民話「黒沼神社の由来」

松川町浅川の 門間 クラ 様が出版された民話集「こごだ~げの話」現代につなぐみちのく民話 より、「黒沼神社の由来」をご紹介いたします。

門間 クラ 様の作品は民話の語り部調な文体で表現され、当時の人々の暮らしや心の動きを等身大に描き出します。ぜひご覧ください。

「こごだ~げの話」現代につなぐみちのく民話 著者・発行者:門間 クラ 編集協力:㈱福島民報社 印刷製本:㈱民報印刷 2010年6月30日発行

 

黒沼神社の由来

門間 クラ

昔むがしの話よ~、こご福島の信夫山さは、天皇様がいらったんだどう、なんつう話だげんちょ、そだな立派な方が居らったなんて、信じらんにぇ話だべえ。何せ、当時の信夫山っつったら、今みでえに大らがな姿でなぐ、山の天辺がちょこ~っと顔出してる程度の山だったんだすけもの、大した山ではねえがったんだべなあ。その周りはぜ~んぶ信夫湖っつう湖におおわっちぇだもんだがら、信心深げえ人達は、お山ど村を舟で行ぎ来しったんだすけぞう、なんつう話でなあ。今の信夫山を見る限り、信じらんにぇ事ば~りよなあ。ほんじゃらば、こごいら辺はなじょった村だったんだべえど思ってだどごさ、丁度浅川の黒沼神社のパンフレットを目にしたのよう。読んで見だらこだな詩が詠まってだのよう。
“悠久の時を語り継ぐ 鎮守の森へようこそ“
なんてな~。ほだなのを見だら、その昔さ行って見だぐなっぺや~。さ~、ほんじゃ一時、昔に戻ったつもりで聞いでくなんしよ。
ま~その頃は大昔の事で、二十九代目の天皇が、福島においで国を治めった頃の話だそうだげんちょ、その皇族の名は「欽明(きんめい)天皇」っつってな、大層立派なお方だったそうだわあ。したがその頃、何せま~だ世の中が落ち着がなくてなあ、東の国ではいろいろな妖怪の姿をした魔物達が、村々を襲って作物を食い荒らしたり、田畑の境もわがんね位え暴れまわっては人間達を苦しめったんだすけもの、村人達ゃあ痛みった(哀れな)もんだわなあ。そごで、欽明天皇は皇子である淳仲倉太珠敷命(ぬなかくらふとたましきのみこと)どいろいろど相談して「民、百姓達はさぞ大変な事であろう」どなって、皇子を魔物退治さ向がわせる事にしたっつうんだわあ。
その皇子はとでも勇気があって、弱い者の味方をする勇ましい皇子様だなんつう評判が立ってだもんだがら、被害に遭った村々では、悪さをする魔物が出で来っと、皇子様来てくんにぇがなあ、な~んて皆して念じでっと、必ずどごがらどもなぐさっそうど現れで、魔物を退治してくっちゃ後、被害に合った人達さ「もう大丈夫だから、元気出せよ」なんてあったげえ言葉をかげで立ぢ去って行ぐんだどう、なんつう話だもの、村の人達にしたらほんに感謝感激だわなあ。ほんじぇ、寄っとさわっと、皇子様の武勇伝の噂ば~りだったそうだわあ。
丁度ほだ時の事よ、蟹沢(かにざわ)村さ身の丈(たけ)一丈(いちじょう)もある程でげえ魔物の大蟹が現れ、田畑(でんばた)を荒らし、穀物だの野菜だのを踏みにじったり食い荒らしたりして、村人を脅したり苦しめだりしてる、まるで悪霊のような恐ろしい魔物だったそうだわあ。村人達にしたらほんに恐ろしくておっかなくて、身震いしっちまうんだどう。そしてもし現われだら逃げ惑うしかねえべ~、い~や、そだな噂聞っこえだら、何っつったって正義感の強い皇子様のごったもの、必ず助けさ来てくれっペぞう、なんて皆して話しったら、どごがらどもなぐさっそうど現れだその姿は、まぎれもなぐあの正義の見方の皇子様だったっつうもの、皆、黄色い声を張り上げで皇子様を見守り、その喜びっつったらながったそうだわあ。「やっぱり俺方(おらほ)さも来てくっちゃんだ、よがったなやあ、俺らは見捨てらっちぇいねがったんだ、ようし、こんじぇ大丈夫だそう」どって手を取り合って大喜びしたっつうのよう。
皇子様はまずその大蟹ど睨み合い、相手の弱点を探し出し、その弱点である目の周りを集中的に攻めまぐり、長い間組んずほぐれづの戦いをしったべ~、そのうぢ、さすがの大蟹も皇子様の強さにゃあかなわねどなって、見る間に勢いが弱ぐなっちまって、虫の息んなっちまったどごを、腰に差しった太刀で、蟹の心の臓めがげで、ありったげの力でトドメの一突ぎをしたどごろ、さすがの大蟹も息絶えっちまったそうだわあ。口がらはブグブグど大泡をだしてなあ。その戦いの凄まじさはほんに、口では語らんにぇ程物凄がったそうだわあ。さすがだでなあ。さ~、それがらの話だそうだげんちょ、村人は、こだ蟹沢(かにざわ)なんつう字(あざ)は縁起悪りくてやんだ、ど騒ぎ始まって、カニをカネど変えでけろど交渉した結果「金沢(かねざわ)」どなったんだどう、なんつう話だもの、大したもんだでなあ。皆なの思いがお上にも届いだっつうごったもの、今の時代よりも行動力があったんであんめが。
さ~て、そだな騒ぎも収まり、やっと明るさを取り戻したど思ったのもつかの間、今度はその近ぐさ、熊の姿をした魔物“水熊(みずぐま)”が現れ、人々を苦しめ始まったなんつう話だもの、まだ世間は騒然どして来たわなあ。何つったって今度の魔物は、穀物だの野菜ば~んじぇねえ、畑仕事をしったり山仕事さ行った人まで襲われんだどうなんつう話だもの、おっかなくてしょうがねえわなあ。さて、これまだ大ごったぞうどなって、村の長老達が集まっていろいろど話し合った結果「何でも、金沢村の大蟹も、あの皇子様がやっつげでくっちゃんだすけがら、俺方さ出だ魔物だってきっとやっつげでくれんに相違ねえべや~。ホレ、皆して念じでみねがやあ、一心に、俺達の願いが通じるように拝めば願いは届ぐがも知んにぇがんな」どなって、両手を合わせで念じでだら、ほんにどごがらどもなぐ皇子様が姿を現したっつうもの「うわ~、ホンに来てくっちゃんだ~」「やっぱり助けさ来てくっちゃんだな~、有り難でえごったなやあ」「俺達の願いが通じだんだわなあ」ど、村人は口々に嬉しさを現し大喜びだっけどう。中には、嬉しくて涙を流す人さえいだっつう話だわあ。
村人達は「どだな方法でやっつげでくれんのがなあ」ど皇子様を取り巻ぎ見守ってだそうだげんちょ、皇子様は村の人達を見渡すど「皆な、この私が来たからにはもう大丈夫だ!さあ、あぶないから下がっているように」っつうど、この水熊どはどう戦えばいいのがど、 いろいろど作戦をねってだ様子だったつうが「そうだ、信夫湖の水を抜いてしまえば、水の中が得意な水熊の動きは鈍くなるだろう」っつって、湖の堰をぶっ壊し、その水を阿武隈川さ流してやったっつう話だもの、まさが(さすが)頭がいいのよなあ。そうしたら案の定、水熊の動ぎが緩慢になってきたっつうんで、さ~、今がいい機会だ!どなって追い詰めで、長~い間組んずほぐれづの大格闘をやってだっつうが、そん時皇子様は、知恵を巡らし乍(なが)ら、ジリッジリッど水熊を追い詰めでったべえ、そして浅瀬さ追い詰めだら、いづも水ん中にいんのどは訳が違うもの、さすがの水熊も弱って来たべえ。その隙を見計がらってやっつげっぺど思ったげんちょ、何せ体は大蟹よりもでがいべし、力は大蟹の何倍もあっぺし、その上、バリバリどした強い毛皮だっつうもの、刀では刃が立だねっつうんだわあ。ほんじぇ槍(やり)を持って来て、何回も何十回も突ぎ刺したどごろ、さすがの水熊もグ~ッタリどしっちまって、とうとう息絶えっちまったそうだわあ。
い~や、それ見だ皆の喜びようっつったらながったそうだわあ。そして勇気ある皇子様に感謝したっつう話だげんちょ、その皇子様はあっちこっちさ深手を負ってで、その上体も疲れ切ってだ様子だったっつが、村の人達ゃあほだ事さは何も気付がず、こんじぇやっと村さ平和が戻って来たなどなったら嬉しくてよう~、誰一人どして皇子様を気遣う人なんといねがったそうだわあ。そうして大喜びしてるうぢ、皇子様はいづ~の間にがどごさどもなぐ姿を消しっちまったっつう話よう。そのうぢホレ、水熊のずんねえ足跡が深ぐついだどごさは、た~っぷりど水がたまり、そごがらあふれ出した水がだんだんど堀を作って、新しい流れに勢いがつぎ、東の方さ流っちぇって川を作り始まったのを見で「これは浅い流れだがら浅川っつう名にすっペぞう」どなってついだ地名だそうだわあ。そして今もこの川は、皆が住んでるこの村さ流っちぇ来た訳だべ~、そういう事がら、こごは浅川村ど名付げらっちゃそうだわあ。そして今現在もそのまんま“浅川”っつう字名どして残ってるっつう訳よう。
さ~て、それがらしばらぐしてこだな噂が流っちゃんだどう。「数々の魔物退治をされだ皇子様が亡ぐなったそうだ」なんつう噂がな~。い~やその噂を聞いだ金沢村ど浅川村の人達の驚ぎっつったら、何程のもんだったがよなあ~、皇子様は我々の為に命を落どされだんだ、どなって心を痛めったっつうのよう。そして、その噂は都にいる母君の耳さも入ったっつうんだわあ。母君は居でも立ってもいらんにぇわなあ、心配で心配で。ほんじぇ皇子の安否を気遣ってわざわざ都がら陸奥(みちのく)まで噂を頼りに来て見だげんちょ、女一人の長旅だもの、何程つらがったがよなあ。そうして皇子を気遣っていろいろど聞ぎ当っては見だものの、詳しい手ががりは何も掴めず、月日ば~り経ってったっつうもの、何程の心痛だったがよなあ。
「皇子はどんなに苦しんで死んでいったのだろう。わたしが側に居れば、抱きしめてやる事も、優しい言葉をかけてやることも出来たろうに、あ~、いたわしや」ど泣ぎ崩れ「私は皇子が幼少の頃から、強く育て、民百姓の為に働けとばかり教え、優しい言葉どころかヒザの上にあげることもしない厳しい母親だった。あ~、何と悔やまれる事、もう取り返す事の出来ない日々、この母を許しておくれ」ど、我が身を攻め続げ、何と、そのまんま黒沼っつうで~っけえ沼さ身を投じ、お亡ぐなりになっちまったっつう話だもの、痛みったもんだわなあ。
その事があってがら金沢ど浅川の村々では、我々の為に犠牲になられだ皇子様ど石姫様の礼をつぐす為、お社(やしろ)を建立し、両方の地に御縁のある黒沼の名を取って「黒沼大明神」ど命名する事にしっペぞう、 どなったそうだわあ。そうして両方の村人達は、どうぞ安らかにど酒や魚を捧げでその魂を祀ったそうだわあ。
と~ごろが皇子様の話はあぐまでも噂であって、その後皇子様は、ひっそりど山奥で傷を癒してらったそうだわあ。丁度その頃、お上がらこれまでの数々の功績が認めらっちえ、三十代目の皇族“敏達(びんたつ)天皇”っつう地位を任命されだ皇子様は、魂をこの地さ残されだまま、都さ移られだんだどう、なんつう話だもの、村の人達も、なんぼがホッとしたべよう。さて、それがらっつうもの、こごいらの村々さは何の災いも起ごんなぐなったっつう話よなあ。
さて、それがらは、この村々を助けでくっちゃ皇子様ど石姫様の事は生涯忘っちぇはなんねぞうどなって、毎年春んなっと金沢ど浅川では盛大に春祭りをやるようになったんだどう。そして、威勢の良い若衆だの子供達の掛げ声に担がっちゃ神輿が村の辻つじさ止まっと、村の女ご人達はご馳走を持ぢ寄り、お神輿をかづいでる若げえ衆だの子供達さ、ねぎらいの言葉をかげ、酒だの肴をすすめで祭りをもりあげんだどう、なんつう話よう。皆もお祭りさ行ってお神輿を担いだり、つなをひっぱったりした事があっぺえ。そして、賑やがな楽しがった春祭りが過ぎっと「さ~、今度は百姓仕事がいそがしぐなっつおう」なんつって、種もみを蒔いだり畑をうなったり(たがやす)ど、この祭りを境に、又忙しい日々がくんのよう。
はい、こんじぇ 黒沼神社の由来 はおしまいです。


解説 黒沼神社の由来
“悠久の時を語り継ぐ 鎮守の森へようこそ“というパンフレットを頂き、私の好奇心が目覚め、この話をまとめようと思ったのは、去年のことでした。昔、信夫山というのは福島市の中心部にあり、山の天辺だけをのぞかせて、周りは信夫湖という湖に囲まれていたそうです。その湖の水はよどんで青みがかっていて、おどろおどろとしていたのではないかと想像してしまいます。
そして、あちこちの苔の間に巨木が生い茂り、とても不気味な光景だったのではないでしょうか。そんな光景があちこちで見られ、阿武隈川に面した湿地帯の蟹沢村に妖怪めいた魔物の大蟹が現れたり、蟹沢の北の方には水熊という妖怪が現われたりして、田畑の作物を食い荒らしたり、村人を襲ったりして苦しめていたといいます。
当時皇族として国を収めていた欽明天皇は、大そう心を痛め、皇子の淳仲倉太珠敷命(ぬなかくらふとたましきのみこと)を魔物退治に向かわせたといいます。皇子様は全力で大蟹と戦い、大格闘の末大蟹を退治し、そして北の方に出た水熊という恐ろしい魔物と命がけで戦いました。村人達を必死に守る皇子様に、村人達は心より感謝し、ホッと一安心した頃には、もう別の村へ魔物退治に向かわれるというような日々だったとか。そうして助けられた村人は、縁起の悪い蟹沢でなく、縁起の良い金沢村に変えてくれるよう陳情したところ、その途方もない願いが叶えられたとあって、村では大喜びです。
一方の、水熊の出没に困っていた隣村では、皇子様が、水熊と戦う中、水から出ると急に動きが緩慢になる水熊の特長に気付き、信夫湖の堰を壊して水を阿武隈川に流し、浅瀬へ追い込んで命がけで水熊を仕留めたそうです。その時、川の淵についた水熊の足跡へ水がたまり、そこから小さな流れが出来、それが浅い川になり、浅川村という村名になったとのことです。
さてその後、皇子様は水熊に深手を負わされ死亡したという噂がまことしやかに伝わり、その噂は都まで流れて母君の元へ。母君は皇子様の安否を気遣い、はるばる陸奥へと来ました。しかし、本当の消息もつかめぬまま、落胆された母君は帰る道々、黒沼という大きい沼に身を投じ、お亡くなりになったといいます。金沢と浅川の村人達は、それぞれの村に“黒沼神社大明神”という神社に魂を入れ建立したという話を、浅川の黒沼神社の現宮司の明石武重さんからご指導いただきました。
この話で、村の起こりが簡単に判り、あれから何百年か経った今でも、金沢と浅川の二つの神社では、神輿を担いだ若者や、子供神輿の威勢のいい掛け声が村々を包みます。辻つじには酒と肴を用意した主婦達が集まり、その労をねぎらい、そこへ颯爽と馬に乗った宮司様が、その年の五穀豊穣と家内安全を神に祈ると、その年の農作業に活気が出たそうです。
振り返れば私の若いころ、実家の馬好きな父が、毎年祭りの時には必ず先代の凛々しい宮司様を乗せて村中を歩きました。それが自分の父親ですから、うれしいような恥ずかしいような、でもそれが自慢でという、とても複雑な思いで当時を振り返り、偲んでいる今日このごろです。

(黒沼神社の由来 おわり)

1丈(約3m)の大蟹もあわわ、ですが、さらに大きいという水熊もかなり恐怖です。調べると熊に雰囲気が似ているだけの全く別の妖怪だとか。顔が無く手足もあるのかないのか・・・ただ黒い毛皮の塊で逆鱗に触れると大洪水を起こすというカオスっぷり。モンスターボールでゲットする気になりません。妖怪だから友達になってメダルで召喚?

 

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