市井小説「酒甕と骸(さけがめとむくろ)」

松川町水原の小説家 丹野 彬(たんの あきら)様の作品「酒甕と骸(さけがめとむくろ)」をご紹介いたします。

丹野 彬 様の作品は、膨大な資料に基づいた時代考証と登場人物の巧みな心理描写をもとに壮大な世界観を紡ぎだします。ぜひご覧ください。

 小説家 丹野 彬 作品集

以下横書きで全文掲載しておりますが、縦書きの方が読みやすい方はこちらをご覧ください。→ 「酒甕と骸(さけがめとむくろ)」縦書き版(PDF188KB)

 

市井小説

酒甕と骸(さけがめとむくろ)
丹野 彬 

     一

おめえさん、さっきからあっしの脛にまつわりついて、何かご用でもあるんですかい。それとも何だね。あっしを、材木町甚平長屋の、大工の長吉さんと知ってのことですかい。もしかして、あっしを見込んで犬小屋でも新築してもらいてえなんて、云いだすんじゃなかろうね。
そりゃ、頼まれりゃ、越後の国から米搗きに来なさると云うじゃねえか。お犬さまとて、頼まれりゃ、断わる謂われもねえ、お人好しの長吉さんだと、長屋のお梅さんにでも聞いて来なすったかい。そうだとしたら、さっさと云ってみな。少々酔っ払っちゃいるが、あっしなんざ、犬小屋の一軒や二軒は朝飯前なんだからさ。
それでなんだね。家が欲しいだなんて、かかあ(嚊)にせがまれて、その気になったと云うのかい、そりゃ偉いねえ。
だけどさ、見上げてごらんよ。夕焼けがまっこときれいじゃねえか。ガキのころに死んだおっかさんのことを想いだして、なんだか寂しくなるじゃねえか。
やい、こら。こんな黄昏どきに、かかあをほったらかして、酒飲みの甲斐性なしの長吉さんについて来るなんざ、そんな放蕩なことしちゃいけねえぜ。たちまち、かかあに焼き餅やかれて、つまみ出されて、路頭に迷っちまうぜ、あっしのようにな。
それとも何だね。あっしに惚れたとでも云うのかい。そうかい、あっしに惚れたとは、おめえさんも眼が肥えてるな。いまはこんな薄汚ねえものを羽織っちゃいるが、そりゃ若けえ時分にゃ、角材を担いて梁の上をぴょんぴょん飛び跳ねる恰好よさに、町娘が黄色い声を張り上げたもんだぜ。
おっとと、そんなにじゃれるもんじゃねえよ、貧乏徳利が危ねえじゃねえか。こんな大事なものを割っちまったら、悔やんでも、悔やんでも、おらあ悔やみきれねえ、てめえを一生呪ってやるからな。食い物の恨みは恐ろしいと云うじゃねえか。
だけど袖触り合うも他生の縁、一杯ぐれえならかまえやしねえから、さあ、こっちの柳の下においで、隅田川の風が心地いいよ。
おい、こら、ワン公。どこに行くんだ。せっかく奢ってやろうと云っとるのに、橋のたもとのお嬢ワン公なんぞに尻尾をふって、まったくあきれるねえ。そんな浮気心じゃ出世できねえぜ。あれ、あれ、とうとう付いて行ってしまいやがった。
なんだい、ちくしょう、あっしをコケにしやがって。ワン公は浮気者だねえ、こんど会ったら承知しねえからな。
     
     二

おやおや、そこの娘さん、河原に身を屈めて身投げでもしようてのかい。見てみなよ、ゆったりとうねった隅田川の流れ、おもわず吸い込まれそうだぜ。背筋がゾクとするね。そんなところでうろうろしてちゃ危ねえぜ。さあ、さあ、はやく上がっておいで。
見たところ、その旅姿では江戸のお方じゃござんせんね。
なに、奥州からはるばるやってきたって云うのかい。足に豆をこさえて大層難儀の道中だったろう。見渡したところ、お連れさんはおらんようじゃが。
なあんだ、叔父さんと一緒なんだって。
そうかい、そうかい、連れがいると聞いて、あっしも安心したぜ。娘の一人旅など、いつ追剥に襲われて、身ぐるみ剥がされるかしれやしないんだから。
ところで、そんなに瞼を腫らして、いったいどうしたと云うんだい。まるで岡場所にでも身売りするような悲しい顔つきだよ。ほんとうのことを、打ちあけてごらん。
えっ、連れというのは人買いだって。まさか女衒のことではあるめえな。
生家は絹問屋だけれど、ちゃん(父親)が身を持ち崩して、借金の形に江戸に連れてこられたと云うのかい。ちゃんも甲斐性なしだねえ。まるでどこかの誰かさんとそっくりじゃねえか。へへっ、そんなにあっしを見詰めねえでおくれ。
それで、娘の身代わりに生家が立ち直ったとなりゃ、おまえさんもたいそうりっぱな親孝行をしたもんだ、ほんとに涙がでるねえ。
女衒のおらぬまに、こんなこと聞いちゃなんだが、その金子とやらはいかほどなんだい。
ふむ、十両ときたか、十両ともなりゃ、そりゃ大金だ。あっしの懐の巾着に五両入ってんだが、こいつは手放せねえ大事な金子なんだ。
あっしはねえ。手元に徳利がありゃ何んにもいらねえ。酒は百薬の長って云うじゃねえか、お陰でこのとおり、五臓六腑わるいところなんざ、どこもありゃしねえ。少々酒の度が過ぎて二日酔いすることもあるんだが、それが珠に瑕さ。
でも、若けえころからの飲み垂らしじゃなかったんだぜ。大工に弟子入りしたころなんざ、酒など一滴も口にしねえで、真面目に働いたもんだから棟梁の信望もあつかったさ。一端の職人になったころには、ひとり娘に三味線やら踊りを習わせて、お隣さんも羨むほどの暮らしぶりだったよ。ところが、少しばかりゆとりができると、岡場所通いや博奕遊びと浮気心もでらあな。
呉服問屋の建前の大盤振舞いによばれて、無理に飲まされた酒がいまでは旨くてやめられねえ。酒なしでは仕事が手につかねえほどになっちまった。棟梁に隠れて飲んだ酒が禍いして、棟梁のつけた墨を切り落としてしまったのがおちさ。棟梁にこっぴどくどやされたあげくの果てに勘当されちまったけれど、さすがに棟梁は弟子思いだぜ。博奕の借金を清算して、さしあたっての暮らしにと、ポンと五両くれたんだからな。
おいおい、娘さんどこに行きなさる。そっちはさっきの河原じゃねえか。危ねえ危ねえ、早く戻りなせえ、馬鹿なことをするんじゃねえよ。
よく見りゃ、あっしの娘と同じ年頃じゃねえか。何とかしてやりてえが……。
ええい、しかたがねえ。
どうせ、あっしには入り用のねえ金子だ。遠慮しねえでとっときな。五両しかねえが、あとの残りは国許のちゃんに工面してもらいな。お志乃と云ったかい。通りすがりのおひとに、すまねえなんて遠慮しねえで、さっさと受け取りなよ。
それから国許へ帰ったら、ちゃんとおっかあにたんと親孝行してやんな。そういうことなら、あっしは本望なんだからさ。
おいおい、そんなに嬉し泣きされちゃ、照れ臭せえじゃねえか。
あっしなんぞは、名を名のるほどの者じゃねえんだが、かかあと娘に見捨てられた甲斐性なしの、大工の長吉って云うんだ。この広い江戸の町だもの、あとは何とかならあなあ。

     三    

おい、こら。なんて、肩をこづきやがんのは誰れだい。柳の下で気分よく眠りこけてんのに、何の用だい。 
おや、なあんだ。材木問屋、美濃屋さんのご隠居さんじゃねえか。だらしがねえなんて、よく云ってくれるねえ。どうせ、あっしは大工の棟梁に勘当された身だよ。材木とはきっぱり縁がきれたんだから、お節介染みた説教なんてよしておくれ。解き放されたワン公のように、右に左にはしゃぎたい気分なんだからさ。
なに、大工の棟梁がこぼしてたって。
長吉は酒に溺れて始末にならねえが、腕は二人分の働き者だって。そんなこと、今更なにを云ってんだい。それならそうと、あんときに云ってくれたらどうなんだい。それがあんときはこうだぜ。
てめえみてえに酒と博奕じゃ、間違えのおこらねえのが不思議だ。女房や娘に難儀させるのもあたりめえな話だ。墨を間違えて柱を切り落とすなんざ、大工職人もおしめえだな。世間は広い、どこかで面倒みてくれる奇特なお方もあろうから、なあんて云ったくせに。今更あっしの腕が惜しいなんて、そんな情けを云われると、ふん、笑わせるねえ、目頭が熱くならあ。
そうかい、そうかい。なんなら、あっしの足元に両手をついて、長吉、勘当してすまなかった。酒を断てなんて無理難題云わねえから、どうかもう一度、おれの片腕として働いてくれねえか、とか何とか云って詫びにきなと、棟梁に伝えてくんな。なんだい、ご隠居さんのその呆れたような目つき。
「棟梁の恩を仇でかえす奴がどこにある。そんなひねくれ根性だから、勘当されるのがあたりめえだ」
あっしの気持ちも知らねえで、よくもそんな薄情なことを云えなすったな。ようく聞いておくんなせえ。ご隠居さんだって、ご存知のはずじゃねえですかい。

このごろの江戸は、瓦屋根やら土蔵づくりがやけに増えちまって、火事がすくねえ。だから普請もめっぽう少なくなって、材木が有り余る。風が吹けば桶屋がもうかるじゃねえが、材木屋さんと大工の棟梁とてその筋の仲間。不景気だからって、働き盛りの長吉に難癖つけて見限るなんざ、ひとさまのやることじゃねえや。
おや、顔色が変ったねえ。思いあたる節でもあるんですかい。何か云い足りねえことがありそうだね。この際だから全部聞いてやろうじゃねえか。何でも云いなさいよ。耳が遠い。膝が痛い。あとはなんだい、そうそう、向島のお妾さんと縁を切りたい。どうだい、まだ何かあったかい。
「これ、長吉。たわごと云ってんじゃないよ、酒が入ったからって、許しゃしないぞ」
女房や娘の食い扶持をどうするんだって。そんなこと、あっしが知るもんかい。かかあなんかあれだぜ、仕事を終えて息抜きに茶屋で一杯ひっかけて帰ってみりゃ、箒を片手に目尻をつり上げて、女房と酒とどっちとる、なんて云いくさって、あっしの尻を叩きやがる。そりゃ、かかあがいいと云ってみたって、酒はやめられねえ。三日三晩、のそり歩いて家に戻ってみりゃ、かかあと娘の姿が見えねえ。愛想つかして家を飛び出しやがったんだぜ、たぶん。
なになに、あっしの娘がご隠居さんに泣きついた。手をついて美濃屋さんへの奉公を頼んだ、とでも云うんですかい。あの箱入り娘がですかい。まだ子供だと思っていたら、驚いたねえ。しっかりしているところなんざ、ちゃん似だよ、まったく。
はて、さて、まさか。ご隠居さん、芝居を打ってあっしを騙しているんじゃなかろうね。それとも何だい。こまめに働く奉公人ができて、助かってると云うことかい。そりゃそうだろうさ、あっしの娘だもの。
御祓箱になったちゃんの代わりに、たすき姿にあかぎれこさえて働くなんざ、なんと不憫な娘じゃねえか。世の中が不景気だか何だか知らねえが、ちくしょう、涙がでてきやがった。
「長吉。酔いをさまして、棟梁に詫びを入れろ」
なに云ってんだい。陰でこそこそ愚痴ってるしみったれのところなんぞに、あっしが悪うございました、これからは浅草の観音さまに誓って、真面目に努めさせていただきやす、なんて口が裂けても云えるかえ。
えっ、なんだって、もっと大声で云ってくんな。娘は美濃屋さんじゃなくて、品川宿の茶屋に働いていると云いなすったね。これは聞き捨てならねえ。奉公とは岡場所のことじゃねえですかい。そいつは何かの間違えでやんしょ。そんなこと、この長吉が許すはずがねえですよ。
まさか、ご隠居さん。娘をたぶらかしたのではあるまいな、どうだい図星だろう。おや、ご隠居さん。その顔はまるで鬼面だよ。その面下げてあちこち歩いたら世間さまが驚くぜ、とうとう本性を曝け出したって。そんなことになったら、先代からの信用を失って、ご隠居さんどころか身代まで傷つくよ。
「これ長吉、口がすぎるぞ」
痛てっ、ご隠居、なにすんだ。杖で何度も、力まかせに打つとは何の真似事だい。背中がみみず腫れだよ。
おお痛てえや。あっしはね、ガキのころよく、ちゃんに叩かれたもんだ。だから杖ぐれえで驚きゃしねえよ。だけんど、ご隠居の杖は、ちゃんを思い出して背中の痛みが懐かしいや。ああ、おらあ、なんだか無性に悲しくなってきやがった。
そうですかい、娘は、気丈におっかさんを頼むなんて、生意気な口を利きやがったんですかい。
長吉。娘が可哀相なら真面目に働けなんて、折檻されても、仕事のねえ御時世だ。どこで何をすればよいのやら……。
ご隠居さん、このとおり頭を地につけておりやす。どうか、娘だけでも面倒みてやっておくんなせえ。
勝手にしろ、しみったれ、なんて云って、邪険に振らねえでおくんなせえ。あっ、待ってくれ、ご隠居さん。おい、待て、こら、隠居……。呼んでみても、何のとこだい、振り向きもしねえで、角を曲がってしまいやがった。噂どおりにケチの看板背負って、見苦しいねえ。

     四

ちくしょう、ちくしょう、何しやがんだい。あっしを突き飛ばしておきながら、逆恨みにかかって来るとは、御門違いだぜ。あっしが駕籠舁きの先棒さんを邪魔したと難癖つけるが、ここはあれだぜ、天下の街道だよ。
先棒さんが、もうちっと前を気配ってくれりゃ、あっしを避けて通れたはずなのに、町娘なんぞに横目を使うからこんな面倒なことになっちまうんだ。あっしを叩いて気がすむなら、それでかまいやしねえが、客人を駕籠からほっぽり出して、客にどやされたとなりゃ、見るからに情けねえ失態だねえ。どっちが悪いか、ひとつ周りに聞いてみようじゃねえか。
ええっ、そりゃねえですよ。そこの旦那に、ご新造さんよ。おまえさん方は、あっしが呑兵衛の甲斐性なしだからって、嘲笑うんですかい、見捨てるんですかい。ああ、わかっておりやす。どうせ世の中こんなものじゃねえですか。
ほれ、見てみな。駕籠舁きさんがますます勢いづいてしまいやがった。棒をふりあげてあっしを叩く気かい。執念深いねえ、地獄に落ちるよ。いくら蹴られても叩かれても降参などしてやるもんか。それに、この徳利を割ったら承知しねえよ。いざ鎌倉となりゃ、ひとりやふたりひと捻りなんだから、と云ってもこの酔態では適わねえなあ。
おい、おい、こんどはあっしを駕籠に括りつけてどうしょうてんだい。頼みもしねえ文無しの長吉さんを運んで行く先きゃどこだい。まったく呆れるねえ。それにこんなに早足で、道行くひとが不思議がって振り向いてるぜ。
「酔っ払いが、ころげ落ちねえように駕籠に括りつけたんだ。疑う奴なんか誰もいやしねえぞ」
ほんとうに身勝手な思い込みもいいところだねえ。そう云うことなら、よおくわかった。あっしから徳利を取り上げねえのは、人目を誤魔化す魂胆か、たちの悪いやりかただねえ。
街外れて久しく走りや、人も通らねえ、芒が茂って寂しいところで、縄を解いてどうしょうてんだい。
こらこら、あっしの羽織に手をかけるやつがどこにある。これじゃまるで追剥じゃねえか。あっしのような着の身着のままから剥ぎとるなんざ、みみっちい了見だぜ、まったく。おい、離さねえか。これいじょうあっしに触れたら、思いっきり五指を噛み千切ってやるからな、と啖呵をきっても二人にひとり。それにあっしは千鳥足。とても勝ち目はねえなあ。こうなったらこんな着物いさぎよく脱ぎ捨てて、くれてやらあな。
さあ、持って行け、さっさと持って行きやがれ。さいわいにも徳利と腹巻に手を抜くなんざ、あの雲助にもいいとこあらあな。
遠くにお寺の鐘の音が聞こえてらあ。
鈴虫が鳴いて、尻丸だしじゃ肌冷えするわい。今宵はあのお寺の床下にでも厄介になるとするか、ちくしょうめが。
     
     五

寄っておくれよ。なんて袖を引かれたってその手は喰わねえよ。どうせ目当ては懐の金子じゃろうが。
もう手遅れだって云ってるじゃねえか。金子は奥州の娘にくれっちまって、びた一文ありゃしねんだから。それでもよければ、付き合ってやってもいいぜ。そりゃ、おまえさんが唄えば手拍子ぐらい叩いてやらあなあ。
なに、それでもいいってかい。それから云っとくけど、この徳利の中身だけはやれねえよ。これはね、かかあより娘よりだいじな酒なんだから。だってそうじゃねえか、酒は小言を云わねえばかりか、心を癒してくれるんだもの……。
これは、こざっぱりした座敷じゃねえか。見たこともねえ六人のご老人と三味線の姐さんがひとり。車座になって、あっしを仲間に入れてくれると云うんですかい。そりゃ、ありがたいねえ。あっしもねえ、かかぁと娘に愛想つかされて、ちと寂しい思いをしていたところなんで。
おや、座の真ん中にあるのは酒甕じゃねえかい。酒の匂いを放ってすぐわかったよ。どれどれちょいと匂いを嗅がしておくれ。
うむ、うむ、鼻が痺れるようないい匂いだねえ。いいから、早く座れってかい。あいよ。
これがあっしの座布団だと云うんだね。徳利なんて手放して、酒甕の酒を飲めって云うことかい。
あいよ、あいよ、それじゃいただくよ。
ああ、旨めえ。五臓六腑に染みわたるねえ。
やや、これは鯛の刺し身じゃねえか。鯛の刺し身なんぞ、久しく食べたことがなかったなあ。それじゃ、遠慮なしにいただくよ。こりゃ旨い、舌がとろけそうだ。酒も美味しい、肴も美味しい。
今夜は珍しいお客さんがきて酒盛りが賑わったと云うのかい。そう云ってくださると、あっしも嬉しい。頼まれれば明日の晩にもお呼ばれしたい気分だぜ。
なになに、明日の晩も待ってるって、ありがてえねえ。きっと寄らせてもらうからね。ほんに姐さんの三味線には浮かれるねえ、踊りだしたくなっちまうよ。吉原の姐さんなんざ、足元にもおよばねえ、そうだ、あっしの娘にも聞かせてやりてえくらいだよ。
かまわねえから踊れってかい。そうかい、尻をはしょって一丁やってみっか、と云っても腹巻姿じゃ、はしょる尻もなかったか。みなさま方が七福神のようなふくよかな顔をしてっから、ますます気分が乗っちまうよ。てんつく、てんつく、てんつく、てんのてん。
ああ、ほんのりと汗をかいて心地よい。もう一杯いただきたい気分だが、そんなに急かさず少し休ませていただきたいねえ。

     六

 おや、はて。
あっしはいま何処にいるんだい。すっかり酔い潰れて、目が覚めたとおもいきや、どこからともなく差し込む蒼い月影。天井に張りめぐらされた蜘蛛の糸。崩れかけた壁を支えた朽ちた棺桶。倒れかけた塔婆が並んで賑わって、耳を澄ませばかすかに読経が聞こえる、ここはなんと薄気味の悪い荒れ寺の内じゃねえか。
のど仏が焼けて水が飲みてえと思ったら、いい案配に酒甕があらあなあ。ちくしょう、頭がふらついて起き上がれねえ。ようし、こうなったら酒甕の淵にしがみついてでも起き上がってみせるぞ、まだ五十そこそこだ、底力は残ってらあ。おやおや、この酒甕はどこかで見覚えがあるぞ。そうだ思いだした。夕べの宴会の座敷のど真ん中あった酒甕に違いねえ。こんなところにほっぽりだしてもったいねえなあ、まったく。
水のかわりに酒のご馳走とは、ほんにあっしも運がいいわい。おや、酒甕の中に誰かいるぞ。しきりにあっしを見つめてらあ。
おい、おまえさん。呼ばれたら返事ぐらいしたらどうだい。ずいぶん頬がこけて、眼が窪んで、なんと醜い容姿。まるで骸(むくろ)じゃねえか。
おやおや、骸が驚いた顔をしたと思ったら、笑いやがった。ちょいと酒を失敬したいのだが、いいかね。
そういえばおまえさん。酒甕の中で暮らしてちゃ、窮屈で仕方あるめえ。あっしが引き上げてやらあなあ。何の彼の云ったって、娑婆よりいいとこありゃしないんだからさ。さあ、遠慮せんと、この手をしっかり握ってくんな。ぐずぐずしていると月が陰って、おまえさんを見失なっちまうよ。
おや、おやおや、手を伸べても、掻き混ぜても、酒がごぼごぼ鳴るだけで、酒甕の中には誰もいやしないじゃないか。可笑しなこともあるもんだねえ。てえとすると、さっきのあれは何だね。酒甕の中で笑いやがったのは、もしかしてあっしの顔だと云うんだね。それにしてもこの世のものとも思えぬほど、醜い顔だったねえ。 そう云うことなら、安心して酒をちょうだいするよ。ああ、よだれがでるほど旨めえなあ。
だけど、こりゃなんだかへんな味だぜ。酒かと思ったらどろどろに腐った雨もりじゃねえか。なんだか臭せえなあ、まるで死臭がただよっているようだ。
ありゃ、ありゃ、誰もいねえと思っていたら、そこにひとり、ふたり、さんにん……。全部で七人も寝入ってらあ。
おいこら、起きなよ。大工の長吉さんだよ。おや、おまえさんの顔はまるで骸だね。そういえば、お隣さんも、お隣さんもみんな骸じゃねえか。気分よさそうな寝顔を見入ると、あっしも、ついうとうとまどろんでしまいそうだ。こっちの隅はあっしのねぐらに陣取るよ。
はて、かすかに読経の声が聞こえる。だんだん大きくなってきたよ。夕べの三味線の音色とは一味ちがって、読経は心が落ちつくねえ。旨めえ酒をたらふく飲んで、読経を聞きながら眠るなんざ、本望かもしれねえよ。骸の仲間も極楽浄土な気分で横たわっているのかもしれねえな……。

     七

極楽気分で横たわっているってのに、揺すり起こすやつがどこにある。おや、おまえさんは、あっしの娘じゃなかった、いったい何処のどなたさんだね。
「お志乃と申します」
知らねえなあ。それに、ここはどこだい。身体がきしんで起きられねえのは、てんつくてんのあの踊り疲れのせいじゃねえか。じゃが、何が何だかさっぱり覚えてねえや。
お志乃か、気のきく娘だねえ。額を冷やしてくれたあげく、ちゃんと水まで酌んでくれてさ。はやくその水を飲ませてくれねえかい。ああ、旨めえ。水がこんなに旨めえとはしらなかった。
身売りされたところを、あっしの金子に助けられた。だから、あっしは、おまえさんの命の恩人ってことかい、さっぱり思いだせねえな。
はてな、はてな、五両……。
そうだ。棟梁からいただいた金子を思い出したぞ。お志乃という娘にくれてやったが、その娘さんが国許に帰えらねで、なぜこんなところにいるんだい。
「街道の宿場で休息していると、荒れ寺のなかで男が死んでいる。黒い貧乏徳利を抱きしめて、あれは酒に溺れて死んだのじゃと、地元のお百姓さんの噂を聞いて、もしや、と思いました」
貧乏徳利と聞いて、この荒れ寺を覗いてみたってことかい。貧乏徳利なんざ、よくぞおぼえてくれたねえ。それが、あっしじゃ、さぞびっくりしたろうに。
して、女衒は金子を懐にしまいこんで、姿をくらましたというのかい。そんなことだろうよ、銭にならねえ娘なんざ、邪魔者なんだからさ。
ああ、思い出した、何もかも思い出したぞ。酔っぱらいのあっしは、駕籠に括られ、こんなに遠く運ばれて身ぐるみ剥がされちまった。世の中、油断も隙もありゃしねえんだから、まったく。
それじゃ、荒れ寺のなかで虫の息のあっしを看病して、助けてくれたのはお志乃かい。てえってことは、命を助けられたのは、あっしじゃねえか、ありがてえこった。
どれどれその徳利。おや、まだすこし残ってらあ。好きなものなら飲んでみなてことかい。ありがてえなえ、酒はね、あっしの活力なんだよ。どれどれ胡座をかいて徳利をくわえて、一杯いくぜ。
「わあ、わあ、こりゃなんだい。酒かと思ったらどろどろに腐った雨水じゃねえか」
思い出したぞ。そこらに骸が、骸が七人転がっているはずじゃが。よく探して見。いねえのかい、姿が見えないなあ。
お志乃、頬をつねってくれ。おおっ、痛てえや。てことは、あっしはまっこと娑婆に戻ったのだ。酒は命取りになるってことかい、恐ろしや、恐ろしや、こんな化け寺ははやく逃げだそう……。
お志乃は奥州岩代国、あっしは材木町甚平長屋とお別れだな。
「あら、長吉さん徳利を忘れてきちまったよ」
いいや、あれは忘れてきたんじゃねえよ。荒れ寺に捨ててきたんだから、もういらねえんだよ。どうした、嬉しそうにはしゃいでさ。
「長吉さんは、おとっつあんのような気がします」
心配するなって、お志乃のおとっつあんだって、娘の顔みりゃ、心を入れかえて真面目に働いてくれるさ。あっしも、かかあと娘を泣かせるようなことは金輪際しねえからよ。だから安心して日の暮れねえうちに、さっさと立ち去りな。あれ、まだ手をふってやがる。
おーい。達者で暮らすんだよ。身も心も軽くなったと思ったら、もう浅草の観音さまじゃねえか。ひと混みのなかで親子連れが笑ってやがる。あっしら親子にもあんな頃があった、ほんになつかしいなあ。
それじゃ、棟梁を訪ねるとすっか。いやいや、いさぎよく諦めるんだ。褌一丁でも、その気になりゃ大河普請のもっこも担げるさ。昔のような働き者の長吉にもどって、かかあと娘を迎えにゆこう。
道々、思いをめぐらすと、なんだかしらねえが、ちくしょう、涙があふれてしかたがねえわい。はっ、はっ、はっくしょん。
(酒甕と骸 了)