時代小説「遠藤基信 土蜘蛛退治」

松川町水原の小説家 丹野 彬(たんの あきら)様の作品「遠藤基信 土蜘蛛退治」をご紹介いたします。

丹野 彬 様の作品は、膨大な資料に基づいた時代考証と登場人物の巧みな心理描写をもとに壮大な世界観を紡ぎだします。ぜひご覧ください。

~作品発刊にあたり、作者 丹野 彬 様よりメッセージ~

この度、地域活性化のために、短編小説「遠藤基信 土蜘蛛退治」を書いてみました。

遠藤基信とは、戦国時代。伊達氏の伊達稙宗→晴宗→輝宗→政宗歴代の、輝宗に筆頭家老として支えた人物で、伊達古文書にあります。

福島市松川町の西光寺の出生で修行僧。父親が金伝坊、基信は岩坊と称し、連歌、猿楽の名手で伊達家の指南役でもありました。(冊子版があるため)手に取っていただいて話の種にしていただければ幸いに存じます。

 小説家 丹野 彬 作品集

 ※忙しい人向け 時代小説「遠藤基信 土蜘蛛退治」あらすじまとめ(若干のネタバレ注意)

以下横書きで全文掲載しておりますが、縦書きの方が読みやすい方はこちらをご覧ください。→ 「遠藤基信 土蜘蛛退治」縦書き版(PDF459KB)

 

遠藤基信
土蜘蛛退治
          丹野 彬            
     
     一

昨年の暮れに降った雪で、伊達米沢城下は凍てついている。ざくざくと雪凍りを踏んで、知行持、徒侍、御町衆たちが、米沢城門に足を運ぶ。恒例になっている伊達氏への年始の参賀である。
年始の規式は正月三ヶ日までだが、参賀は末日までおこなう。御酒や雉、烏賊、昆布などのほか、鉄砲玉百発なども献上されることもある。これと併せて、正月行事は、鷹野始や茶のひき始、七日の七草連歌、十四日の乱舞始などの予定が組まれている。 
伊達郡の名懸衆などは、常は百姓仕事をして、いざ、合戦になると、弓隊、鉄砲隊、槍隊として馳せ参ずる。今年の年始は、雪深い板谷峠をさけて小坂峠から七ヶ宿に入り、二井宿峠をひたすら歩んで米沢城下に入った。百人ほどが街にあふれ出して賑わいをみせていた。
永禄四年(一五六〇)正月十四日。今宵は、地方巡業の神子太夫一座を招き、城下大町矢内重定屋敷の猿楽舞台で、猿楽を催すのである。
遠藤基信は、山伏行者という素性から縁にめぐまれず、すでに薹が立つ二十八歳。連歌をたしなみ、猿楽も長じているのを見込まれて、正月行事の乱舞始をまかされていた。
矢内屋敷の表に、ものものしく黒漆塗りの御駕籠が横付けされた。御屋形様の御成である。はやる胸のうちを押さえながら、舞台の進行ぐあいを見て回ることにした。
まず、本舞台をのぞく。舞台の背面には、みごとに枝を広げた鏡松が描かれ、すでに、大道具、小道具が板の間に用意されて、厳粛な静けさがただよっている。
過去世から現世の本舞台までの橋掛かり、傍らには役者の摺り足を隠すごとく、丈の低い一の松、二の松、三の松が並んでいる。財を惜しまず投じたであろう、白木造りの贅沢な舞台である。
鏡の間では、笛の音色にのせて鼓や太鼓を打ち鳴らし、囃方衆の音合わせも順調らしい。衝立をはさんで、猿楽装束をまとった主役(シテ)が、猿楽面をかけているところであった。
緊張の面持ちで、猿楽役者の付け人が近寄ってきた。
「基信様。役者たちは出番待ちでございます」
「あいわかった。さっそく宿老たちを見所にお招きいたそう」
ふたたび本舞台に目をやると、すでに囃方衆が鏡松を背に、地謡衆も脇柱に寄って坐している。おのおのが目を怒らかして、緊張をみなぎらせている。この緊張こそが成功を支えるものであろう。昨年の暮れから考案してきた猿楽がいよいよ開演である。
猿楽を庇護している足利将軍にならい、伊達氏でも猿楽や連歌が盛んであった。とりわけ、伊達氏十五代当主伊達晴宗がひいき目にしているので、宿老中野宗時は趣向を凝らした演目を、と五十七歳の老体ながら、隙のない眼差しで口やかましかった。
舞台の脇正面の見所では、肩を寄せ合って無駄口をたたいていた伊達家臣たちが、急に静まった。宿老が脇正面の桝席に腰を下ろしたのである。宿老に従った守護代桑折景長が、振り向きざまに家臣たちを睨めまわし、となりの桝席に坐した。
桑折景長は、当主から守護代を拝命して、権威を貪っている。宿老と同世代の五十四歳。馬が合うらしく、目を合わせて意味ありげに笑みを交わした。事実、この両人が伊達氏を支配しているのである。
間を置いて、当主伊達晴宗、嫡子輝宗、正室久保姫が正面席に坐すると、家臣たちから、おっ、と感激の声がもれた。三人揃った親子の姿を拝謁できるのは稀なことであった。
晴宗は、宿老や守護代に政をあずけて、家臣たちから、そうせい殿様と揶揄されている。四十一歳にして猿楽と書画、骨董、が趣味で悠長にかまえている。
久保姫ゆずりのきりりと引き締まった顔立ちの輝宗。いずれは主従となる家臣たちに興味があるらしく、十六歳の利かん気が首をもたげて、脇見所あたりに目を立てている。
金糸、銀糸の刺繍をあしらった外衣の裾を引き、三十九歳にしては相変わらずの美貌を誇る久保姫だが、陪臣の基信には近寄りがたい存在であった。
これで皆人がそろった。心配した開演の遅れもなく、順調な滑り出しである。基信は末座から手をあげて、囃し方に開演の合図をおくった。
ヨォオ、の掛け声とともに甲高い笛の音色、弾けるような鼓の音、一呼吸おいて太鼓が鳴ると、舞台は一瞬にして妖しい雰囲気につつまれた。舞台上手の揚幕が上がる。そこに翁が立ち、橋掛かりを摺り足で舞台の中程にすすむ。扇子をかざして、正月縁起、天下泰平の舞からはじまった。あとはぬかりなく演目が進めば上々の首尾である。

遠藤基信の父親は、伊達懸田の懸田俊宗の一族で、米沢の伊達山伏藤原役行者流の修験者であった。信夫郡八丁目西水原、草堂(西光寺)の主で、遠藤山城守『金伝坊』と称した。
その子息の基信は、上京して、本尊不動明王、聖護院門跡で修験道、山伏修行をした。寺院には皇族や摂関家の子弟などが出家しており、将軍の推奨する猿楽や連歌もここで学んだ。そのほかにも、戦国武将織田信長、小早川隆景、大友宗麟、そして公卿衆とも親交があり、仲立ちとした、人々のつながりがあった。山伏としては『岩坊』と名乗った。
郷里にもどり、米沢城伊達氏に仕官を求めて門を叩いた。そのときに宿老中野宗時が現れて、基信の山伏装束を睨めまわし、素性を確かめると興味が湧いたらしく、伊達氏の陪臣、いわゆる中野の家来に召し抱えられた。十年前のことである。
今日では、祐筆を任せられながら、伊達氏の猿楽指南役を仰せ付かり、幾人かの謡、笛、鼓、太鼓の同輩もできている。なかには氏族の嫡子の姿もあった。
ふと、人の気配に振り向けば、矢内重定の姿があった。米沢城下の治安を担う大元締めが、陪臣ごときの己れになんの御用であろう。
矢内重定は、常日頃は城下の検断役を勤め、伊達氏の一大事には騎馬隊として馳せ参じる。財もあるらしく、屋敷内には猿楽舞台をしつらえ、時折、猿楽座を招いて街をにぎわしている。猿楽役者たちとの語らいから、諸国大名の動向なども嗅ぎ分けているらしかった。
「正月の乱舞始に合わせて舞台を改装させたが、有り様は如何でござる」
矢内は、口尻に笑みを浮かべて誇らしげだった。
「更にもあらず。舞うたびに木の香りが匂い立ち、見所もすっかり酔うておりまする」
矢内をねぎらい、改めて見所に目を馳せると、猿楽舞は見物たちをとりこにして、基信と矢内に気づく者はいない。それでもなお、矢内は人混みに目を配り、十分用心しているようすである。
「基信殿。伊達郡の名懸衆をご存じか」
名懸衆とは、伊達郡の懸田俊宗の支族のことではないか。稙宗、晴宗の親子騒動の節には、稙宗に与して最後まで争ったが、稙宗が退き、晴宗が伊達氏当主に身を置くと、俊宗の領地は伊達氏に没収された。その後に赦され、今日ではその支族が晴宗に従っている。基信はその末裔にあたる。
矢内が、己れの耳元にそっとささやいた。
「晴宗公家臣の心に奸曲の兆しあり。名懸衆の頭領から、耳打ちされておる」
まさか、あまりにもにわかな言掛けで、うわさの真為を質す余裕などなかった。
「城下では、茶屋の花車(かしゃ)たちが言い騒いて、男どもがひそかに酒の肴にして飲んでおる、気をつけられよ」
何に気をつけろというのか。矢内は訳のわからぬことを言い、鎌鼬(かまいたち)のごとく、己れの心に傷を残して姿を消した。
奸曲の兆し……。まるで猿楽の余興の筋書きではないか。しかし、合戦に明け暮れる世の中で、噂ほど恐ろしいものはない。氏族たちの領地争いが勃発し、伊達氏では嫡子が父親の権威を失墜させている。
うがった見方をすれば、己れが懸田俊宗の末裔と知り、矢内はわざと近寄ったとしか思えない。不吉な予感が襲ってくる。
一刻して、宿老中野宗時に呼ばれた。二重顎を捻って見下している。
「基信、見たか。お屋形様があくびをなさったぞ」
脇息に寄りかかり、晴宗の心はどこかを彷徨っているようすだった。
「奇し物と、申し付けたではないか」
宿老は人目もはばからず声高だった。伊達家臣たちが口元に手を添えて、くつくつと笑うのは、陪臣の己れへの妬みであろう。
正月縁起のめでたい演目を揃えたが、晴宗の意にそぐわなかったらしい。演目名を連ねて、宿老に念を押したとき、よしなにと目を細めたではないか。
「その膨れ面はどうした。口答えする気か」
かわす間もなく、ぴしゃり、と宿老の扇子が基信の額を打った。家臣たちに権威を見せつけたのだろうが、なぜ、大衆の目前で侮辱する。何やら訳もわからず、むらむらと怒りが燃え上がった。

楽屋の鏡の間では、役者たちが装束の着付けに忙しい。基信の額の傷を見て、表情が驚きの色にかわった。締めかけた胴帯をそのままに、神子太夫がふりむいた。
「どうなさいました、基信様」
「正月舞台なので、縁起物をそろえたが、お屋形様の機嫌をそこねて、宿老から責められておる」
「何ということでしょう」
「そこで、お願いがござる。締めの出し物は意表を突いて驚かせたい」
「あまりにもにわかで、いまさら変更は無理でござります。乱舞ならなんとかなりましょうが」
「乱舞もどきでは納得なされまい。それがしに考えがござる」
猿楽には、京の公卿衆に人気の土蜘蛛という演目がある。平安中期の武将、源頼光が鬼を退治する物語である。
「土蜘蛛はどうであろう」
「土蜘蛛は、初夏から秋の演目でござりましょう。これを舞うにはなかなかの力量を要します。わしらどもに、それなりの芸達者がおるかどうか」
神子太夫は首を横にふった。
土蜘蛛の鬼役は、跳ぶ、回る、の激しい所作事がある。すでに神子太夫一座は、一番目ものから四番目ものを終わり、まとめの演目にとりかかり、体力も気力も使い果たしているはずである。ここで無理強いして、芸をおろそかにすれば、なおさら不評に終わるだろう。
「たっての頼みがござる。その土蜘蛛役を、それがしに譲っていただけまいか、いくらかの心得がござる」
「それでは一座の面目がたちませぬ」
神子太夫は、基信の額の傷を見て、なにやらを考えたようすだ。
「何事かは存じませぬが、それほどの覚悟なら、一緒に舞っていただきましよう」
膝をくずして、化粧直しをしながら聞き耳を立てていた役者たちが、演目の変更に慌てたようすを見せた。
あらすじはこうである。まず、病気の源頼光を怪しい僧がたずねる。わしは土蜘蛛の精じゃ、と仄めかして投網のごとく蜘蛛の糸を打つ。頼光は刀を振りかざし、蜘蛛の糸を切り払う。頼光の家来の独武者が、土蜘蛛から滴り落ちた血糊をたどり、大江山にひそむ土蜘蛛を退治する。
独武者役は神子太夫、土蜘蛛役が基信。そのほかに、源頼光役と侍女役の胡蝶が配置されて、束の間に打ち合わせをすませた。
闇に灯がともり、猿楽舞台が過去世の怪しい気配に包まれた。笛、鼓、太鼓の囃子の音色に乗って謡がはじまる。

浮き立つ雲の彼方をや
浮き立つ雲の彼方をや
風の心地ちを尋ねん……

土蜘蛛の演舞が始まった。広袖の上衣に大きく襞の入った袴の装束に、頭髪を逆立てた鬼神の顰(しかみ)の面をかけた基信は、気持ちを集中させて出番を待つ。
演舞が進み、土蜘蛛の巣を、崩せ、崩せ、の謡いを聞きながら、岩陰から飛び出すと、舞台の端に独武者が身構えている。まずは、基信の独り舞台である。舞台の中程に躍り出ると、囃子の音色が高くなり、調子が速くなる。床を蹴ると同時に大太鼓がドンと鳴る。さすが神子大夫一座、これで自信がついた。
さて、正面には晴宗、輝宗が目を凝らしている。宿老、守護代らが坐する桝席を見流した。ここからは、打ち合わせのとおり、独武者との立回りである。くるりと回って両手を広げ、神子太夫が演じる独武者に蜘蛛の糸を絡ませる。独武者は、絡まれても、絡まれても、太刀で糸を切りつつ立ち向かってくる。掌から蜘蛛の糸など出るはずもないのだが、見えぬ糸に絡まれながら奮闘する神子太夫の所作には感服する。二人の息がぴたりと合うたとき、基信は興奮、陶酔し、恍惚の境地で土蜘蛛に魂を入れ込んだ。
家臣の心に奸曲の兆しあり。鬼は誰じゃ、鬼となれば鬼の心も解るはず。奸臣を退治してくれようぞ。基信は、くるりと回って飛び跳ねて、着地と同時に太鼓がドーンと鳴る。足を大きく踏み出し、手を大きく広げ、首を大きく回して大見得を切った。
「喝」
と一喝し、正面の見所に向かい、掌から投網のごとく蜘蛛の糸を打った。おうっ、見えない糸に絡まれて、晴宗親子が仰け反った。宿老と守護代が浮き腰になった。まんまとしおおせた、基信がほくそ笑んだ。  
やがて、土蜘蛛は独武者の太刀をあびて斃れる。土蜘蛛の正体が誰か、気づく者はいなかった。

     二

宿老中野屋敷の廊に正座して、雪つりの風情がただよう中庭を眺めた。今朝方、枝に積もった雪が重さに耐え切れず、どさりと根雪にかさなった。
呼び出しは、猿楽の過ちの懲らしめであろう、鬱な気分である。声がして部屋に入ると、床の間の梅の掛け軸を背にして宿老が苛立っている。
「聞く所によると、検断から要らぬことを耳にしたそうではないか」
「矢内殿でござりますか」
「知らぬとは言わせぬ。さあ、隠さずにありのまま申してみよ」
晴宗公家臣の心に奸曲の兆しあり、と矢内重定から確かに聞いた。名懸衆とも……。しかし、証拠もない伊達氏の不祥を口外できるわけがない。
「矢内殿は、猿楽舞台は気に入ったか、と申しますので、猿楽一座は木の香りに酔うておりまする、と申しました。この外は存じませぬ」
宿老が立ち上がった。
「それだけではあるまい。わしの耳は地獄耳、目は千里眼じゃ」
宿老は、氏族や縁故、身内にまで間者を放っていると漏り聞いている。矢内重定の心無い出まかせは、もしかして、間者に狙われていたのかもしれない。
「申せ、申さぬか」
まだ癒えぬ額の傷に、扇子の先をねじり込む。焼き付くような痛さに倒れ込みながらも見上げると、宿老の目が狂気を帯びている。
「それほどのお怒り、それがしには解せませぬ」
「強情者。それでは、言って聞かそうではないか。晴宗公家臣の心に奸曲の兆しあり、と言うたそうではないか。その奸臣とは誰のことだかわかるか。それは、御屋形様を猿楽のとりこにさせた、うつけ者、おまえのことだ」
怒りの陰には何かが潜んでいる。

宿老中野宗時の怒りは治まる気配がなかった。蟄居を言い渡されて、陰うつな気分で日々を過ごしていると、当主晴宗から突然の下知が届いた。宿老の目を盗んで、すぐさま登城するのはいささか気が咎めるが、当主からの呼び出しともなれば、宿老は、止む無くも見逃してくれるに違いない。安易な気持ちが先に立った。
この数日、山おろし吹き荒れて、悪寒のように身にしみた。
登城すると、茶坊主に老中部屋へ案内された。上座の御間焙りという大きな火鉢に坐するのも気が引けて、手近な火桶を引き寄せた。手をかざすと、わずかな温もりに癒される心地がした。若年寄りの部屋も刻々と賑やかになり、さっそうと机に向かう右筆もいる。陪臣の己れには場違いな部屋で息苦しく、先日の猿楽舞台での醜態をさらす思いであった。
やがて、控えの間に移されると、板戸でへだてた謁見の間には先客がいるらしい。聞き耳を立てると、聞き慣れた濁声がする。
「御屋形様。わしもまもなく老境に入ろうとしておりますゆえ。このあたりで館を構えて余生を送りたい。伊達郡、信夫郡あたりに見込みがござりますゆえ」
なにやら分からぬが、追及しているのは宿老中野宗時らしい。守護代桑折景長らしき枯れた声も聞こえる。
「わしには所領を増やしていただきたい。このままでは、家臣たちを養い切れませぬ」
晴宗の政が軌道にのると、采地下賜録を作成し、味方に加わった家臣たちに、新しく所領を与えていた。
小松城主だった桑折景長は、かつての桑折一族の所領地、刈田郡万行楯城に移り、所領を広げていたし、中野宗時などは、我がの次男、久仲を、牧野氏の養嫡子に送り込んで、小松城主牧野久仲としている。
当主の窮地を救うかのごとく、茶坊主は先客に向かってあごをしゃくり、遠藤基信様でござります、と声を張り上げた。
茶坊主に促されて謁見の間の隅に平伏すると、居合わせた宿老が呆然と凝視している。こうして、あまりにも唐突に目を合わせては詫びようもない。
「基信、わしを差し置いて、何の真似じゃ。無礼千万であろう」
宿老は首をひねり、晴宗に詰め寄った。
「十四日の乱舞の道化ぶりには我慢ならず、基信を叱責して、閉門を命じておるのです」
「閉門であったか。姿を見せぬので案じておったぞ。わしが使いを差し向けたのじゃ。かまわぬ、かまわぬではないか」
晴宗は扇子の先で、基信を招き寄せた。
宿老は、我がにへつらう氏族ばかりを優遇しているらしく、これを晴宗とて気づかぬはずはない。溝も深まっているようだ。
「輝宗がのう、そなたの土蜘蛛がたいそう気に入っておる。手ほどきをしてくれぬか、基信」
土蜘蛛の役は伏せておいたが、城内では噂になっていたらしい。
これまでの歳月、晴宗に寄り添って猿楽を伝授してきた。猛暑には汗をながし、厳寒の凍てつく板床に立ち、素足で舞ったこともある。打ち物の音色の違い、掛け声の気合。興奮、陶酔、音の世界に、晴宗は酔って堪能した。この宿老たちが、猿楽、猿楽と囃し立てたではないか。伊達氏に禍をもたらすのが猿楽とすれば、家臣の心に奸曲の兆しあり、との風評は、間抜けの土蜘蛛。やはり、己れのことであったろう。
「それがしは、もう、猿楽を舞う気力がござりませぬ」
基信が床に目を据えると、すかさず、宿老が基信の口を封じた。
「相馬氏も蘆名氏も油断なりませぬ。御屋形様は、いっとき猿楽を遠ざけ、伊達氏の名誉の挽回を図らねばなりませぬ」
「いまさら何を申す。其方たちの怠慢ではないのか」
「猿楽も連歌も、京より新たな達人を連れて参りましょう。それまでに、良からぬ風評は払拭しなければなりませぬ」
晴宗が未練気に基信を見ている。口答えさえできぬところまで押し込められている。散々私腹を肥やした中野宗時は、己れを粛清することで、晴宗公家臣の心に奸曲の兆しあり、の風評を一件落着とするつもりであろう。

     三

節分が過ぎて草木の芽が萌え出るこの季節、薄らかに雪がつもった。
米沢城裏門の道を挟んで徒士長屋がある。隣に住む赭ら顔の鬼吉が、まだ暗いうちから戸をがたがたと引いて出て行った。城門周りの雪掃きでもするつもりか、遠ざかる雪の踏む音を、伏してうすうすと耳にした。
基信は蟄居閉門を科せられ、徒士長屋の空き部屋に押し込まれた。奸曲の兆しあり、これを白状せぬうちは、飢えと寒さの攻めがつづくのだろう。山伏修行を乗り越えた心身でも、日増しに体力が衰えて、猛獣から逃げ惑う夢にうなされる。じゃが、濡れ衣のままで逃げ出すわけにはいかぬ。
いつもの賄い爺が、破り子(弁当)を携えてようすを窺いにくる。衰えた姿を見るのが耐えられないらしく、懐から干し柿を取りだした。
「屯食だって猫の餌ぐれえだもんな。ほれ柿だぞ。精がつくから食ってけろ」
隣の部屋の壁越しに、鬼吉の咳き込む声が聞こえる。いつの間にか戻っていた。
「それがしは籠居なれども、差し入れに手を付ければ、其方にも禍が降りかかりましょう。柿はお持ち帰りくだされ」
 周囲は敵か味方か見分けがつかない。隣人の男さえ怪しいものだ。
「何か、御用は」
爺が小声で訊ねた。
「辞世の句を詠みたい。もし、叶うならば筆と半紙を拝借したい」
いさぎよくこの世の未練を断ち切って、死して土蜘蛛となり、悪鬼を退治してくれようぞ。

中野屋敷の中庭の池面に、月影が蒼い光を放った。薄氷が張るような底冷えがする。中野宗時が廊に立ち、顔をしかめて戸惑いのようすを見せた。
「なに、干し柿には手を付けなかったのか。それどころか、辞世の句を詠みたいと妄言を吐いたのか」
はっ、爺がかしこまった。
「と、言うことは、矢内重定との内密は無かったのか。じゃが、油断は禁物。そうじゃ、基信を重定に直接引き合わせて、ようすを見ようではないか。よいか、見張りを怠ってはならぬぞ」
欲の深い顔つきで、中野宗時は薄ら笑いをうかべた。
 
「これ、基信殿。しっかりするのだ」
耳元で呼ぶ声がする。身体を揺すられても、目を開ける気力すら失せている。声の主は誰か、おぼろげに記憶が戻った。しかし、こんなところに矢内重定が来るはずないのだが……。矢内の顔が来迎仏のように意識がさ迷った。
基信の枕元にひざまずいた矢内重定が、ため息まじりにつぶやいた。
「なぜ、中野宗時は、このように弱げな身体をわしに預けた。猿楽演舞の、奸曲の兆し……、わしが漏らした不覚が、禍をもたらしたのであるまいか」
連れてきた身内の若い衆に駕籠を調達させ、ひそかに矢内屋敷に運んだ。奥の座敷に床を敷き安静に寝かせた。一刻して町医者が来た。基信の脈をとり、薬を口に含ませ、今夜が山場かもしれぬ、と言い残して屋敷を去った。
人払いされた座敷は静まっている。矢内重定は火鉢に炭を足して、湯を沸かし、暖をとり、基信の手の脈を探す。東雲が白むまで手づから介抱してくれた。
明瞭に意識を取り戻したのは翌日だった。

いま、己れはどこにいる。締め切った部屋は暖かく、布団も温い。枕元の盆には湯飲みと急須が置かれて湯薬の匂いがただよっている。床の間の花瓶の椿花が春を感じさせた。
人の気配に起き上がろうとするが、まるで土嚢のように重たい。矢内重定が座敷に入って、ここは矢内屋敷と気づいた。肉親とも思える介抱に救われたのだろう。このまま情けに甘んじて寄食しては迷惑をかけるばかりだ。  
矢内が覗き込んで、己れの顔色をうかがっているようすだ。
「おお、正気に戻られましたか、どうかお許しを……。基信殿を惨い目に遭わせたのは、わしの思慮のなさでござります」
軽いめまいで、ふらつく足を気丈にふんばり、基信は床を離れた。
「思い違い召さるな。伊達氏に禍をもたらした種は、それがしにあるのじゃ。当主が猿楽や連歌などに現を抜かせば、とうぜん、隙を狙う氏族や支族が現れる。米沢城で気づかぬものが、他所ではよく見えるものでござりましょう」
世話になった礼を述べながらも、厳しい表情は崩さなかった。
「明日にでも出で立ちまする」
「その身体で何を申されます。当て所があるのですか」
「どこぞの神社にでも身を潜めて養生し、さもなくば、山麓に籠るつもりでござる」
「そのような無茶なこと、見逃しにはできません。それなら、故郷まで駕籠を立てましょう」
「中野宗時の放った間者が隣にいると思わねばなりませぬ。それがしに世話を焼くと、矢内殿のお身さえ危のうござります」
いくら正義感の強い矢内重定でも、中野宗時に逆らえばどうなるかは心得ているだろう。逆心と吹聴され、役職も屋敷も没収されかねない。
「伏して、お頼み申します。誰にも悟られず、修験装束を拝借したい」
矢内が目をしばたたいた。
数日後、米沢城下が寝静まるころ、笈を背負った白装束の山伏が、矢内屋敷を抜け出した。

     四

ふりむけば、米沢盆地に暮れの霞がかかっている。未練を断ち切り、栗子山の端を見上げた。板谷峠を越えれば親族の住む郷里になる。灯の温もりが恋しく、いつしか峠に向かって歩んでいた。
途中、野草を摘んで口に含んだ。噛んで飲み込めば、いくらかは腹の足しになる。竹筒の水も飲みつくした。さざめく林の中に、朽ちかけた小さな祠を見つけて、一夜の宿を借りることにした。腰を据えて寄りかかると、急に睡魔が襲って来る。
人の気配に目覚めて仰天した。麻物を着込んで見るからに樹木風情の男が覗き込んでいる。まさか、中野宗時の間者ではあるまいが用心に越したことはない。懐の短刀に探りを入れた。
「何用でござる」
「ふもとの百姓だ。山伏様のお姿を見つけて、追いかけてきたんだ」
ひざまずいて手を合わせ、神仏にすがるしぐさを見せられると、心を許す気持ちになった。
「婆様が寝込んでいる。もしや、怨霊の祟りではないかと」
このように粗末な麻物を着込んだ百姓に、祟りなどあろうはずがない。しかし、なにもかも剥落した山伏に何ができるというのか、狼狽した。
「岩坊と申す。そういう事情なら邪気を祓うて進ぜよう」
思い切り名乗ると、山伏修行のころの活力がよみがえった。背中の笈を背負いなおして、道を戻ることにした。
米沢城内の狐疑の眼差しとは裏腹に、百姓の瞳は清らかだった。
「食い盛りの童が四人おりましてな、賑やかなもんだ」
百姓は、道の半ばに振りむいて自慢気のようすだった。
寄せ集まった草屋根は縁戚であろう。湧き水を竹筒に汲み、口をそそぎ、手を洗い、心身を浄めた。
粘土を塗り手繰った壁の内は薄暗く、鍬や鎌が立てかけてある。土間に山積みされた藁束は夜なべであろう。弱い炎のいろりを囲んで、呆気にとられる四人の童を、妻が叱咤して隅に追いやった。むしろを下げた陰に細い息遣いが感じられる。
煤けた神棚に礼拝すると、祓え給い、清め給い、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え……、一心に唱えた。背後には百姓夫婦がかしこまっている。御祈祷を終えると、夫婦は幾度も頭を下げた。
「さあ、こっちに寄って、手をあたためてくれろ」
いろりの吊るし鍋には、雑穀と山菜の根を刻んだ薄粥がふつふつと煮上がっている。妻は椀に粥をよそい、沢庵漬をそえて持て成してくれた。粥をすすり、沢庵をかじると、心身の冷え切った空腹には何よりのご馳走で、生き返った心地がした。
「邪気を祓ってもらって、これで婆様も長生きできるない」
老婆から目を逸らせた妻が、お代わりを勧めた。二杯目を平らげて、はっ、と気付く。四人の童が鍋を見つめている。椀を置く手が震えた。鍋底があらわれて、この家族で食するには粥が足りないではないか。
「粥は神様への供物だし、婆様の気持だから遠慮はいりません」
 妻がいろりに柴をほうりこんだ。めらめらと炎が燃え上がり、家族の顔を赤々と照らした。
基信は頭を垂れた。思い及んでむしろを捲り上げると、寝込んだ老婆の病葉のような手のなかに、手拭いを握りしめている。目を合わせると涙をふいた。
「お許しを。それがしが、あなたの粥を食しました」
「何を言うか、ありがてえことだぞ。これでおらは、成仏して山に昇れるんだ」
老婆の瞳に光明が差した気がした。
身を削げて稔らせた作物は、年貢と称し、米櫃の中まで検められ、領主に奪取される。粟や稗粥が常食で、四粒の童の育ちが生きがいであろう。いくらひもじいとて、媼の粥を口にするとは許しがたい。己れの卑しい強欲が情けなかった。
これまで己れは何をしてきた。猿楽を舞って、謡を朗吟して、働けど働けど貧困から抜け出せない百姓のことなど、考えてもみなかった。中野宗時などは、散々私腹を肥やして、所領が欲しいと駄々をこねている。結局は、同じ穴の狢ではなかったか。そのくせ謂われのない罪を着せられ、安住の地に逃れようとしている卑怯者なのだ。修行が足りぬ。夜の目も寝ずに働く百姓から、逃げるように山道を上った。

南方の吾妻山と北方の蔵王山に挟まれて栗子山が見える。尾根が幾重にもとぐろを巻いて、大蛇(おろち)の容相をしている。岩窟に身を潜め入り棲み処とした。ここは大蛇の胎内で安息が心を満たしてくれる。蔦を使って木の枝をしならせ、獣道に罠を仕掛け、昨日は運がよく肉(しし)に恵まれた。肉は火で炙り、少々食して、笈に仕舞い込む。獲物はめったにありつけないが、獣身となれば飢えも修験道の一環である。
今夜は弥生の八日あたりであろうか。うっそうとした森のなかに星明かりがこぼれた。峰をめざして、一歩、一歩、大峰行にでる。長く尾を引く狼の遠吼え、谷底の咆哮は獣たちの語らいか。やがて、木々の丈が低くなり、岩石が噛み合って厳しい道程である。
岩に坐して座禅を組んだ。上弦の月が西の山に沈んでゆく。闇の底は苦界、人間たちがうごめいている。山々の霊たちが厳かに呼吸をして頬を撫でる。目を閉じて深い息を吐いた。天道様の霊力、大蛇の霊力を一身に授かり、苦しむ者をお救いしたい。
刻一刻と東雲が白んで全身に温もりが感じられる。ご来光に包まれ、大蛇と心身が溶け合い、無限の神通力が授かった気持ちである。
ここから東方は、郷里の伊達郡、信夫郡になるが、米沢城下町に向かうことにした。先日、伏している老婆の命となるはずの粥を己れの命とした。弱い者を救うには、まず政を正さねばならぬ。晴宗公家臣の心に奸曲の兆しあり、米沢城内で嘲笑う声が耳に突き刺さる思いである。
     
     五

芽吹き始めた枝先を小鳥たちが忙しく飛び交う、花曇りの陽気になった。まもなく、山麓の山桜も満開になるだろう。閉ざされた胸の澱みを吐き出すように深い呼吸をした。
谷川の豊かな流れで身体を浄め、指で蓬髪を掻き揚げ、蔦の細皮で結い上げる。笈から白装束を取り出して着替えた。川面に映る髭面は、見あやまるほど精悍で一皮むけた気分である。
町家に灯りがともるころ、米沢城下に入った。路の両側に軒を連ねて、賑やかな清掻き(和琴)の音色、味噌汁の香り、人の営みが匂い立つ。遍参の僧や修験者の宿坊も立ち並び、夕暮れに紛れた山伏行者を怪しむものはいなかった。
矢内重定屋敷の表に立つと、相変わらず庶民の出入りが絶えない。恥を忍んで這入る勇気もなく、城下町を一巡して出直そうと、立膝をして草鞋の紐を結びなおした。
「申す」
不意に、背後から声をかけられ、その場に釘付けになった。中野宗時の間者か、振り向けば騒ぎになり、矢内重定に迷惑が及ぶ。素知らぬ振りして城下町を抜け出そう。街道の先は最上氏の所領になるが、途中の道を逸れて、二井宿峠あたりで煙に巻いてやろう。
背後の足音を聞き分けて歩度を速めるが、やはり迫ってくる気配は消えない。闇が深くなり、首筋がしっとり湿りをおびた。茅群の陰に身を潜めると、男が息せき切って追いついた。あたかも獣のような嗅覚で、獲物を追い詰めたように立ちふさがった。
「御手前は、遠藤基信殿と、お見受けしたが」
この赭ら顔、どこかで見覚えがある。徒士長屋に住んでいた庭番ではないか。たしか、鬼吉という胡散臭い男だ。
鬼吉は、堂々と距離を歩み寄る。
「それがしは怪しいものではござらぬ」
鬼吉とは仮の姿で、伊達郡小屋館(赤館)の鬼庭一族。置賜郡川井城主鬼庭元実の嫡男、鬼庭良直と名乗り、齢(よわい)四十七歳と付け加えた。己れより二回り年長か。疲れも見せずに追い掛けてくるとはまことに油断がならぬ。
「話だけでも、聞いてくだされ。わが鬼庭一族は、中野宗時に疎んじられておる」
鼻頭を手の甲で拭き、愚痴めいたことを語る滑稽な赭ら顔、必死に何かを訴えてくる。中野宗時ときけば、振り切る訳にはいかぬであろう。
稙宗、晴宗親子騒動の際には、鬼庭親子は晴宗に加勢して、功績として二千石を拝領した。じゃが、家督相続もいまだ所領は父親名義。父親が歿すればお家断絶もありうることだ。中野宗時の作為であろう。
「理不尽とは思わぬか。考えあぐねて、信夫郡の大森城主伊達実元様を頼った。大森伊達様は、人払いをして、伊達氏のために一肌脱いでくれぬか、と申された。承ると、遠藤基信に引見したいと、命ぜられておる」
何のために……。
これで解せた。鬼庭は大森伊達の間者で、長屋住まいは、己れを見張るための仕業であったろう。
「この足で、大森城までご足労願いたい」
鬼庭の両眼が闇のなかで光沢をおびた。
伊達実元は、稙宗、晴宗、親子騒動のきっかけとなった人物だが、いまではすっかり影を潜めている。しかし、己れには何の関わりもないことである。
「秘密を打ち明けたからには」
鬼庭良直が腕まくりをした。腕でずくで連れ去るつもりか。身体は己れより小柄だが、敏な脚や腰つきをしている。
「無茶を言うな。それがしには成し遂げねばならぬことがあるのだ。たやすく口車に乗ると思わんでくだされ」
伊達当主晴宗に謁見し、政に一意専心するよう諫言し、叶わねば、城内で自刃する覚悟もできている。
「しからば、何事でござる」
目がかち合った。
「御屋形様に進言して、偽りの政を質すつもりだ」
「それは、向こう見ずの勇気、というものじゃ。米沢城は中野宗時、桑折景長の家臣が見張っており、鼠一匹たりとも入城する隙間はありませぬぞ。お主ひとりで何ができるのじゃ」
当然ながら、鬼庭は己れの弱みを鷲掴みにして、勝ち誇ったような笑みを漏らした。
「矢内屋敷を見張り、ある時は、山に鷺が飛ぶ噂を耳にして、もしや、白装束の山伏ではなかろうかと、山麓を捜したこともあった」
鬼庭の言葉に偽りはなさそうだ。遠回りになるが、民百姓の悲惨な実状を、伊達実元を通じて進言する手もあろう。
鬼庭がごろりと横になった。基信は膝を屈して手を束ねて夜明けを待つことにした。

米沢城から信夫の里までは十里ほどあろうか。板谷峠を越えて谷道を歩む。雑木林には白いこぶしの花が咲いて、百姓仕事の始まりを知らせている。
街道は中野宗時の間者が目を光らせていると思わねばなるまい。鬼庭良直はさっさと通りすぎ、笈を背負った山伏行者がゆっくりと追う。梨平集落に入ると、旅人たちは峠をめざして先を急ぎ、白装束に目をくれる者はいなかった。
澄んだ西空の下、鉄錆色の一切経山が目前に迫ってくる。立ち止まって眺める余裕はなかった。
大森城は二本松城畠山氏を押さえの城郭である。鬼庭が虎口で来意を告げると、城内が慌ただしくなった。二の丸の庭先で、基信は立膝で当主を待った。
大森城主伊達実元が廊に立ち、総髪に髭面の山伏装束に鋭い眼光を放った。三十三歳にしては老けた感じがする。
伊達氏十四代当主伊達稙宗は、勢力拡大を目指し、嫡男晴宗の弟で三男の伊達実元を、越後守護、上杉定実との養嫡子縁組を仕立てた。その際に、選りすぐりの武者百騎を随行させるのを、伊達氏の弱体を懸念した晴宗が猛反対した。重臣の中野宗時、桑折景長が、これを機に、絶好の機会とばかりに知恵をつけたのである。
稙宗は、鷹狩りの帰路を待ち伏せされ、伊達郡の桑折西山城に幽閉されたが、すぐさま、側近の小梁川宗朝に救出され、娘婿の懸田城主懸田俊宗にかくまわれた。相馬氏らの応援もあり、伊達家臣や氏族を巻き込んで、六年もの間、親子騒動がつづいた。
騒動が収束すると、晴宗が伊達氏当主となり、居城を米沢に移した。稙宗に従った伊達実元は、そのときの武者百騎を従えて大森城に入った。大森城主とは名ばかりで、所領は米沢城の預かり、晴宗の嫉みにやつれながら、妻女も娶らずに信望を重ねていた。

その日、鬼庭良直の計らいであろう、基信は湯につかり髭を剃ることができた。控えの侍女が髷を整えてくれた。笈の中の衣服に着替えると、凛々しい出で立ちを盗み見た侍女が頬を赤らめている。
基信は、鬼庭とともに謁見の間の片隅に坐した。伊達実元が脇息に身体をもたれ、基信を値踏みする。
「隙のない面構えだのう」
胸中をのぞかれるような気分である。
「畏まらずともよい。近こうよらぬか」
実元の目の鋭さは、基信が中野宗時の従者であったころの疑いがくすぶるのであろう。
「久保姫から猿楽の名手と聞いて、楽しみにしておったぞ」
膝行して、思わず身を引いた。なぜ、実元の口から久保姫の名があがる。不意をついたとは思われない。
「うふふ」
実元の思わずもらした低い声に怪訝をいだいた。
晴宗の家臣の心に奸曲の兆しあり、と告げたのは、もしや、久保姫。そして、伊達郡の名懸衆に噂を流布させたのは伊達実元ではなかったか。さらに、これまでの鬼庭の奇怪な行動。言うまでもなく、晴宗を猿楽に惑わせたのは己れである。顔ぶれをみると、何と奇妙な巡り合わせではないか。
「それがし、猿楽は封じておりまする」
「いったい、何事ぞ。基信」
「それがしの一存のことゆえ。お許し願いとう存じまする」
鬼庭が口を添えた。
「実元様は、何もかも存じておる。正直に申すがよい」
実元が微かにうなずいた。
「それがしの猿楽舞には、人間を堕落させる魔が潜んでおりまする」
中野宗時から謹慎を科せられ、いまだに腰縄が疼くのである。
「それがし、それがし、それがしか。まあ、それはそれでよい。晴宗は、愚か者よ」
過ぎ日を思い出したかのように、実元が怒り顔をみせた。
「じゃがの、猿楽を舞い、連歌も詠わねば政がなりたたぬ。京の足利将軍などは、猿楽や連歌で諸大名を掌中に収めたではないか」
そのとおりである。民百姓の飢饉を救うには、ここで猿楽を舞わねば前に進まぬではないか。
「それならば、舞に興じましょうぞ」
と、しぶしぶ腰を浮かすが、そのまえに大森伊達の乱舞衆との打ち合わせがある。
「土蜘蛛がよい」
伊達実元がさらりと言った。
得体の知れない御膳立てが揃っている。背を叩かれたような気分であった。
膳が運ばれ、重臣たちが坐して、一献、一献と銚子を回した。ほどよく酔いしれたころ、板戸を立てて夕暮れの光をさえぎった。
前世の闇に燭台の炎がゆらめき、乱舞衆の笛や太鼓が鳴った。基信の出番である。

所は高砂の
 尾上の松も年ふりて
老いの波もよりくるや……

翁面の基信は、『高砂』の上歌を吟じて、手振り、足の運びは、武術のならい。春の浦風が高砂の相生の松を清める光景に、大森伊達の過ぐる日をかさねた。兄から弟への苛めは、中野宗時の悪辣な陰謀であろう。家臣たちも、その悔しさを分かち合いながら、日々耐えているに違いない。おのおのが涙を浮かべている。
次の演目は嗜好がかわった。闇のなかに土蜘蛛の顰出立(鬼の扮装)を浮かび上がらせ、謡いはなく、ひとしきり笛と太鼓で舞った。土蜘蛛の境地に入ると、大きく首を振り、大きく足を踏み出し、大きく手を広げて、大見得を切った。見えぬ蜘蛛の糸を手繰り寄せ、
「喝」
上座に絡ませる。おっ、伊達実元が仰け反った。あまりの迫力に、額に汗を浮かせている重臣もいる。
「伊達氏には、この迫力が必要なのじゃ」
実元が、にやりと笑いかけた。
土蜘蛛が消えて板戸が引かれると、故郷、信夫の里の天に、星がきらめいていた。
平服の姿で部屋に戻ると、すでに重臣たちの姿はなく、鬼庭良直だけがぽつねんと佇んでいる。人払いをされたのは、大森城内にも中野宗時の回し者がいると思わねばならぬからだろう。忙しげに侍女が出入りして膳が改められて、鬼庭と久しぶりの御馳走に与かった。小用を済ませた伊達実元が坐し、自ら銚子を傾けた。
「頼まれてくれまいか」
身じろぎもせずに、基信は心を凝らした。
「米沢城では、晴宗の近習さえも、中野宗時の言いなりと聞いておる」
夜稽古であろう、近くの武術稽古場に、威勢のいい掛け声がする。後押しされたかのように、実元は背筋を伸ばした。
「実を申すと、久保姫から内密の信書が届けられておる。書面には、輝宗の近習に、遠藤基信はどうか、と認められておる」
「それがしでござりますか」
あまりにも意外で、胸は高鳴り、血脈、肌肉が煮えたぎるのを覚えた。
「米沢城の奸臣は、一筋縄ではいかぬ人物じゃが、五十七ともなれば、目も耳も足腰さえも衰えてくるものじゃ。いくら強気でも老いには勝てぬ。それまでに輝宗を一人前の武将に仕立て上げてもらえぬか」
これまで中野宗時の家来として、伊達氏の家臣たちを京まで引率し、将軍に拝謁して忠誠を誓った。公卿衆を米沢城に招いて、蹴鞠や連歌会を催したこともあった。しかし、繁栄の果てに奸臣を招いてしまった。何もかも己れの不始末と思うと情けない。
「仰せ承り、輝宗様を守護し、伊達氏の繁栄に、一身を捧げとう存じまする」
「頼むぞ。わしは伊達氏の安泰を祈らぬ日はなかった」
伊達実元は、薄い唇をわなわなと震わせた。
民百姓を救うには、輝宗を慈悲の心を持つ武将に育て上げ、合戦のない世の中をめざすのが真の道であろう。久保姫が見方ならば百人力である。猿楽面の深井女の情念を思い浮かべた。
   
     六

中野宗時が、伊達氏当主伊達晴宗をないがしろにした政が六年。晴宗が隠居し、嫡子輝宗に家督を譲り渡してから三年余。十年の歳月が流れていた。
元亀元年(一五七〇)。依然として、中野宗時、桑折景長らが、伊達氏を牛耳っている。諸氏族を平伏させた権力は、巨岩に食い込む太根のように揺らぐことはなく、やがては伊達氏を砕く恐ろしさがあった。
桑折景長が伊達稙宗に仕えたとき、稙宗の六男、宗貞を養嫡子として与えられた。これを嫌った実子宗長が養嫡子に刃を向けるという間違いを起こした。このとき、景長は、宗長を出家させて穏便に取り計らった。それからまもなく養嫡子宗貞が死去して、宗長を呼び戻して家督を継がせている。最近、養嫡子の毒殺説が浮上し、輝宗の命を脅かしている。
このような混沌とした状況のなかで、遠藤基信は、僧侶たちを招き、儒教、武術、兵法などの勉学を徹底して、輝宗を養育した。奥羽の最上氏から義姫を迎え、心身ともに成熟した二十六歳の輝宗。伊達当主としての才能や力量も申し分ないのだが、いまだに打つ手がなく、順風に帆を上げることができないのである。

裸木の芽がほころびはじめると、雪解け水が盆地に潤いをもたらし、待ちわびていた田畑に種を蒔く。と言っても、自然を相手に生き抜くことは容易ではない。日照りや霖雨、山背風に侵されて、稔らぬ秋に泣かされることもある。
置賜郡では、卯月四日を山の神の祭日とし、神社では八百万の神に穀物や御神酒を捧げて奉納する。笛を吹き、鼓や太鼓を鳴らし、謡い、舞って豊作祈願する。
町家では、冬季に仕込んだ味噌、酒の出荷がはじまり、番頭たちが店先で意気込んでいる。基信が所領を散策し、屋敷にもどると、先刻に鬼庭良直の使者が見えたようだ。
「火急の御用と申しておられました」
登城とは何事を意味するのか。すでに妻が気を利かせて、肩衣袴が整っている。膳の汁物をすすり、衣服に手を通し、脇差を腰に据えた一瞬、中野宗時の顔がよぎった。
早々に登城して御用部屋に出向くと、鬼庭良直が、置賜郡館山城主新田景綱を伴い、火のない大火鉢のまえに胡坐をかき、貧乏揺すりをしている。二人は待ちくたびれたようすであった。
己れの気配を察してか、鬼庭は立ち上がり、
「まずは、御屋形様に伺候してからじゃ」
と何やら含みをもたせた。
三人が連れ立って謁見の間に坐した。鬼庭の顔色は紅潮し、新田は苦悶の貌をしている。事情は知らぬが、なぜか己れは意気込んでいた。
やがて、伊達輝宗が上座し、物慣れた態度で三人の重臣に日頃の労をねぎらった。浅黄の地味な衣装をさらりと着こなし、端麗な物腰で、久保姫が輝宗の傍らで見守っている。相変わらずの美貌だが、いくぶんか目元が窪み、頬肉が削げて彫りが深く感じられる。
新田景綱が御前に両手をついた。
「恐れ入りながら申しあげます。わが嫡子義直は、中野宗時の孫娘を娶っております。謀反を企てる中野宗時に、義直が加担したと知り、問い質せば……」
中野宗時は、側近や親戚を集めて、わしは近隣の氏族を掌中に収めて、目処がついた。近々、中野氏を構えるつもりである。堂々と、伊達氏乗っ取りの高言を吐いたそうだ。
「中野一族に染まった息子の不甲斐なさが、残念でなりませぬ」
新田景綱は、懐紙をとりだして目頭を押さえた。
「ようやく、中野宗時が馬脚を露わしたか。わしと同名の義直、あっぱれじゃ。奸臣の謀叛を告発したなら、十分に称賛に値するではないか。めそめそするな、新田殿」
鬼庭良直が物の怪の首でも獲ったかのように気炎を揚げた。
新田景綱が頭を振った。
「わが新田一族は、代々、伊達氏に仕えて参りました。それが一時なりとも謀反に加担したとなれば、新田家として許すわけには参りませぬ。どうか、義直の自刃をお許し願いとう存じまする」
「何を申すか、新田殿。死をもって罪をつぐなう覚悟なら、命懸けで伊達氏に奉仕すればよいではないか。若者は将来何かの役に立つものじゃ。いくら親とて、子の命を絶つのは許しがたい」
鬼庭は、鋭い形相で新田を見据えた。
以前に、中野宗時の孫娘と新田景綱の嫡子との縁談が持ち上がったとき、己れは、何かを狙って働きかけた。何かとは、このことではなかったか。
「今もって、御屋形様をないがしろにする中野宗時。その一族を根絶に追い込まねば、いつの日か鎌首をもたげて、御屋形様の首に絡まりつきまする」
基信は、新田義直を中野一族とみなした。
「自刃させよと申すのか、基信」
輝宗が脇息を手放した。
「さようでござりまする。中野宗時の娘婿に慈悲の心を授ければ、諸氏族は伊達氏の不甲斐なさを嘲笑い、さらに、中野は乗っ取りに拍車を加えましょう」
不動明王の眼力のように、基信の目が見開いた。
輝宗は不服な表情で、久保姫に賛同を求めた。
「世間への見せしめのためにも、よく、考えなされ」
深井女には、強い意志が汲み取れる。
死を科する母を日頃の母とは似ずかずに、しばらく戸惑いながらも、輝宗は決断した。
「新田直義、自刃を許す」
「御屋形様、不動明王に目をお向けくだされ。火焔を背負い、貌は牙を剥きだして、武将は、鬼と化さねばならぬときがあるのです」
新田義直の哀れに、基信は涙を噛みしめて輝宗をさとした。
   
気候がよくなると、冬眠から目覚めた獣たちが縄張り争いをするように、氏族たちも所領分捕りの駆け引きに余念がない。百姓衆さえもこつこつと力を蓄え、領主を巻き込んで所領争いを起こす。中野宗時などは、いまもって氏族たちを味方に手繰り寄せ、権力者は力を持つほど智謀をめぐらすものである。
「本日、新田義直が自刃しました」
新田景綱の家臣に連絡を受けたのが、乾いた風の吹く未の刻(午後二時)あたりだった。   
孫婿が自刃したとなっては、中野宗時も動き出さずにはいられまい。米沢城の御用部屋が差し迫った事態にみまわれた。
「よいか、皆の者、ようやく奸臣退治じゃ」
基信が諸手を挙げて立ち上がり、口火を切った。足軽兵たちが、それぞれの持ち場に戻って態勢を敷いた。
入り代わり立ち代わり、足軽兵が基信の下に報告にくる。
「中野屋敷の動きはどうじゃ」
「昨夜から門を閉ざしたままで、それがかえって不気味です」
城門辺りを見回り、鬼庭良直がもどってきた。
「なあ、基信殿。中野宗時には五百を越える騎馬と兵がある。旗を揚げれば一足飛びに集まる氏族も少なくはない。この時刻、刻を稼いで合戦の準備をしているに相違なかろう」
「仰せのとおり。中野宗時に与し、甘汁を啜った氏族は多いはず、刻が過ぎればこっちが不利になるばかりじゃ」
高畠城小梁川盛宗、小松城牧野久仲、桑折景長、刈田郡白石宗利。伊具郡角田城田手宗光。相馬郡小高城相馬盛胤など、中野宗時に与して、先代の稙宗を失脚させた面々が、基信の脳裏にうかんだ。
「中野一族に援勢が加われば、奸臣退治は長引き、苦戦になるかもしれぬ。ただちに、大森城には出陣の早馬を。それから置賜郡の支城には下知状を走らせまする」
基信が気を引き締めると、
「早々に、中野勢を包囲する。陣立ては、それがしにお任せあれ」
鬼庭が鯉口を切った。
これで、奸臣退治の目処が立った。大森伊達実元も誓願達成に燃えることだろう。
お堂の不動明王の御前に坐する久保姫に、甲冑兜を身につけた輝宗が、出陣の挨拶をする。久保姫は厳しい表情を引き締めた。
「伊達を存続させるには、奸臣退治は絶対です。伊達が苦戦と見れば、氏族は奸臣に寝返りましよう。侮ってはなりませぬ。母は、不道明王に武運をお祈り申し上げますゆえ、決して弱腰はなりませぬ」
「必ずや奸臣を退治して、勝鬨を上げます。母上」
輝宗は、見送る妻義姫と目を交わし、嬉嬉として鷹狩りの気分である。
久保姫からみれば、基信も、鬼庭も、まだまだ力量不足。信ずるものは不動明王だけであろう。奸臣に粛清されるところを、伊達氏家臣に登用してくれたこの母子に、身を捧げる覚悟はできている。武具をまとい、立膝でお堂を見上げる基信の心は、弓のように張り詰めている。
すでに城下は黄昏はじめていた。足軽兵たちが炊き出しを頬張っていると、見張り櫓の番兵が駆け込んできた。
「城下に火の手が上がりました」
兵たちが一斉に立ち上がった。侍屋敷あたりの薄闇が朱に染まっている。あれは中野屋敷ではないか。予想外にも屋敷に火を放ち、城下を焼いて伊達勢を阻むつもりらしい。
「中野一族が街道を西に向かいました」
次々と情報を持ち込んでくる。
「逃亡先は、おそらく小松城であろう」
小松城は米沢城から三里半余り、中野宗時の次男牧野久仲の平城である。そこで態勢を整え、伊達勢を迎え打つ算段であろう。

翌朝。伊達勢は、小松城沿いの犬川を背に布陣して平城を睨んだ。輝宗を上座に、遠藤基信、鬼庭良直たち重臣が軍評定に入った。鷹狩りとは大違いで、生死をかけた土蜘蛛退治。
初陣の緊張に耐え切れず、輝宗が床几から立ち上がった。
「総大将は、奸臣を斃す気概を念ぜねばなりませぬ」
基信が、輝宗をたしなめると、不安気に床几に腰を下ろした。
「さあ、念ずるのです」
「その怒声は、まるで不動明王じゃ」
輝宗は目を閉じ、徐々に厳しい表情をみせた。
「そのお姿を拝してこそ、兵たちは死力を尽くすのです」
置賜郡には四十八ほどの城館がある。輝宗が奸臣退治の命令を下しても、中野宗時を恐れて、すべてが味方に参戦すると思えない。奇策を講じねば勝算はむずかしかろう。太鼓のとどろきは、敵の動きを狂わせる狙いがある。合戦場に大太鼓を担ぎ出すよう、矢内重定に要請した。
総大将の御前に、小梁川宗秀が立膝をした。
「西山城に稙宗公が幽閉されたとき、それがしの父小梁川宗朝は、命懸けでお救い申し上げました。小梁川一族は、伊達氏が窮地の事態には、命を懸けるのが家訓でござります。どうか、先鋒を賜りとう存じまする」
「お待ち下され」
新田景綱が進み出て立膝をした。
「我が息子が奸臣に加担したのは、親の責任でござりまする。どうか、この新田景綱に先鋒を」
先鋒とは討死を覚悟したことを意味する。輝宗の鉄扇が震えている。
「あい、承知した。小梁川宗秀、新田景綱に先鋒を命ずる」
置賜郡には、山風が吹き下ろして、木々がざわついていた。
城門を固く閉じて籠城している中野、牧野親子は、援勢の到着を当て込んでいるようすだ。機先を制せねば、後方、側方から挟み撃ちにされて伊達勢が不利になる。
小梁川宗秀、新田景綱がひきいる騎馬勢は、旗指物をひるがえして、小松城門前に勢揃いした。足軽兵どもが城を取り囲んで、大太鼓も配置された。基信が合図をおくると、伊達氏総大将輝宗が軍配を上げた。
「打て」
伊達勢が鬨の声をあげた。大太鼓のとどろきは、宙を搔き乱して中野勢を惑わせ、伊達勢を多勢と勘違いしたようだ。小松城の塀にならぶ矢狭間、鉄砲狭間から、一斉に、矢が、鉄砲玉が飛んでくる。一瞬、伊達勢がひるむのを叱咤するかのごとく、騎馬武者小梁川宗秀、新田景綱が突進し、従った足軽兵どもが城門を解放した。
遠藤基信、鬼庭良直が躍り出て馬上から穂先を突き刺す。兵たちも穂先を揃えて突き刺した。敵と味方が入り乱れて刀剣をふりかざし、武具が擦れ合う音がひびく。合戦の庭に土埃が舞い上がった。
その最中に、中野一族が意外な行動にでた。騎馬群れて小松城を抜け出したのである。同時に中野勢の足軽兵どもが蜘蛛の子を散らすように散走した。追いかける伊達勢を尻目に、中野一族は土煙を立てて高畠を越え、新緑に染まる狭い山道に姿を消した。
高畠まで追い駆けて、輝宗が馬の手綱を引いた。地に平伏する高畠城主小梁川盛宗をねめつける。盛宗は晴宗の娘婿、いわゆる輝宗の義理の弟にあたる。これまで、さんざん中野宗時に与して勢力を誇ってきた。只今、中野一族が高畠領を逃亡するのを見逃したのである。
「身内でありながら、逃亡の手助けをしたとは許し難い。わしを軽んじたか」
小松城では、小梁川宗秀はじめ、あまたの家臣が討ち死にした。それなのに、中野宗時に義弟が義理を立てたのである。
輝宗は悔しさを露にした。
「恐れ入りながら申し上げます。それがし盛宗は、中野宗時の苛政に従いました。中野が謀反なら、それがしも同罪。お裁きを賜りとう存じます。家臣たちに罪はござりませぬ」
盛宗は悲壮な表情であった。
「あい、わかった」
そう言い、輝宗は盛宗を一瞥し、山間まで馬を走らせた。
「この先は一本道じゃ。中野一族を追えば、宿場あたりで追いつきはせぬか、基信」
「先は、伊達郡、そして白石、角田とつづき、その先は相馬氏の所領になります。中野宗時はそれら氏族に援けを乞うでしょう。いずれが敵か味方か定かならず、勇み足はなりませぬ。ひとまず城に引き返して、態勢を立て直すべきです」
小松城の合戦は二日間で鎮圧し、伊達勢は街道を凱旋の気分で帰路に着いた。
間者によると、中野一族は高畠を逃れ、角田城をまわり、辿りついたのが小高城相馬氏。中野一族をかくまうのは、奸臣退治の尾を引くと見たのだろう。中野宗時父子は、騎馬隊と足軽兵とも離れ離れになり、消息が消された。

米沢城の御用部屋では戸が開け放され、さわやかなあやめ草の香りがただよっている。
重臣たちが召集されて、はじめての評定である。おのおのが声も高らかに奸臣退治の自慢話を交わしている。手柄を立てた者には、伊達当主から恩賞の言葉がある。遠藤基信と鬼庭良直は、家臣の働きを綿密に査定して、項目に名を連ねる。はじめての上申であった。
奸臣を退治したからには、今後、輝宗が陸奥一円の氏族の模範とならねばならぬ。ようやく勝利の実感が湧いてきた。
謁見の間の輝宗は、いくぶん肝が据わった態度で大人びた感じがする。
「御屋形様の力量は、諸氏族に知れ渡ったことでしょう」
鬼庭が笑みを浮かべると、目を合わせた輝宗は、一瞬、はにかんだようすを見せたが、離れて坐する久保姫に向けて、感情を剥きだしにした。
「小梁川盛宗は許せませぬ。自刃で償わせたい」
中野一族が高畠を逃げるとき、見逃した振る舞いは自刃に値すると、輝宗は思っているようだ。
久保姫は顔色を変えなかった。
「盛宗を自刃に追いやれば、小梁川家臣から遺恨を買って、やがて輝宗殿に刃を向けましょう。この母が盛宗を出家させて、政には、一切口を出させませぬゆえ」
久保姫が娘婿をかばうが、輝宗は強気である。
「なりませぬ。それでは示しがつきませぬ」
「肉親の争いほど、悲しいものはありませぬ。ここで終わりにせねばなりませぬ」
久保姫が困惑している。
稙宗、晴宗親子は、支族を巻き込んで血肉の争いをしてきた。久保姫はその愚かな騒動に決着をつけたいのだ。それを察した基信は、平伏して輝宗を睨みつける。
「御屋形様、不動明王は慈悲の心を持つからこそ、怒るのです」
輝宗は平伏の意味を察したようだ。
「それでは、母上の意のままにいたしまする。じゃが、わしは許さぬ。討ち死にした者に何と詫びようぞ」
輝宗は不機嫌に、鬼庭に詰問する。
「小松城の始末は如何にすればよい、申してみよ」
「以前、小松城は桑折景長の居城であったが、牧野久仲に譲り渡したいきさつは、中野宗時の作為と存じまする。今後、小松城は桑折景長の居とし、討ち死にした兵の霊魂を生涯弔わせるべきです」
「なるほど、それがよい。ところで小梁川宗秀には、頭が上がらぬ。のう、基信」
小梁川宗秀の精悍な騎馬武者姿が、一瞬、目前をよぎった。こうして生きているのが心苦しく恥ずかしい思いがする。
「小梁川一族には、所領を加増し、勇気を褒め称え、家臣の手本となすべきです」
「なるほど。じゃが、まだ難題が残っておる」
難題とは、晴宗のことであろう。
伊達郡の桑折西山城から、米沢城に移った晴宗は、置賜郡の置賜新川に館を構えて隠居する、と梃子でも動かぬ構えである。置賜郡を去るのは断腸の思いであろうが、よからぬ奸臣が知恵を吹き込んで、輝宗の政を乱しかねない。伊達氏に二人の当主は必要ないのである。
「輝宗殿。御父上のことでござりましょう。居城は、信夫郡の杉目城と申しましたな。母が信夫の里にお連れいたしましょう。これで、伊達氏三代に取り憑いた物の怪も祓い除かれることでしょう」
深井女の面は、かすかな笑みを浮かべた。
その他の残務は、家臣たちで吟味することにした。
「今夜は土蜘蛛を舞って祝いの宴じゃ。独武者はわしじゃ」
輝宗は立膝になると、両手をまわして猿楽所作をまねて、基信に催促する。
「土蜘蛛とは、それがしのことでござりますか。土蜘蛛は、不動明王の化身かもしれませぬ。善の心も、悪の心も持ち合わせておりまする」
「善とは何じゃ」
「慈悲の心でございます」
「悪とは……」
「気ままに振舞うことです」
「気ままとはわしのことか。憎々しいぞ、基信」
「猿楽などに溺れてはなりませぬ」
基信は、立膝になると、右膝を大きく踏み出し、大きく手を広げて、大きく首を振り、大見得を切る。
「喝」
見えぬ蜘蛛の糸を輝宗に絡ませる迫力に、おっ、輝宗が大げさに仰け反った。義姫が驚いて目を見張った。
この醜態、これが伊達氏の当主か。あまりの可笑しさに、久保姫は口元を袖でおおった。重臣たちからどっと笑いが上がった。米沢城の福笑いは巷の福笑となる。
松の新芽の香りがそよ風に吹かれた。伊達氏の所領には真の春風が吹き渡るであろう。

     七

中野一族を退治して、十四年の歳月が流れ、元号も天正十二年(一五八四)と改まった。
輝宗は、四十歳の初老を迎えたのをきっかけに、嫡男政宗十七歳に家督相続し、自らは館山城に隠居した。中野宗時に加勢した氏族に制裁を下したが、いまだに抗する氏族がいる。その氏族をふたたび伊達氏に従わせる目論見もあった。
遠藤基信は、宿老として千五百石の所領を与えられ、米沢城の近郊塩井の屋敷に家族と居住し、猿楽舞台をしつらえ、しばし暇を楽しんだ。輝宗にならい、五十二歳で嫡子宗信十二歳に家督相続した。

二本松城主畠山義継は、伊達氏が相馬氏との合戦には先陣を務めた武将だったが、中野宗時に近い間柄であったから、輝宗は敵方とみなして制裁を下した。畠山義継は、この制裁には承服できず、小浜城主大内定綱、前の八丁目城主堀越宗範らとともに、蘆名氏を頼った。そのころ、蘆名氏では当主が死去のために、家督相続で混沌とし、畠山義継らの不服につきあうゆとりがなかった。
伊達政宗が畠山退治の狼煙を上げると、畠山義継は急に態度を改め、八丁目城主伊達実元を通じて和睦を申し込んできたのである。
和睦を承諾してはどうか、と実元からの書状が米沢城に届いて、隠居していた輝宗が勇み立った。
「和睦とは、誠に目出度い。わしらも二本松城に向かおうではないか」
実際は、政宗が心許なく、和睦を確かめたかったのだろう。基信と鬼庭良直を誘い込んだのである。

大森城をめざし、伊達政宗が率いる騎馬武者、鉄砲足軽兵、弓足軽兵が隊列を組んで米沢城を出立し、栗子山の板谷峠を越えた。遠方の信夫の里を眺めれば、水を湛えた田んぼが陽に輝き、この街道沿いに大森城がある。大森城主の伊達実元には、中野一族退治に乗せられた想い出があった。
政宗の後列で、輝宗が馬の手綱を取った。甲冑姿も凛として、家督相続は少し早い御姿である。
「まだ、若衆には負けられぬ」
輝宗が振り向いて、鬼庭良直に笑みを投げた。七十一歳の老いを気遣う素振りだった。
鬼庭は兜が苦手らしく禿頭のままで、額に汗を浮かせている。
二本松領との境に八丁目城がある。大森城の支城として、伊達稙宗が構えた城である。城主堀越宗範が畠山義継に寝返ったため、伊達実元が奪い返して隠居城としていた。伊達実元は五十七歳、嫡男成実十六歳。大森城でも、すでに家督相続を終えていた。
先発兵の報せで、伊達実元が八丁目城から大森城に馳せ参じ、親子揃って門前にて出迎えた。
謁見の間の上座に居座った輝宗、政宗親子に、叔父実元が、過ぎ去った小松城の奸臣退治を思い出して語りだすと、輝宗も膝を乗り出して、昔話はつきなかった。
政宗が、心許なく話の腰を折って、二本松城主畠山の裏切り仲裁の礼を述べた。
畠山義継との和睦の条件は、四万五百石から三千石に没収、それに畠山義継嫡子を人質として預かるというもので、伊達実元は大まかな約定を報告した。
「いかがかな、輝宗殿」
「わしは隠居の身なれども、政宗、如何する」
虎が子を抱くような、輝宗の眼差しであった。政宗の勢いは盛りで、親の意見など小言としか思えぬ若者である。
「畠山義継のように優柔不断な人物は油断なりませぬ。まして、在地領主などは、根こそぎ引き抜いて平らにせねば、所領争いが絶えませぬ」
政宗は利発な武将に育っていた。
「槍、鉄砲の奸臣退治は好まぬゆえ、和睦を受け入れてはどうか」
実元には、亡父稙宗の合戦を好まず、縁組で権力拡大の名残がみられた。
「大叔父上殿。それはなりませぬ。百姓の次男、三男の耕す田畑が足りぬどころか、穀物は、冷害で稔らず、旱魃で枯れ果て、たびたび餓死に瀕しておりまする。わしは所領を奪取してでも、百姓を護らねばなりませぬ」
覇気満々であった。
「それも、一応の理屈じゃのう。じゃが、わしならば和睦で畠山を説き伏せてみせようぞ」
実元は、政宗に少々気圧されたようすだが、自信に満ちた物言いだった。
「叔父上殿。お気に召さるな。伊達勢の雄偉な容貌を見れば、畠山義継や大内定綱などは、身を丸めてひざまずくであろう」
輝宗は鷹揚にかまえている。
労をいとわずに働く百姓があり、それを万人が食する。百姓を蔑ろにはできぬと、伊達政宗は反骨の心を持っている。よくぞ申した、と感慨を覚えるが、若さゆえの無謀な振る舞いも見逃せない。老体ながら、基信の心配は尽きなかった。
一切経山頂に雷雲が湧き上がり、涼しい風が、大森城曲輪の夏草をそよがせている。

大森城から三里ほど東方に、今は亡き晴宗を隠居させた杉目城がある。そこで態勢を整えて戦略を練ることにした。
杉目城には、栽松院(久保姫)が晴宗の死後を弔い、ひっそりと暮らしている。幼児の頃から手塩にかけて育んだ梵天丸、いや、政宗を、栽松院は心待ちにしていることだろう。
杉目城の南側、曲輪沿いに阿武隈川が横たわり、稙宗が晩年暮らした丸森城下に流れて行く。戸を開け放して、川面を吹き渡る風が心地よかった。
「御祖母様。息災で何よりでござりまする」
甲冑姿の政宗が両手を床につけた。片目ながら、目力は人を圧するものがある。
栽松院が顔を綻ばせた。
「おお、凛々しいお姿でござります。のう、輝宗殿、そうであろう」
輝宗の初陣を思い出したかのような、懐かしむ眼差しであった。
「まだ、若輩者ですが、試練は、若いうちがよろし、と思うて、家督を譲りました」
「それでよい。そうそう義姫殿はいかがした」
義姫とは輝宗の妻、政宗の生母で、最上氏の娘のことである。
「最上氏への執着は、未だに拭いきれませぬ」
義姫は、実家最上氏への思い入れが強く、最上氏の父子騒動にまで口を出し、伊達氏に禍を持ち込んでくる。そのたびに輝宗を悩ませている。政宗は乳母にあずけられて、実母とは縁の薄い子であった。
輝宗の一言に、栽松院は何もかも察したらしく顔を曇らせた。
栽松院が膝頭に両手をそろえ、基信に向かって会釈をした。六十三歳ながら声は若々しく確りした物言い、目は凛としている。
「あの梵天丸をよくぞこれまでに指南してくだされた」
「若殿には、選りすぐりの側近を選んで従えさせておりまする」
少々、得意なそぶりをみせた。
「これで、わらわも安堵いたしました。礼を申しますぞ。基信殿」
「もったいのう存じまする」
多くを語らずとも心は通じている。しかし、媼と翁の面変わりは、長い歳月を思い起こさせた。

     八

まず、小手森城、小浜城主大内定綱を従わせ、二本松城主畠山義継との和睦を実行する。埒があかねば、その時は、やむなし……。
杉目城で出陣の身支度をととのえ、基信が吟味した側近の騎馬武者、留守政景三十五歳、片倉景綱二十七歳、伊達成実十六歳、遠藤宗信十二歳らの若手を従えて、伊達政宗の手綱捌きは見事だった。特に目をかけた片倉景綱は、神官の次男で矢内重定の娘を娶り、折に触れて、基信を頼みにしている。
暦は葉月を過ぎようとしているのに、強い日差しが居残り、隊列を組む足軽兵の頭上に容赦なく照りつける。先頭が山陰に去っても、後列はまだつづいた。
川俣郷辺りの道沿いの狭い田んぼには、稲茎が天を指してそよいている。田んぼで雑草を取る百姓の笠がちらついた。領主が代わるたびに穀物の目方を量られ、いつの世でもどん底の暮らしを強いられて、領主とは何者だろう、百姓は考えあぐねていることだろう。
川俣郷を越えて、谷道を曲がりくねり、やがて尾根伝いに歩むと、突如として視界が広がった。ここが大内定綱の領地、塩松郷であろう。隊列は道端に腰を下ろして腰兵糧を頬張った。合戦前の腹ごしらえである。
濃緑の雑木林のなかに小手森城が姿を見せた。援勢の田村氏も加わり、この兵数で包囲すれば無血開城であろう、緊張は見られなかった。
伊達勢を拒むように切り立った小手森城。固く閉じた虎口。その虎口に先陣兵が勢揃いして雄叫びを上げたが、開城のようすは見られなかった。
陣営では、伊達政宗、伊達成実らの若手と伊達輝宗、鬼庭良直、遠藤基信、そして援軍勢の田村氏を加え入れ、軍評定がおこなわれた。
政宗が、絵図の中の虎口を扇子で指した。
「開城を拒むなら、鉄砲玉を撃ち込んで一挙に平らげ、諸氏への見せしめにする」
「御意に従いまする」
重臣たちが賛同した。何事も政宗の意のままである。
待ちなされ、基信が笹竹の先端を絵図に這わせた。
「まずは、搦め手門の兵を手薄にして、逃げる兵はすべて見逃してやる。殺生は最小に止めねばならぬ。強情はなりませぬぞ、若」
政宗は口惜しそうに、基信をにらんだ。

翌日の早朝。伊達勢が合戦開始の鏑矢を放った。これを合図に、小手森城の切り立つ曲輪から、大内定綱勢の矢が向かってくる。城郭の搦手に回れば石組の高い壁が立ち、飛礫が頭上に飛んで来る。伊達勢の足軽兵が逃げ腰になった。弓足軽隊だけでは手に負えず、鉄砲足軽隊が玉を撃ち込むと、大内勢の矢が止まった。その隙を狙って、虎口を打ち壊して入り込む。土塁が立ち塞がる悪い足場のなかで、槍の突き合いが始まった。伊達勢は、次から次と先頭が立ち代り、合戦は夕暮れまでつづいた。
四日目になると、小手森城郭から飛んでくる矢も飛礫もぴたりと止んだ。伊達勢は一気に土塁をよじのぼり、手当たりしだいに一の刀、二の刀を振るった。本丸の後方は石垣の深い谷底になる。大内勢の百姓兵、女兵は、逃げ惑った挙句の果てに、谷底に飛び込んだに違いなく、折り重なって斃れている。
曲輪のなかに大内定綱の姿はなかった。家臣の菊池顕綱が、百姓の年寄りから女まで駆り集めて采配を振るっていた。おののき逃げ出す百姓たちを立ち塞ぎ、内乱が起こっていたらしい。やがて、火を放たれて城郭は焦土となった。
これほどまでに小手森城が抵抗したのは、蘆名、畠山の援護を待ちつづけていたに相違ない。しかし、何の音沙汰もなかったのである。
小手森城を平らげた伊達勢は、小浜城の城門に勢揃いした。城門は開け放されたが、ここにも大内定綱の姿はなかった。
伊達勢が小浜城に入ると、伊達氏へ仕官を求める輩が素直に従った。ここで、態勢を立て直し、この先、二本松城主畠山義継と和睦を結んで、さらに、蘆名氏との和睦の足掛かりを得たいと思っている。

     九

小浜城から南方に、傾斜に囲まれた曲輪の宮森城がある。
宮森城主大内定綱が、田村氏を裏切って二本松畠山義継に寝返ったため、田村氏の娘婿伊達政宗が攻めた要塞である。小浜城は伊達政宗の本居城とし、宮森城を伊達輝宗の居城としてから、ふた月余が経った。

宮森城の西方、安達太良山の端に雲がたなびき、周辺の山中には、ななかまどが朱に色づいて秋が深まっていた。
里長が、茸や栗、芋、米などの穀物のほか、炭、薪などを積んだ荷車を引いて挨拶にやって来る。年貢や所領、雑用の対応にも、基信は忙しい。それでも、手すきの折には二の丸で右筆に専念し、小手森城の合戦の模様を思い浮かべ、毛筆で認めた。
地獄の業火のなかを逃げ惑う兵の群れ。斃れた死骸を、赤い炎がめらめらと舐めつくす。鼻をつく死臭が立ち込めて吐き気がする。合戦で屠った代償は、己れが肚を切り裂く思いである。すまぬ、すまぬ、基信は筆を放して、しばし涙を流した。
「爺、おるか」
庭先に輝宗の声がする。爺と呼ばれたのは、遠藤基信、己れのことである。
米沢城近郊の資福寺の住持として、臨済宗の虎哉宗乙を学僧として招き、政宗の幼少、梵天丸に儒学を学ばせた。漆黒の身体に火炎を背負い、憤怒の形相で睨みつける不動明王を仰ぎながら、虎哉宗乙は、強情、へそ曲がりなど、人間の相反する性格を梵天丸に授けた。実母の愛に飢えた梵天丸は、教えの厳しさ、片目の不自由の辛さに耐え切れず、爺、と呼んで、己れの袖にすがりついて泣いたことがある。それ以来、輝宗までが己れを爺と呼ぶ。今では皺の深い翁になっている。
涙を振り払って、庭面の廊に立った。
木刀で素振りをしていた輝宗が、怪訝な面持ちをしている。
「その顔は……、何事ぞ」
「歳をとると、涙もろくなるものじゃ」
崩れそうな身を両足で踏ん張った。
輝宗は木刀を握り直した。
「あと一息だぞ、爺」
合戦の残酷は、輝宗とて尋常ではないはずである。
「今夜は待宵月じゃ。待望の満月の前祝に、一汗かいたぞ」
「待望の満月とは、畠山氏との和睦締結のことでござりまするか」
「さよう。政宗が鷹狩りに出たそうだ。今宵はあつもの鍋じゃ」
聞きつけた伊達成実が、
「夜飯は、肉鍋でござりますか」
声を張り上げた。若者は腹がすくものである。
老体の父伊達実元に代わり、成実は小手森城成敗には武者の先頭に立ってよく働いた。
「それまで、茶でも点てぬか。成実」
曲輪には御前清水が湧き出している。茶を好む輝宗は清水を愛でた。
成実の弾む声を頼もしく聞きながら、基信は机に向かって筆を執った。大手門あたりが何やら物々しい。清水を汲みに行った成実が、駆け上がってくる。
「基信様。畠山義継殿がお見えになりました。如何いたしましょう」
畠山義継、何の用事であろう。茶事どころではなくなった。
「和睦の取り計らいで、御礼のご挨拶とか、申しておりました」
和睦を結んでからも、畠山義継は蘆名氏を向いており、好感のもてる相手ではない。招かざる客に不吉な予感がした。
三十二歳の大柄で異彩を放つ畠山義継。平服の装いで十人余の家臣を従えて引見の間に平伏した。
「和睦の斡旋を賜り……」
畠山義継は、卑下した声もわざとらしく、畠山氏というより、所領を失った一族に過ぎなかった。
所領は、南は杉田川限り、北は油井川を境。それほかに、嫡子を人質にすることが和睦の条件である。
やがて、膳が運ばれてくると、透かさずに畠山義継は、輝宗に向かい膝行し、銚子を掲げた。
「大殿、一献、差し上げとう存じまする」
「手土産まで持参したそうではないか。それでは、わしも盃をとらそう、畠山殿」
家臣たちも銚子をまわして、ひとどおりの挨拶が交わされた。輝宗は心安くもてなしている。その傍らで、基信が見守っている。
「大殿。二本松領地の半分の召し上げには参ってござる。家臣を養いきれませぬ。せめて、家臣が安心して暮らせるだけ拝領すれば、わしは切腹を申し付けられても、仰せにしたがいまする」
畠山義継は、酒の力を借りたか、それとも芝居掛かりの言いぐさなのか、大柄な身体から発する怨嗟の声は高く、本性を思わせた。和睦の御礼といったが、実際は和睦の見直しであろう。思いもよらぬ成り行きで、基信の顔が嫌悪にゆがんだ。
一瞬、輝宗が言葉をつまらせた。
「わしは隠居の身でござる。政宗に伝えておこう」
畠山義継は面を成実に向けた。
「成実殿からも、伊達殿に御取り次をお願い申す」
「それがしは若輩ものゆえ、そのようなこと、引き受けられませぬ」
成実は、酒に染められて赭い顔を突き出した。
小物ばかりではないか、畠山家臣がつぶやき、基信の顔を尻見した。年寄りと侮ったようだ。いくら顔見知りでも、当主政宗を抜きにした直談判は、政宗を軽んじる証拠で、許しがたい。
「畠山殿、伊達家の当主は伊達政宗公である。一旦、和睦を承諾しておきながら、身勝手な理屈が許されるとお思いか。言動をひかえなされ」
「承服できませぬ」
屈辱を跳ね返すような義継の大声。なおも輝宗を睨め付け、つぶやくように口にして、詰め寄った。
「それでは、殿はどちらに居わすのでござる」
「鷹狩りに出かけておる」
乗せられて、輝宗が口をすべらせた。
鷹狩りとは、どういうことだ。畠山家臣たちがざわついた。畠山義継の耳元になにやらささやくと、義継が見る間に血相を変えた。鷹狩りとは、もしや、合戦の前触れではないのか、畠山家臣が疑ったようである。
突然、義継が立ち上がった。
「これで失礼申す」
畠山家臣たちが荒々しく床を蹴って戸外に出た。何事かと、目を見張るばかりだった。
輝宗は何の疑いもなく、家臣より先に戸外にでた。見送りであったろう。その足元に、義継が土下座し、素早く立ち上がった。その縦皺の形相こそが土蜘蛛の顰(しかみ)である。
「御免」
輝宗の胸倉をむんずと掴んだ。
伊達家臣は、一瞬の出来事に唖然とするばかりだった。
畠山家臣十人ほどが輝宗の背後に回り、基信、成実を刀で振り払った。義継が輝宗を抱え込むようにして曲輪の下り坂を引き摺り下ろした。その先には、家臣と馬が待ち構えている。輝宗は猿ぐつわをかませられ、上半身を括られて鞍壺に押し込まれた。拉致である。
前を疾走する畠山家臣を伊達家臣が追う。基信が駿馬に鞭をうった。道を曲がるたびに不安が突き上がってくる。
秋は日の暮れるのが早く、たちまち山間が陰にかくれた。
畠山所領の粟の須で、ようやく畠山義継に追いついた。すかさず刀を抜いた基信にためらいが生じた。
畠山義継は、輝宗を馬から引きずり下ろすと、肚に小太刀を突き立て、畠山家臣二十数人が一塊となって輝宗を盾としている。
雲が流れて月が陰った。刻を忘れたかのように睨み合いがつづいた。
ひと足おくれた政宗が、馬のくつわを手放して駆け寄ってきた。
「何事ぞ」
輝宗の姿をみて、何もかも察したようだ。伊達家臣の鉄砲がとりかこみ、政宗が一歩踏み出すと、畠山家臣の挙動が落ち着かない。輝宗の肚に突き立てた小太刀が鈍く光った。
ここは、敗戦を認めて輝宗を引き取る。そのほかに為す術がない、基信は考えた。
輝宗の悲壮な声がする。
「成実、成実はおるか」
成実が進み出た。
「大殿、成実は、ここでござります」
「聞け。わしにかまわず、撃つのだ」
一瞬、粟の須がどよめいた。それは、鷹狩りのとき、合戦のとき、幾度となく聞いた輝宗の、撃て、撃て、の合図だった。
「御父上、ご辛抱を」
政宗が叫んだ。
まもなく、二本松城から、甲冑鎧を身にまとった畠山勢が押し寄せてくる。長引けば、會津蘆名の援勢が馳せ参ずるに違いない。それにくらべて伊達勢は狩装束に平服。これでは矢も槍も防げず、裸同然ではないか。合戦となれば、輝宗どころか、政宗の命さえ危ない。伊達氏の念願だった奥州制覇は水泡に帰するだろう。そうか、輝宗はこのことを言っているのだ。基信は観念の膝をついた。
「撃て、撃つのだ……」
輝宗が声を振り絞った。
鉄砲玉が一斉に放された。粟の須が硝煙の臭いに包まれ、畠山家臣がことごとく斃れた。政宗が駆け寄って、輝宗の肚に刺さった小太刀を力任せに抜いて投げ捨てた。
「御父上」
胸のなかに抱き起こした。
「これに勝る、策などあるまい」
輝宗は、政宗に最期の訓戒を垂れる。我が命と引き換えに、伊達氏と嫡子を護ったのである。
「必ず、一矢を報いてやる」
政宗が、輝宗の亡骸に取りすがり涙を落した。成実も家臣も声をあげて泣き伏した。
「これ、政宗。面を上げえ」
「爺……」
「泣くやつがあるか。これからだぞ」
悲しいのは伊達勢だけではあるまい。大内勢も、畠山勢も、みんなが泣いている。
「合戦とは、こういうことだ」
基信は不動明王の怒りを宿した。しかし、虎哉宗乙を学僧として招き、伊達政宗を強情者、へそ曲がりに育てたのは、己れであったろう。
宵も深まり、粟の須は冷たい露に濡れている。野草の陰で秋虫が鳴きやまなかった。

     十

「おい、爺、基信」
「おや、そのお声は、若ではありませぬか。どこにおるのか、爺にはさっぱり見えませぬ」
「輝宗は、ここじゃ。ここにおるではないか」
「おやおや、目の前におられましたな。これから御傍に参りまする」
「爺、わしは土蜘蛛退治が大好きじゃ、舞って見せよ」
「爺は、土蜘蛛退治が、悲しうて、悲しうて、たまりませぬ」
伊達氏の行く末は、伊達政宗に託した。政宗の度量は、あまたの戦国武将にも劣らぬはずである。
京の賑わいを想いだした。
散り行く武将、芽吹く武将の面々を想い描いた。都ではやりの、さんさ時雨の節が口から零れた。扇子を笹の葉にかえ、現世で最後の猿楽舞である。

さんさ時雨か萱野の雨か
音もせで来て濡れかかる
さんさふれふれ五尺の袖を
今宵ふらぬで何時のよに
武蔵あぶみに紫手綱
かけて乗りたや春駒に

一節を吟じながら猿楽を舞う。
米沢の置賜郡は紅葉の盛りであった。
資福寺には非業の死を遂げた伊達輝宗の墓所がある。本日は、輝宗の忌日にあたる。伊達氏十六代伊達輝宗の墓前で、宿老遠藤基信は追腹を切った。                     

(了)

 

 

 

二〇二二年十月二十五日 上梓
福島市松川町水原
丹野 彬