ふくしま民話茶屋の会「重ね石」の民話

ふくしま民話茶屋の会(会長 渡部 八重子 様・松川町)が編集・発行した「ふくしまの民話 22話」(2013年3月1日発行・タカラ印刷株式会社)にて、松川町を舞台にした「重ね石」という民話が掲載されています。

ふくしま弁を巧みに使いこなす語り部さんが、生の語りをしている様子を想像しながらご覧ください。

〇ふくしま民話茶屋の会とは:2001年に開催された「うつくしま未来博」のパビリオンの一つ、「からくり民話茶屋」に関係した福島市と伊達郡の有志で結成した会で、2002年1月に発足。ふくしま弁に誇りをもち、信達地方に生きた祖先の思いがいっぱい詰まった「民話」を語り続けています。語り部さんのふくしま弁は、生まれ、育ち、住みついた期間などで発音も言い回しも異なります。令和4年9月3日には結成20周年を記念した「ふくしま民話まつり」を福島市アクティブシニアセンター・アオウゼにて開催しました。「聞きにこらんしょ 昔話」をキャッチフレーズに、学校や学習センター、町内会に福祉施設など、民話という口承文学を広く皆様に伝えるため活動しています。

 

重ね石 (松川地区)

昔、松川の八丁目村の西の方に子だくさんの貧乏な農家があって、父ちゃんや母ちゃんは、毎日のやりくりに本当に困っていたど。
ある年のことない。その年は大変な凶作で、米がいつもの年の半分も取んにがったんだど。そんじ困っちまった親だちは、体がずなく(大きく)て丈夫な長女のおまつを北へひと山越えた平沢村(現在の平石地区)のお大尽(おだいじん:財産を多く持っている家)様のところへ奉公(よその家に雇われ、家事や家業に従事すること)に出すことにしたのない。
奉公先でおまつはとても良く働いたんだど。そんじ気立ても優しかったのない。だがらない、奉公先の主人は
「こんな娘を嫁にすれば立派な孫が生まれて、この家もますます繁栄すっぺなあー」
と思ってない、おまつを息子の嫁にしたんだど。嫁になったおまつは、とても幸せな日々を過ごしたんだど。
ところがある日のこと、おまつは高熱を出して、体じゅうに吹き出物ができてしまったんだど。とてもひどいほうそう(天然痘)にかかっちまったのない。舅(しゅうと)はすんごく困って考えたど。
「生まれてくる孫にまでこんな病気がでては困んなあ」
と思ってない、悲しみながら泣く泣く、おまつと息子を別れさせることにしたんだど。気を落したおまつは、人目を避けるように夜のうちにその家を出たんだど。
途中で一夜を明かしたげんちょ、おまつは嫁ぎ先があまりにも恋しくて、もういっぺん平沢村を見て一生の見納めにすっぺと、道端のずない石を三つも重ねてその上に登り、恋しい平沢村をよっく眺めたんだど。
そんじ、おまつは思いがたくさんあるこの地を、この先一生見ないと心に誓って、信夫隠(しのぶがくし:現在の松川町信夫隠)で一生を終えたんだと。
そのおまつが重ねたと伝えられている石が、今も残ってんのない。

(ふくしま民話茶屋の会)

こちらが実際の重ね石。場所は松川町関谷字向畑です。これを持ち上げられるのは相当の波紋使いです。リサリサ先生並み。鬼滅だと甘露寺さん並みでしょうか。
後ろから見るとかわいいあひるさんの形。物語のとおり3段重ねです。カーブミラーとの対比でもその大きさが分かります。よく載せましたねぇ・・・
ちなみにおまつさんの嫁ぎ先の福島市平石地区はへたれガンダムさんがいるところです。令和5年1月12日(木)9:15に訪れるとお正月のしめ縄飾りとともにフル装備でした。正装で新年を迎えられたようです。とても愛されていますね。

 

松川町の民話集