに目をみはった。
「これから大捕物がある。仇は金沢屋におる」
姉歯が脇差の鯉口を切って閉じた。
「なに、誰のことじゃ」
「偽官軍、長州の世良修蔵じゃ」
「何を莫迦なことを言っておる」
「世良は、奥羽皆敵と言いおった」
「会津征討解兵を通告しのだ。そう取られても仕方あるまい」
「白石の本陣では、長州人は皆殺しと、言っているそうではないか」
瀬上の目がぎらぎらと輝いている。
「世良を殺してなんになる。仙台は火の海になるぞ。それがしはこれから白石城の本陣に行って、和睦を取り付ける。それがしが戻って来るまで、世良に手を掛けてはならぬ」
言い残して、文七郎と、大越は早駕籠に乗った。白石までは十五里、急がねばならぬ。

会津藩の恭順謝罪を九条総督が却下すると、これに反発して、仙台藩は会津征討解兵を通告した。白石城にある仙台藩本陣は騒然となった。こうなったら、われわれは偽官軍に加勢する理由など何もない。鎮撫使は幕府を退けて、にわかにのし上がった偽官軍と、佐幕派は決めつけた。
これまでに、幕府の榎本武揚艦隊に援護を要請して承諾をとりつけている。榎本艦隊の開陽丸の威力は抜群と訊いているので、開陽丸が先陣をとれば、越後からの敵軍の上陸は防げる。そして、白河以北は奥羽列藩同盟が守備を固める。榎本武揚の手引きで長鯨丸に乗って平潟(常陸)に到着した北白川宮能久親王(日光宮)を君主に奥羽列藩同盟の役割が進められた。白河以北に奥羽国が誕生する。但木土佐はそのような筋書を描いたのであろう。
白石城に着いて、但木に面会を求めた。但木は寝間で横になっていたらしい。
「どうした、文七郎」
不機嫌な顔で起きてきた。
「福島宿の瀬上主膳が、世良修蔵が金沢屋に戻ったのを知って、ただではおかぬと、息巻いております」
「そのことなら、先ほど瀬上の使いが来て知っておる。好きにせいと、申しておいた」
「好きにせいとは、あまりにも無責任ではありませぬか」
「大丈夫じゃ。瀬上ごとき小心者に、世良は殺れぬ」
「早朝には、奥羽連盟の嘆願書を携えて、世良下参謀と大越どのとそれがしが、大総督府に向かう予定を立てて、これから九条総督のところへ参ります」
「会津征討解兵は、お屋形さまの承諾を取り付けてのことだ。余計な口出しは控えろ」
慶邦公を巧妙に言いくるめたのであろう。それに、奥羽鎮撫使の下参謀に手を掛けたとなれば、戦いは免れない。
文七郎は声を上げた。
「日本国を二分するつもりですか」
但木も負けてはいない。
「なんだ、何が不服じゃ、文七郎は仙台を薩長に売るつもりか」
文七郎は、各自軒のようすを思いだして胸騒ぎがした。

     十五

夜になっても風は鳴りやまなかった。雨や風の夜は、いつもながら宿場の客足は早めに途絶える。鰻屋や髪結屋も先刻に閉じられ、拍子木の音が遠ざかる。
夜が明ければ、世良を取り逃がしてしまう、瀬上と姉歯の心は逸った。瀬上隊の仙台藩士と、宇一郎の手下が金沢屋を取り囲んだ。金沢屋の玄関の戸を引くと、錠もなくするりと開いた。当主浅之助が中の間の炭火の始末をしているところであった。きりりと鉢巻きをし、たすきを掛けた身なりの藩士たちが揃って入り込む。浅之助は、驚いて火箸を握りしめたままうろたえた。
「たしか、お隣りの、各自軒さんに宿営している、瀬上隊のお侍さま方ではございませんか」
まるで討ち入りの恰好であった。
「声を立てるな。世良修蔵はどこにおる」
「どうか、お引き取りくださりませ」
中の間に上がり込んだ瀬上隊兵の前に、浅之助が立ちはだかり、ちらりと奥に眼を馳せた。
「そうか、世良は奥におるか」
金沢屋の間取り図では、この廊下を進めば蔵座敷、その二階が世良修蔵の寝所である。
物々しさに浅之助の母親が起きてきた。事態を察して、怯えながらも浅之助の袖を強引に掴んで、納戸に引きこもった。廊下添えの女部屋の灯が消された。黒光りの廊下を白刃が音もなく進む。息を殺して階段を上る。床が軋む。
「何者」
座敷の中に声がする。世良修蔵だ。瀬上隊兵はぎくりと立ちどまる。
「仙台藩士でござる」
素早く戸を開けた。すでに、世良は布団に上半身を起こし、枕許の短銃をまさぐりながら隣の座敷に声をかけた。
「勝見、賊じゃ」
一瞬、藩士は立ちすくんだ。外国製の短銃の威力を知っている。
「世良さん」
勝見の慌てたようすが聞き取れる。
「勝見、逃げろ」
世良が引き金を引いた。不発だ。二度、三度と引くがこれも不発だった。
「いまじゃ」
藩士の声が揚がる。世良は、藩士に向かって短銃を投げ、太刀に手をかけた一瞬のすきに、仙台藩士の太刀が世良の肩を突いた。
「そこまで。命まで取ることはあるめえ」
目明かし浅草宇一郎が、世良をかばって背後を包み込んで縄を打った。
「本懐を遂げた」
藩士に嗚咽が漏れた。
一方の勝見は座敷を飛び出した。階段は藩士がふさぎ、逃げ場は外窓。座敷に戻り、庇から中庭に飛び下りた。ここには宇一郎の手の者がひそんでいた。もし、世良が逃げてきたら、裏口から逃がすよう、宇一郎の指示があって、裏口は薄手にしておいた。
勝見は植木の中を逃げまどったあげく、扉の開いていた文庫蔵に身を隠した。追いかけてきた藩士が、雪崩れ込むように蔵に押し込み、勝見の悲鳴が止むと物音が静まった。
 
やがてもみじの大木の枝間に、東の空が白みかけるころ、縄に引かれて世良と勝見が各自軒の庭先に引きずり込まれた。後ろ手の縄目が身体に食い込んでいる。縄の端は各自軒の外柱に括りつけられた。
「勝見……、善太郎……」
 世良が声をかけた。血の滲んだ寝衣を乱して、勝見は海老寝のように横たわった。夜明けの寒さが傷口を刺す。勝見に痙攣がおこっているらしい。やがて、瀬上主膳が姿を現した。牀几に腰を下ろして、罪人を裁く装いであった。瀬上は仙台領桃生郡鹿又で、二千石の領主、仙台藩では格式のある家柄だった。
「お屋形さまに毒づいた、偽官軍を召し取ったり」
瀬上は、大げさに膝頭を叩いた。
「お屋形さまも、手柄を誉めてくれるに、相違ござりませぬ」
 姉歯が歓喜のあまり眼をうるませた。
「お屋形さまが懇願した、会津救済の嘆願を取り上げぬばかりか、奥羽皆敵とは許しがたい。この罪を成敗してくれよう」
奥羽皆敵、これが世良への罪状であった。
「吾妻山の発砲で、会津藩はわが藩に嫌疑を抱いた。これで嫌疑は拭われたであろう」
瀬上は嗤った。
世良がよろけながらも仁王立ちした。頭髪がほぐれ、寝衣がみだれ、血糊が流れた胸元を剥きだし、大腿を曝け出し、どす黒く浮腫んだ形相でぐるりと見渡した。
「おんどれ、周防大島の百姓の命、奥羽と刺し違えてくれてやるぞな」
最後の力を振り絞ると、辺りが恐怖につつまれた。瀬上が、姉歯が、立ちすくみ、取り巻きが慄き逃げ腰になった。
「隊長。ぐずぐずしては町人が起きだして、面倒なことになります」
 早く処刑せねば。姉歯が気張った。 
「見届けてつかわす。さっそく準備せい」
もみじの木の陰で成り行きを見守っていた宇一郎が、見るに耐えなく膝行した。
「ここは客をあずかる旅籠でございます。血を流すことは、ご勘弁ください」
「さようか。汚れた血で、庭先を染めることもあるまい。それじゃ、軍事局がよかろう、あそこはお寺じゃから。姉歯、引っ立てい」
世良と勝見は仙台兵に後衿をつかまれ、まるで首を括られた野良犬のように、容赦なく縄を引かれ、引きずられ、長楽寺の門を潜り抜けて、境内に突き放された。
「何事」
境内の騒々しさに、長楽寺の住職がでてきた。世良と勝見の変わり果てた姿をみて、事の重大さを悟ったようだ。
「手荒な真似をするのじゃない。縄をといて庫裏に連れてきなさい」
「この者は仇じゃ、口出しは無用でござる」
「ここは寺の境内、仏の魂が休まるところ、殺生はゆるさぬ。両人を置いて、さっさと立ち去れ」
藩士たちは住職に威圧を感じた。
「ここにも邪魔がいる。あそこがよかろう」
と、目顔を交わして阿武隈川を見やった。河面が朝陽に輝いている。世良の縄目をむんずと掴みあげた藩士は、境内を引きずり、土手の葦群をなぎ倒し、阿武隈川の河原に無造作に放り捨てた。世良の皮膚を引き裂いた石の欠けらに血糊がついている。
「奥羽を侮った愚か者の成れの果じゃ」
太刀を抜いた藩士の影が、石塊のようにうずくまる世良と勝見の背後をおおった。
藩士の手が世良の首根をぐいと押し込む。世良は覚悟をきめた。
「父上、先立つ親不孝を許してつかあさい……」
鶴吉(世良の幼名)よ、わしはもう歳じゃけに、わしのことなど放念して、お国のために命を惜しんではならんぞな。天は何もかも見通しじゃから――。世良の父親がみまもる。世良が故郷を発つとまもなく、父親が逝去している。むろん世良には知る由もなかったか。
一瞬、太刀が唸って、赤い飛沫が河原を染めた。世良の首が、勝見の首が、鈍い音をたてて転んだ。仙台藩士は首級の頭髪を鷲掴みにして、阿武隈川の流れで洗った。
明日もまた桜狩してあそばまし
ことしばかりの春ぞと思えば
二ヶ月前に榴ヶ岡で世良修蔵が詠んでいる。

長州藩士松野儀助が夜明けの道を福島宿に向かっていた。仙台隊が国元に引き返して、白河城が薄手になっていることを、世良修蔵に報告したかったからだ。松野は世良の隣村であることから、世良を慕って奥羽に来ていた。松野は福島城下につづく須川の橋をわたった。人気のない大木戸は常夜灯が消されて夜明けを待っている。奥羽鎮撫使の宿舎金沢屋の前に立つと、意外にも戸は開け放されていた。金沢屋の囲炉裏を囲み、仙台藩士たちが、あぐら座で酒壺をまわし、冷や酒をあおっていた。
「世良従者の松野じゃ。なんと寒い朝であろうかのう。火を分けてくだされ」
 脇差しを置いた松野は、囲炉裏に手をかざし、十八歳のあどけない顔を震わせた。夜露にぬれて身体はすっかり冷えきっていた。藩士の眼の配りといい、冷や酒といい、それに刀を畳に突き立てて、囲炉裏のまわりは異様な雰囲気である。ほどよく身体が温まったところで、松野は気づいた。
「世良さんに報告したい事があるのじゃ」
「勝手な真似はゆるさぬ。言葉訛りさえ憎々し。奥羽の土を踏み荒らして、図々しいにも程がある」
 松野の太刀を藩士が蹴飛ばした。
「世良さんに会うのが、なぜいけん」
太刀を拾い上げようとした松野は、背後から腕を逆手に取られた。抵抗するほど腕が軋んだ。松野は取り乱して、世良さんと、必死に声を張り上げた。今朝方、世良と勝見は阿武隈川の河原で殺害されて、奥座敷には誰もいないのを松野は知らない。奥は静まっている。多勢に囲まれ、松野は金沢屋の戸外に突き出された。浅草宇一郎の手の者が遠巻きに取り囲んでいる。
松野は、人気のない路地を見定め、満身の力で振りほどき、必死に駆けだしたが、ここは見知らぬ城下の路地裏である。立ち止まったところを、追いかけてきた藩士の太刀がふりかかった。一瞬にして松野はどっと溝のなかに倒れこんだ。水が真紅に染まった。この水も世良の血が染めた阿武隈川に流れて行くのである。
その日の夕方、一人の若者が金沢屋を訪れた。松野とともに白河に向かったはずの繁蔵である。繁蔵は萩の町人の息子で世良の馬丁などをしていた。金沢屋があまりにもひっそりしているので、怪訝な面持ちで突っ立った。仙台藩士が去った後のことである。
「世良さんの家来で、長州の繁蔵じゃ、世良さんに、あわせてくだされ」
 浅之助はびっくりした。昼前に長州の松野が殺されたばかりで、また長州人が訪ねてきたのである。この若者に世良や松野が惨殺されたとは言えなかった。繁蔵の童顔が曇った。
「こまったのう。わしに、行くあてもないけに」
 とき折り吹く寒い風に、繁蔵は思わず懐をあわせた。
「軍事局で訪ねてみたらいかがでしょう」
咄嗟に、浅之助はこう言った。繁蔵はたちまち元気を取り戻し、明るく礼をのべると、やにわに軍事局に駆け出した。金沢屋と軍事局の長楽寺は三丁ほど。今度はあの若者が危ない。浅之助はまたひとつ罪を重ねた気がした。
 そのころ、長楽寺に設営された軍事局は閑散としていた。今までの執務がすべて徒労に終わったのである。算盤も筆も紙片も整然と据えられているが、すべて無用の雑物である。書類の始末をする福島藩士を、囲炉裏に手をかざした仙台藩士が白々しくながめて、瀬上隊長の指示を待つだけである。囲炉裏は炭火が興って、軍事局の中は寒さ知らずであった。そんなところに、ひょっこり繁蔵が現れたのである。
「寒いのう、寒いのう」
繁蔵は囲炉裏に手をかざした。
「小奴は世良と行動を共にしていた長州人。こんな若造ごときが、横柄な態度で奥羽を掻き乱して、憎き奴め」
仙台藩士の眼に憎悪が宿った。藩士は、脇差しを取り出してくると、繁蔵にぐいと白刀を突きつけた。
「何の真似じゃ」
 繁蔵がのけ反った。拝むように手を併せて命乞いをした。瞬間に腕に太刀があびせられた。腕が囲炉裏にどさりと転げて、身体は上がり框から土間に勢い良くつんのめった。おびただしい鮮血に、駆けつけた住職が悲鳴をあげた。
繁蔵の首級は、軍事局いわゆる長楽寺の軒先に捨て置かれた、松野の首級が入った首桶に放りこまれた。
 姉歯が首桶を覗き込んで、
「敵の首は多いほどよい」
 と言い放った。首級が運び込まれるたびに、藩士が気勢を揚げた。

     十六

白石城に世良暗殺を報せる早馬が来て、文七郎と大越文五郎は早駕籠で福島城下にやってきた。まず、瀬上隊の逗留している各自軒に入ると、瀬上主膳が片袖を抜いて床机に腰を下ろしていた。紅い女物の浴衣が目立って滑稽だった。戦に紅い浴衣を着ると縁起が良いとの謂れを信じているらしい。
「無益な殺生をしたとは、真か」
瀬上は嗤った。
「天に代わって誅殺したまでのこと。仇は軍事局だ。検分して参れ」
行けという素振りで紅い袖を振った。兵に案内されて長楽寺に設けた軍事局に行くと、長楽寺の軒下に真新しい二個の木桶が無造作に置いてある。文七郎が首桶の蓋を開けさせると血の臭いが漂い、どす黒く浮腫んだ顔が曝け出された。
「これが世良どのとは、信じ難い」
身震いが走った。奥羽鎮撫使下参謀世良修蔵。かつての権勢を振るった面影は微塵もなかった。大越の顔色は失せている。あまりの重大な出来事にうろたえるばかりだった。文七郎は軍事局の奥の部屋で人払いをした。
「これで、朝廷との和解の道はすべて断ち切られた。ひとまず首桶を白石城に運び、ねんごろに埋葬すべきじゃ」
世良の始末は大越にまかせて、文七郎は今後のことを考えた。まず、浅草宇一郎なるものから、経緯を訊きだそう。瀬上主膳は謹慎、そして自刃。早々に朝廷に降伏する。伊達家を護るには、この外はありえまえ。降伏の筋書きは、薄氷を踏む思いである。但木土佐や坂英力の顔がちらついた。
この慌しいなか、長楽寺の住職が文七郎に耳打ちした。
「遠藤文七郎さまでございますか。醍醐参謀さまが、福島城でお呼びでございます。密かにお出で願いたいとのことです」
「醍醐参謀がどうした」
醍醐参謀は白河に向かっておるはずだが、どうして福島城におるのだ。文七郎はあたりに目をくばった。幸いに気づいた者はいない。密かに軍事局である長楽寺を抜け出すと、住職に連れられて、阿武隈川添えの裏道をとおって、福島城の裏門から入った。
醍醐参謀は離れの間に怯えたようすで座っていた。すでに世良斬殺のことは聞かされているに違いない。文七郎を見ると立ち上がった。
聞くところによると、白河の軍事局に向かったが、途中で、白河城が会津藩に砲撃されたと聞かされて、急遽、岩沼の九条総督のところへ戻ろうと引き返してきた。須川の大木戸のところで、大木戸役人に身分を明かして、福島城に保護されたらしい。
「醍醐さまを福島藩でかくまうわけには参りません。仙台に睨まれたら潰されます」
福島藩の役人は、一切の責任を文七郎にゆだねるつもりらしい。
「岩沼まで送る方法はあるか」
「奥羽街道は、仙台藩が見張っております。阿武隈川を舟で下り、お送り差し上げるのが安全かと思います」
「それは、ありがたい」
福島藩役人は、すでに醍醐参謀を促している。
福島城裏側の石段を下ると舟寄場になる。舟は準備されていた。
「船頭は、腕の立つ者を準備させました」
醍醐参謀は従者と舟に乗込んだ。醍醐参謀は静かに礼をしている。阿武隈川はおだやかに流れて、世良が斬殺された場所を通り過ぎて行った。

大越の采配で、世良と勝見、それに松野と繁蔵の首級の入った桶は、人知れず百姓の背にゆられながら白石城本陣に運ばれた。白石城は騒然となった。入れ代わり立ち代り藩士が首桶を覗きにきた。但木土佐は、首桶の中の酷さに顔を背けると、腰が抜けたように座り込んでしまった。
「世良修蔵を殺すのは、わが藩ではなく、会津藩のなすべきことでなかったのか」
大越文五郎を呼びつけて、額を扇子でぴしゃりと叩いた。
「首級を仙台領に持ち込むとは、なんと愚か者じゃ。罪状をもって処刑したのなら、わざわざ運んでくることもあるまい。これでは、仙台藩が世良暗殺の命令を下したと詮議されても否定できないではないか。この事件は、仙台藩は一切関わりのないことなのじゃ」
大越は不意をつかれて仰け反ったが、瞬時に片膝をついて脇差に手をかける。文七郎が目顔で制した。
諸藩の家老が慌ただしく、白石城から国元に引き上げて行った。薩長を迎え撃つ準備が始まったのである。これで和睦の道は閉ざされた。いや、対策はあるはずだ、文七郎は考えた。

世良修蔵暗殺の事件で慌しい最中、佐賀藩兵と小倉藩兵がわずかな兵を従え、船で仙台港に到着した。
「佐賀藩の前山長定と申す。われらは朝廷の使者だが、九条総督に面会を願いたい」
物静かな物言いだった。沿海を警備していた役人は、武器も持たずに、兵の数も少なく、それに薩摩、長州の兵ではないので疑いはもたなかった。
前山長定は、九条総督の居場所を聞きだし、密かに夜通し岩沼を目指した。岩沼は奥州街道の通り道である。宿も警備兵も前山長定を疑うことはなかった。知恵の働く人物だったらしい。
「総督さま、お迎えに上がりました。仙台を逃れましょう。澤副総督と薩摩兵のおる久保田藩に参りまする」
前山長定は朝廷からの指示をこまごまと述べた。公卿たちは笠を被り兵の装束だった。
仙台藩が総督の逃亡に気づき、知らせをうけた但木は、すぐに連れ戻せ、と使者を立てた。
世良殺害のこともあってか、使者は久保田藩の尊王派によって、返り討ちにあったのである。

     十七

仙台城御座所に座した慶邦の左右に、但木土佐、坂英力の佐幕派数人。遠藤文七郎、大越文五郎の尊皇派数人が対座した。慶邦の顔は勝れなかった。
「今後の対策はどのように考えておるか、申してみよ」
但木には思うところがあるのだろう。威圧する目つきで、文七郎と大越を見た。
「余計なことばっかりして、心労が絶えぬわい」
そう言い、慶邦に向いた。
「下参謀を斬殺したとなっては、朝廷との和睦はございません」
軍師の坂英力が口添えをして、戦の有利を説いた。
「会津征討解兵を通告して、仙台兵を帰藩させた同日。会津藩の家老西郷頼母が率いる軍隊が白河城を砲撃して総督府を分捕りました。諸藩においては、地理もくわしく、兵隊も多い。奮闘すれば勝利は確実です」
「九条総督に去られては、朝廷に弓を引くことになりはしないか」
「九条総督などおらなくともよい。それについては、干潟から奥羽に入られた日光宮さまを、奥羽越列藩同盟の盟主として迎えて、錦旗を掲げればよいのです」
日光宮さまは天皇の叔父にあたる。将軍徳川慶喜の依頼で、東征の中止を、東征大総督有栖川宮熾仁親王に懇願したが、容認されずに上野の寛永寺本坊に謹慎していた。  しかし、上野戦争で護衛の彰義隊も四散して、御付属鈴木安芸守以下十六名の随行者とともに、品川沖の榎本艦隊の汽船「長鯨丸」に乗船して、平潟港から磐城平へ行き、三春、本宮、猪苗代、若松、米沢、白石を経て仙台に逗留していた。
文七郎が膝行した。
「会津藩は白河城を不意打ちで攻撃したのです。そのときに白河城を護っていた二本松兵、長州兵に多数の負傷者を出しました。戦とは酷いものです。敵も、味方も血を流します。仙台城下を火の海にしてはなりません」
慶邦は、状況が不利になるたびに、坂英力や瀬上主膳に刀剣などを召されて励ましてきたが、
「わしの思慮とは裏腹に、刻がひとり歩きして行く」
やりきれない思いであったろう。
「心配は要りません」
文七郎は自信ありげに言った。
「何か対策があるのか」
「下参謀を斬殺した瀬上主膳と姉歯武之進は自宅謹慎、折を見て自刃。それに、三好監物の復帰。そして、早々に朝廷と和睦に持ち込むのです。今なら間に合います」
大越も言わずにおれないのだろう。
「戦を避けるには、この外はござりません」
「じゃが、奥羽諸藩はすでに戦争の体制に入った。仙台も一戦を迎えねば面目がたたぬのではないか」
但木が声を強めた。
「そのとおりでございます。瀬上主膳などは、すでに、戦う意気込みで白河に向かいました」
「なにっ、瀬上を逃がしたと」
文七郎は焦った。
「それは大失態だ。但木さま、それがしの裏をかきましたな」
坂も負けじと言う。
「処断するのは、瀬上ではなくて、三好監物じゃ。三好を慕うものが、黄海村に出入りし、謀叛を企てておるらしい。三好を処断し、禍根を除かねばなりませぬ。噂でも真になりかねない。薩長と抗戦の最中に、三好にまで謀叛を起されたら始末にならん」
「登城するように、使者をたてまする」
但木がそう言いい、文七郎を見て嗤った。

     十八

磐井郡黄海村(岩手県東磐井郡藤沢町)の山間は、日ご
とに緑が濃くなり、若葉が萌え始めている。渓谷の黄海川は大河、北上川の支流になる。おだやかな水音を響かせて流れているが、雨季になると田畑を押し流して農家を泣かせる。
文七郎が大条孫三郎を従えて訪ねると、三好監物の屋敷は河口付近にあった。母屋は平屋の質素な構えで集落の奥にあった。研ぎ澄まされた鍬が小屋の壁に立てかけてある。三好は焚き木を割っていた。文七郎を見て何事と言うような顔をした。縁側から床の間を設えた奥の座敷にとおされた。意外にもあかるい表情だった。
「妻も息子も、城下の一番町におりますのでな」
賄いも老母を手助けしながら不自由はなさそうだ。三人はひとしきり城内の勤皇派と佐幕派の動向を語った。息子からの報せもあるのだろう、会津討伐の進まないことを気に掛けていた。
「佐幕派の連中が台頭して、それがしの話などは聞く耳は持たぬ。それどころか、大失態を犯した」
世良下参謀の惨殺を報せると、
「まさか」
三好は一瞬、文七郎を疑ったようだ。
「但木と坂の猜疑には呆れる」
三好は深く考え込んでいる顔つきをしたが、やがて口をひらいた。
「下参謀を殺めたとなっては、朝廷は仙台藩を許すまい。伊達家の存続は、仙台城開城。それから、朝廷の御沙汰を待つしかあるまい。それには、まず、それがしが登城して、お屋形さまを説得しなければならぬ」
文七郎が訪ねたのを訊きつけたのか、村の衆や親戚が集まって、三好の屋敷を取り巻いた。
「旦那さま、黄海村は山深いとこです。山奥に移って命を永らえてくだせえまし」
 三好が登城すれば処刑されるだろうから逃げろと言うのだ。三好は縁側に立った。
「心配なさるな、伊達家への最後のご奉公じゃ。お屋形さまの面前で腹切る覚悟じゃ」
穏やかでない心境だろうが、村の衆に笑顔をみせた。
老母元子が、
「このようなところまで、よくお出で下さいました」
濁酒と山菜と川魚を勧めた。大条が遠慮なしに箸をつけた。
「これは、旨い」
文七郎は、一刻でも早く三好に登城させたい思いで、歩き通して空腹だった。
「山菜の塩漬けは裏山のもの。川魚の干物はこの先の川のものじゃ、食べられよ」
三好は、文七郎に気を好くしている。文七郎が肴を口にとった。山菜に川魚は、城下のものよりも濃い深みの味があった。濁酒も胃の腑にしみわたった。
「京の漬物よりも美味でござる」
文七郎と三好は顔を見合わせて笑った。京の公卿家の失態がよみがえったのだ。座が和むと、老母は正座して息子の目を見た。
「監物、登城はなりませぬぞ」
「お屋形さまを諌め、伊達家を護るのが家臣の定めです」
仙台藩の婦女子は、伊達家への忠義には命もいとわず、の教えで、子には厳しく知能をつけて育てている。その息子が仙台藩から勘当され、黄海村に逼塞している。母はどのような思いで、日々を過ごしてきただろう、文七郎は老母を見やった。毅然としている。
「人には死ぬ時機があるのです。その時機を見誤ってはなりませぬ」
三好は我に帰ったように、南の空を睨んだ。そこには仙台城があるのだろう。
「我死んでも、一念悪鬼となり、賊軍を平らげてみせようぞ。貴殿ら、すぐに戻られよ。それがしは後に向かう」
 監物に見送られて、文七郎と大条は黄海村を後にした。
途中に、大条は振り向いた。三好さま、呟くように呼んで、涙を拭ったようだった。文七郎は天を仰いた。三好に与えられた天の定めとは何であろう。込み上げるものがあった。
文七郎が城下帰った後、三好家の次の間で老母と親戚が正座して見守るなか、上間の床の間を背に、三好監物が自刃をした。介錯人は従兄弟が務めた。
伊達家の存続を謀った監物の赤き心、お屋形さまに解っていただきとうござります。三好の遺書とともに、自刃の報せが仙台城に届いた。

     十九

奥羽戦争が勃発した。
奥羽列藩同盟に賛同したものの、朝廷軍が優勢とみれば朝廷に与すと、諸藩は様子見だったに相違ない。
岩城平城藩と出羽新庄藩が攻め滅ぼされる。弘前藩が同盟から脱退。越後口の柴田藩が激戦の末に同盟から脱落。三春藩兵が平潟から朝廷軍の先導者となり、二本松城近郊に布陣している。偵察兵からは、つぎつぎと新しい情報がもたらされたが、吉報は何ひとつもなかった。それどころか、あれほど同盟に奔走した米沢藩が降伏するらしく、早々に降伏すれば領地没収にも恩典があると、使者が言った。
「あのように、わが藩を煽っておきながら、いともあっさりと降伏するとはどういうことか」
仙台は諸藩を信じるあまり心得違いをしてしまったようだ。戦いでなく和睦を勧めるべきだったのだ。相馬中村藩などは、朝廷軍に負けると、朝廷軍の先鋒となって戦いを挑んできた。仙台藩佐幕派の星恂太郎が額兵隊を組織して、尊王派と長州人は皆殺しにしてくれる、と息巻いて、仙台領境の浜地方の駒ヶ嶺に向かったらしい。駒ヶ嶺は激戦地となるだろう。適うなら、中村藩に出向いて、仙台追討総督四条隆謌に面会して、和睦を申し込みたい。
文七郎は法印坊と海岸の道を駒ヶ嶺に向かった。今朝から雨が降り出して、笠から蓑へしたたり落ちる。見通しが利かなかった。
「このような雨降りでは我藩は不利です」
法印坊が、ぬかるみを追いかけてくる。駒ヶ嶺は間もなくだ、道を曲がると両脇が松林になった。突然、松林の中から黒装束が姿を現して前を塞ぐ。無言で文七郎たちを襲ってきた。黒装束は五人、刺客であろう、文七郎は身構えた。黒装束は高を括ったか、無謀な刀使いで襲ってくる。刺客の左眼球に刃先を据えて、刺客の動きをとめた。刺客が太刀を振り下ろす瞬時に、身を交わして小手を打つ。振り向くと、法印坊が袖を斬られたようだ。文七郎は法印坊を背後にかばいながらも、刺客の腕を払い、逃げる刺客を深追いはしなかった。
文七郎は、法印坊の腕を手拭で縛った。袖に血は滲んだがさいわいにも浅傷ですんだ。不覚をとった、と法印坊が悔しがっている。
「但木土佐の差し金であろうか。それとも額兵隊か」
「そんなところであろう」
「こうなったら、わしが但木を殺してやる」
法印坊が猛り立った。
「但木を殺めてはならん」
「なぜでございますか」
「但木土佐には、やらせねばならぬ大事があるのだ」
文七郎の目の奥に炎が燃えた。
傷の手当をするために法印坊は城下に戻り、文七郎はひとりで駒ヶ嶺に向かった。砲弾の音が近くに炸裂する。
駒ヶ嶺で中村藩との戦いは有利に運んだが、それも束の間のこと。中村藩には朝廷の援護隊が到着した。駒ヶ嶺の海岸方面は津藩。要の駒ケ嶺には長州藩。西方には中村藩と、敵は作戦を練って攻めてくる。仙台藩も大砲や鉄砲は備えたが、大半は火縄式であった。連日の雨ふりで、火縄の扱いはもどかしく、威力が発揮できない。朝廷軍の砲撃をうけて、仙台兵は血泥の姿で駒ヶ嶺を逃げ惑った。濃緑に染まったばかりの木々の残骸が飛び散っている。文七郎が着いたのは、砲撃をうけた後である。
木の陰や岩陰に兵の屍体が転がっていた。そこに人影を見た。屍体を揺り起こして顔の血糊を拭って髷を切っている。立ち上がったと思ったら転倒した。怪我をしているようだ。近づくと、文七郎を敵兵と見誤ったようだ。一間、二間と這って観念したかのよう睨み上げた。泥と血塗られた顔に太い眉と獅子鼻、その顔に見覚えがあった。
「そなたは、三好監物どのの息子どのではござらぬか」
兵は文七郎をしげしげと見た。
「もしや、文七郎さまでございますか、三好酉助でございます」
「無事であったか」
「これは、従兄弟の髷、これは、親友の髷でございます」
酉助は、大事そうに懐に仕舞い込んだ。
「もう、戦わずとも良いぞ」
「それがしは、ここに残って、殉職者を葬って供養しとうございます」
けなげな奴だ。まだ、父親の自刃は知らぬのであろう。
「救護兵を遣わすので、駕籠で黄海村に戻って、怪我の養生をするがよい」
雨が霧にかわった。仙台追討総督に面会して和睦を奏じたいと思ったが、和睦どころか降伏謝罪であろう。まもなく駒ヶ嶺も朝廷軍に占領されるであろう。

仙台城の御座の間には、一門、一族、詰所(大番士)以上の者を召して、和戦の会議が始められた。宇和島伊達家から降伏の勅旨が奉じられたのである。上座には慶邦公と宗敦が列座している。
「和睦か抗戦かについての意見を、申し述べよ」
慶邦公が重々しく口を開いた。挙手する者はいなかった。しかし前日の御座の間の会議では、一門の和睦論が大勢だったのを、文七郎は勘付いていた。但木土佐とて感じ取っていただろうに、口をつぐんでいる。
「これ以上に戦いを進めれば、砲弾が尽きるばかりか、殉職者が増すばかりです。最小限に止めることこそ良策と存じます」
文七郎は、駒ヶ嶺の酷さを思うと胸が詰まった。但木が言葉をあららげた。
「文七郎は、武士の風上にもおけぬやつ。命が惜しくて、仙台藩を売るつもりか」
「兵士を駆り立て、殉死させて何が武士ですか、何が武士の面目ですか。それとも乱心召されたのか」
二本松城が落城した報告も届いている。仙台藩軍師の坂英力が国境を退いて、すでに帰城して但木の下に座している。
「軍師が逃げて帰るとは、いかがなものか。作戦に誤算があったのではないのか」
思慮の足りない軍師だ。文七郎は坂に詰め寄った。
寒風沢港に、幕府の海軍奉行榎本釜次郎(武揚)が、軍艦八隻率いて到着してから、幕府の脱走兵がぞくぞくと仙台城入りした。坂英力に戦争続行と煽り立てているらしい。   
坂英力の目が血走っている。
「薩賊の凶悪に負けてなるものか。わが藩には幕府の榎本釜次郎がおります。榎本と諸藩の軍師が連絡を取り合って、一挙に大勢の挽回をはかる所存にございます。お屋形さま、白河以北に奥羽国が誕生でございます」
大見得を切った。
大条孫三郎が挙手をした。
「坂英力、よく聞かれよ。三好監物には、謀叛のこころなど微塵もなく、伊達家の存続を願って、自刃されたのだぞ」
残念無念の涙を流した。坂英力も少しは仁慈の心を持ち合わせているらしく、ふと、顔を曇らせた。文七郎も必死だった。
「仙台の砦のはずの駒ヶ嶺を占領されて、多くの兵を死なせました。朝廷軍は城下に向かっております。仙台城下を火の海にしてはなりません。宇和島の伊達さまの斡旋のとおり、一戦を交えたからには、帰順謝罪でなく降伏謝罪の礼で、収束せねばなりません」
駒ヶ嶺はじめ、遠征した戦死者数、一千二百六十名にもなっている。抗戦か、降伏か、御座の間では、固唾を呑んで見守っている。言いたいことがあるらしい、但木と坂が挙手をした。
慶邦公は宗敦を見て頷いた。宗敦が慶邦公に伏した。慶邦公は毅然とした態度で、
「進軍は成り難し、余の意中は降伏にある」
降伏の決断を下した。
御座の間が騒然となった。御座の間を退座する一門の刺すような眼差しに、但木の顔は蒼白だった。畳に両手をついて誰とも目を合わせずに、じっとしていたが、人気の去ったのを見計らって退座した。このまま下城のつもりだろう、廊下の板張りを早足だった。文七郎が後を追った。
「しばらく」
但木が立ち止まった。
降伏には、謀主の首級差出。いわゆる藩主の禍を一身に負う義人が要る。但木にはやまった行動をとられては困るのだ。
「覚悟を召されたか」
文七郎が釘を刺した。
「もちろんだ」
但木は振り向きもせずに去って行った。
その日の夜亥の刻(午後十時頃)に、文七郎は慶邦公に召された。体調が優れずに臥せっていた。すでに、人払いされて、寝衣のまま起きて座った。
「今見た夢のままであったらよかったのう。死なせたのは、一千二百六十と言ったか」
文七郎はかすかに首を折った。
「気を強く持っていただきとうございます」
慶邦公は声を出して泣いた。やがて、興奮が治まると大きく息を吐いた。
「文七郎に執政を命ずる。降伏の準備を頼むぞ」
瞼が涙で腫れ上がっていた。
「お屋形さま、お許しください」
京都の大政奉還、鎮撫使寒風沢港からの上陸、会津討伐出兵、世良修蔵暗殺、奥羽列藩同盟、駒ヶ嶺の戦などの出来事を思った。佐幕派を強く諌めねばならぬときが多々あったのだ。
お屋形さまの涙は、己れの技量不足から来るものだ。文七郎の目にも涙があふれた。

     二十

降伏の正使として遠藤文七郎。仙台藩一門からは伊達将監と石母田但馬。宇多郡今田村(相馬市今田)に設えた総督府に出向いて、嘆願状を提出して降伏を請うた。総督府の御使番が誤解せぬように、文七郎は烏帽、直垂れの姿をした。戦国の世に、伊達晴宗、輝宗の時代に、文七郎の祖先、家老遠藤基信が命を懸けて伊達家を護った。文七郎にはその自負があった。成功させねばなるまえ。
御使番の榊原仙蔵と熊本藩木村十左衛門が嘆願書を受け取った。
「降伏の上は、寛大の沙汰もあるであろうから、心得違い無きように」
「御意に従います」
総督府御使番は、慶邦公の出処進退や反逆首謀者などを厳しく問いつめてくる。文七郎は一部始終を語った。
慶邦公は蟄居。反逆首謀者は但木土佐、坂英力。世良修蔵暗殺者は瀬上主膳。直接手を下した姉歯武之進は白河の戦いで殉死している。昼夜、取り調べをうけた。反逆首謀者のおのおのを思い浮かべて言葉を詰まらせた。
後日、詳しく認められた仰せ書きを拝受し、降伏承諾を得ると、仙台城下に謹慎していた伊達一門の降伏謝罪嘆願書の提出。そして世良事件が起きた福島藩。藩主板倉甲斐守勝達などが文七郎らを通じて降参した。

仙台藩が降伏を決定すると、会津藩を救うために結ばれた奥羽越列藩同盟は、仙台城で軍議をして解散となった。 
軍議に参加した新選組副長土方歳三は、慶邦公が自ら水色の下げ緒を外して授けて、同盟軍の新総督に推挙されていたから、解散時には、座を蹴って退出した。
仙台に逗留していた旧幕臣の榎本武揚や幕兵と土方歳三、それに仙台藩の佐幕派の額兵隊隊長の星恂太郎らが、五稜郭で抗戦すると罷免、仙台を去ることになった。
当面の物資を船に積み込ませて、文七郎は言った。
「榎本どのの行いは任侠かとも思うが、先見の明を持たぬ
は、いずれ朝廷に禍をもたらす。朝廷軍は必死で挑むであ
ろうから、死ぬ決心があるのか」
「もちろんだ。土方歳三とて同じ覚悟だ」
「取るに足らぬやつよ」
土方歳三などは、死に場所を求めてさまよう哀れな人物としか思いなく、文七郎は一笑に付した。
徹底抗戦の末に会津藩も降伏した。次いで榎本ら旧幕府軍も、函館五稜郭で翌年にかけて最後の抵抗を試みたが壊滅し、戊辰戦争が収束を迎えた。

慶邦公と養子宗敦が駕籠に乗った。文七郎が後を追った。従者、士分各十二人、ほかに一門が四人、浜街道の水戸をとおり江戸に向かった。江戸麻布の仙台屋敷には入ることは許されない。芝増上寺山内良源院に監禁の身となった。文七郎が訪問すると、慶邦公は、
「ときどきは訪ねられよ」
笑顔が失せて多くを語らなかった。
敗軍の将、兵を語らず
文七郎は承知している。
慶邦公は、特旨により、六十二万石から二十八万石に減封されて伊達の家名を継承することになった。
明治七年七月十二日 慶邦、五十歳にて没。
羽織袴に帯刀姿の但木土佐は、吉岡の私邸の玄関先に降り立ち、降伏から四十日余りを過ごした家族に別れを告げた。泣き伏す家族に言い含めた。
「わしは、伊達家の禍を一身に負うて誉れと思うておる。だから一族も領民も嘆くでない。胸を張って生きよ」
故郷の七ッ森もこれが見納めだ。但木は毅然とした態度で、反逆の首謀者として、迎えの駕籠に乗った。会津藩を救済援護するどころか、仙台藩までも戦禍にまきこんで、何もかも失敗だった。但木は己れの禿頭を叩いた。
但木土佐、坂英力、瀬上主膳らその他、五名が網掛けの駕篭に入れられて、大洲藩(愛媛県大津市)に引き渡され、江戸麻布の仙台屋敷に護送された。仙台藩、反逆首謀を以って死に処する。
文七郎は江戸麻布の仙台屋敷に立った。己れの信念に基づいて戦った人々が、笑って、泣いて、走馬灯のように駆け巡る。この仙台屋敷は、まもなく新政府によって取り壊されるだろう。跡にセメント工場を造るらしい。一切の始末をおえて、江戸を後にした。

伊達家の塩竃神社は、奥州一ノ宮として千百年以上の歴史を持ち、古くから朝廷や庶民の崇敬を集めてきた。文七郎は塩竃神社の宮司に任ぜられていた。戊辰から三十二年の春である。
浜の風が心地よく、境内には塩竃桜が大輪の八重の花を咲かせている。遠藤文七郎は唐門に立って、男坂と称する参道の二百二の石段を覗くのが好きだった。あくせくしながら、石段を上る参拝者のなかに、戊辰の戦死者の姿を見て、はっ、とすることがある。空似である。禍も福もその人自らが招くものであろう。食も細くなった。今年の桜が見納めかもしれん。白髪に桜の花びらが舞い落ちた。
明治三十二年四月二十日、六十四歳にて没。

(敗軍の将、完)