短編時代小説「紅い月」

松川町水原の小説家 丹野 彬(たんの あきら)様の作品「紅い月」をご紹介いたします。

丹野 彬 様の作品は、膨大な資料に基づいた時代考証と登場人物の巧みな心理描写をもとに壮大な世界観を紡ぎだします。ぜひご覧ください。

 小説家 丹野 彬 作品集

以下横書きで全文掲載しておりますが、縦書きの方が読みやすい方はこちらをご覧ください。→ 「紅い月」縦書き版(PDF190KB)

 

短編時代小説
紅い月
丹野 彬

     一

蛭田屋敷の内庭に、百姓茂助が膝をついてかしこまっている。
縁側から津田藩百五十石郡奉行蛭田孫衛門が、細い浴衣に兵児帯を三重にも巻いて突っ立ち、農耕で鍛え上げた茂助の堂々たる姿を値踏みする。やがて初老をむかえる孫衛門には、ちと眩しすぎるようだ。
「へっ、茂助といいやす。十九になりやした」
「下僕は庭番も兼ねるのだから、気配りのきく年足るのを望んだのに、まだ青二才のこんな若僧を遣わして、杉山村の名主の仕業にはあきれるわい」
孫衛門は足元に正座する妻女お浪の顔色を見た。お浪はまんざらでもなさそうなようすである。
孫衛門には、それもまた癪に障るらしい、薄い眉根をよせて苦虫を噛みつぶしたような顔付きをした。
「よろしいじゃございませんか。若者は老いた身を若返らせてくれると申しますもの」
お浪が艶のある声で言った。
孫衛門は衰えはじめた我身に、納得するところがあるのであろう、窪んだ眼高に笑みを取り戻して、
「茂助、武家方に奉公するのだから、折をみて学問も剣術もしっかり身につけるがよい」
こんな世辞をつけくわえた。
はて、苦虫孫衛門は異なことをいう。ただ土地を耕すだけの百姓に剣術や学問が必要なのであろうか。
「旦那さま、おいらにそれだけの力量がありますかの」
茂助が怪訝な面持ちで訊ねると、
「うん、それは、おまえの心がけしだいじゃ、心して働きなされ」
孫衛門は胸をそらして威厳を示した。
村巷で、剣術や学問の習いなどは名主の子息ぐらいで、水呑み百姓の茂吉には夢のまた夢である。もしや真面目に努めれば、旦那さまは御奉行さまなのだから、足軽ぐらいには取り立ててくれるかもしれない。
茂助は、遠いところに思いを馳せて、利発な眼を輝かせた。
「へっ、おらの命は、蛭田家に捧げるつもりでまいりやした」
我ながらうまい口実を作ったと、茂助は思った。
「さようか、それは頼もしい。今後のことは、お浪の采配に任せたぞ」
と、孫衛門はお浪に目配せをした。
孫衛門が奥に引くと、お浪は、あだっぽい横眼を茂助になげた。整った面立ちに大柄ですらりとした肢体。立ち居振舞いも村巷の百姓女には見られない色香がただよい、苦虫にはとても似つかぬ妻女である。
「これ、おとらや」
お浪が通い賄いの下女を呼んだ。
流しで立ち働いていたおとらが、襷掛けの姿でそそくさと出てきた。茂助に向かい、ペこんと頭を下げた。面長な顔立ちに薄い唇をつきだし、まるで狐似で味噌臭い下女であった。
茂助をちろりと見て、
「まあ、男振りだねえ」
上目勝ちにお浪を見る。何かを含んだ言いようだった。
「これ、おとら、軽口をたたくでないよ」
お浪は一重の勝ち気な目で、おとらをたしなめる。
茂助の居場所は蛭田屋敷門の内側に設えた六畳一間、かつての門衛部屋である。奥には押入れもあり、南側には来客を確認するのであろう、無双窓になっている。
「突っ立ってないでお入りよ」
「へっ」
茂助が板の間に遠慮がちに正座すると、おとらは袖の中に忍ばせてきた饅頭をつまみだして、
「お食べよ」
と、言った。
心根はいい下女なのであろう。
昼飯抜きに歩きつづけて、すでに空きっ腹であった。無造作に受け取って、饅頭を貪り食うあどけない顔つきに、おとらはすっかり心を許して、
「蛭田家では、先さまを亡くされて、後家のお浪さまが後添いに入ると、あの器量だもの、なにやかやとくだらない用事をさげて、覗きにくる色狂いがおるんだよ。男って奴はしかたがないね。それからね、あたしゃね、お浪さまよりも長くこの屋敷で働いているんだからね」
気ぜわしく空威張りをするのは、蛭田家では自分が古株とでも言いたいのだろう。
無双窓を引くと、すでに通りは暮れ泥んでいた。

蛭田屋敷で下僕をもとめていると、杉山村の名主が茂助を訊ねてきたのは昨日である。
「気の利いた年寄りを頼まれたが、百姓の年寄りなんぞは、意地張って、愚痴を吐かれたひにゃあ、蛭田さまに申し訳がたたねえからな。ところでこちらの次男坊は、ずう
てえ(図体)もあるし、呑気そうでお人好しときている。はいはいと、腰を低くしてまめに働きゃ、蛭田さまも悪いようにはすめえから、杉山村の名主としては鼻が高いことだぞ」
武家奉公と聞いて即座に喜んだのが茂助の親父である。
「十九にもなって縁談ひとつも無く、行く末を案ずると、不憫でしかたがねえ」
と、名主に幾度も礼を述べた。
どうせ、余され家なし食い潰しだもの、誰に未練なんかあるもんかと、茂助は捻くれてみるが、さすがにおっかあはありがてえ。家を出るときに上物を着せてくれたぜ。生家の雑魚寝にくらべりゃ、布団もまるで雲泥の差だが、遠くの亥の刻(午後十時頃)の鐘の音を、ちと寂しい気持ちで聞いた。

     二

孫衛門はたまの明け番に、今どき流行りの釣りに出かけるでもなく、盆栽の芽摘みに根を詰めたり、さもなければ書物に耽けった。近ごろは、もっぱらお浪を相手に囲碁を打ち、衣装をねだられたりしている。
ある日、孫衛門が下城するやいなや、お浪と部屋にこもった。
一刻して、孫衛門と茂助は、お浪に見送られて屋敷をでた。
茂助は鹿革袋の太刀を大風呂敷に巻き込んで背に括り付け、さらに手応えのある折箱をもち、なおかつ孫衛門の歩む先々に提灯を灯した。
背の刀の値打ちも折箱の重さも気にならないが、行く先を知らされないのが、茂助は気にかかった。
城下の米問屋、呉服問屋も店仕舞いをして灯りが消えはじめると、孫衛門の歩度が速くなった。武家屋敷の角を二棟、三棟と曲がり、ひときわ威厳のある門構えのお屋敷に立った。
はて、このお屋敷は……、
屋敷の下女に案内されて、孫衛門は奥に招かれた。
茂助は台所の上がり框で、人慣れした下女の進めるまま茶をいただいた。下女の言うのには、津田藩三百石家老蒲倉典膳の屋敷らしい。

     三

お浪の実家の亡父の法事に従えての帰り道。尾上峠に差しかかる頃、黒い雷雲が重なり合って頭上を被った。湿った風が笹薮をさらさら鳴らして、汗ばむうなじをかすめる。背中に悪寒が走った。雑木林が薄暗く霞んで、まもなく来るなと、茂助は夕立を警戒した。
「ひと雨きそうだねえ、茂助」
お浪は帯間に挟んだ絹物をさらりと被るが、日除けならともかくも雨には役立つものか。足もすこし速まったようだが、雨脚にはかなわんぞ。茂助はお浪の三歩うしろで気をもんだ。
おらは裸になればよいことだが、奥さまはそうはいかん。道先に人の姿が見あたらねえのは、気を利かせて民家の軒先にでも逃げ込んだに違いねえ。こんな林のなかで気付いても、ちくしょう後の祭りだ。見上げるとぽつりと、雨が頬におちてくる。
「奥さま、これを被ってくだせえ」
蓑のかわりにゃなるめえが、いくらかは役に立つ。茂助は上半身を露にして上着をさしだした。
「まあ、茂助は気持ちがやさしいねえ」
茂助の逞しさに、お浪は瞬きをしたが、見ぬふりをして茂助の上着を被った。
雨粒は木々を叩いて道に跳ねあがり、やがて本降りになった。
二人はしばらく濡れて歩いたが、庚申塚の前で立ちどまった。細い脇道の奥にお堂が見える。
「場所をお借りしましょうね、茂助」
お浪は細い道を迷わずすすんだ。
お堂の観音扉を開けると、内の板壁は朽ちているが、二畳ほどの床はしっかりとし、色褪せた破れお札が隙間風に吹かれて隅に溜まっていた。
雨は降り狂うが一刻の辛抱だ。お堂の内に正座するお浪をみとどけて観音扉を閉め、茂助は上着をはおって軒先に立ちすくんだ。
ほっとするまもなく、地を裂くような雷鳴が轟き、お浪の怯えた声がする。
「茂助、そこは雨が吹き込んで辛いであろう。なかにおはいりよ」
「ここで、いいです」
境内は濁った雨水が一面に流れ出し、天を仰ぐと、また雷鳴がお堂を揺るがした。
「茂助、雷に打たれることもありますよ。なかにおはいり」
こうなんども誘うのは、奥さまは雷に怯えているのではあるまいか。
茂助は、しぶしぶお堂の内に入りかしこまった。ふたりだけのお堂の内。お浪は膝をくずして、湯上りのように後れ毛をほころばせて、なんとも息苦しい。
鳴り止まぬ雷鳴に眼を奪われていると、茂助の手をお浪の柔らかい手が包み込む。はっと引く手を、お浪がひきよせて胸元に……。芳しい花の香り、茂助は羞恥の念にかられたまま身体を固くすると、お浪は、耳元に口をよせて。
「茂助や、わたしに恥をかかせないでおくれ」
茂助の上着をはだけて、厚い胸板に熱い唇を這わせる。
雨は激しく草むらを叩き、水は乱れて地を這い、熱く切ない一刻が過ぎて行く。
 茂助は庭を清めながらも、使いの途中でも、そして夜毎に、お浪の柔肌をおもいだして心が掻き乱れた。それなのに、女というものは底が知れない。あのときは、あんなにも激しい痴態に興じたのに、屋敷に戻るといつもの奥さまである。孫衛門に始終まつわりついて、爪を切り、着替えを手伝い、お城勤めにおくりだす。茂助には眼もくれず素知らぬ振りをきめこんでいる。
そんなある日、
「茂助や」
あのときの猫撫で声で、お浪の臥所に誘われた。
おとらは出払い、孫衛門は城勤め、蒸し暑い昼下がりであった。
誰に遠慮がいるもんか。お浪のはだけた胸元がせつなく波打つ。茂助は血潮がどくどく流れて欲情が湧きあがる。一時も忘れられない柔肌にむしゃぶりつくと、背中に食い込むお浪の爪の痛さにますます昂ぶった。
お浪こそ、
「助は愛いやつじゃ」
と、よがりみだれる。
あふれる花弁の蜜を吸い狂う昆虫が、やがて精根つきてころりと乾ききった地に転がる。

「これ、お浪、お浪はおらぬか」
玄関先に孫衛門の声がする。
お浪は慌てて敷物に正座し、乱れた浴衣をあわせたがままならぬ。臥所の襖があき、孫衛門がお浪の乱れ姿に呆然とたちすくむ。
「ちょっと、身体の具合がすぐれません。臥せておりましたの」
「さようか」
しかし、孫衛門にはそれどころでない朗報があった。
「お浪、喜べ。只今、家老昇進の拝命を受けたぞ」
「あなたさまが、ご家老さまになられますのか。ああ、まことうれしや。これでわたしは里に気兼ねしなくてもすみますわ」
先刻の余韻もすっかり失せたお浪に、あらたな悦びが湧きあがり、孫衛門に擦り寄る。「この体臭は……」
厳しい顔を示した孫衛門。お浪には気づきもしなかった。

     五

お浪は、孫衛門の着替えを手伝いながら、
「あなた、このごろの茂助にはこまります、お暇をとらせましょうね」
何気ない素振りで謎をかける。
お浪が実家から調達した大枚の折箱に興奮している孫衛門は上の空で聞き流した。
そして、一刻後、茂助は不意に連れ出されて、先日より重たい折箱をもたされて、孫衛門の三歩後を従った。
お浪と秘め事を交わしてから、寝ても覚めてもそのことばかり、孫衛門をまともに見ることができなかった。天にぼっかり浮かんだ十五日の紅い月が、しっとりと濡れたお浪の肌をおもいださせ、この苦虫があの柔肌を弄んでいるとおもうと、むらむらと欲情と嫉妬の血潮がかけめぐる。しかし、すべてはかない下僕の夢。武士になる夢を見て、密かに入手した包丁をさらしに巻いて、懐深く忍ばせている。秘め事が知れたときはお浪さまのために、即に腹を切る覚悟だった。
茂助は、蒲倉典膳屋敷の流しの板場に座らされて、饅頭をつまみ、茶をすすり、孫衛門の帰りを、今か、今かと待つのみである。奥には膳も運ばれたようで、なにやら今宵は遅くなりそうだ。

     六

「蒲倉さまのお口添えで、ようやく家老職を拝命つかまつりました。今後また……。まずは、心ばかりの品でござります」
孫衛門は、感謝の言葉をのべて、絹織りの風呂敷包みをさしだした。
「まあ、よろしいのでこざいますのよ」
そう言いながらも、待ち望んでいたかのように、典膳の妻女は慣れた手つきで折箱を引き寄せる。
「お浪さまは、太夫も敵わぬご器量とか、評判ですわ」
太夫とは吉原の遊女のことで、江戸詰めを終えた典膳の吹聴であろう。肥え過ぎて足腰をもてあましているような典膳の妻女にくらべれば、確かにそのとおりで、お浪のほうが容姿はすぐれている。
妻女は折箱を胸に抱えて、
「あなた、深酒はお慎みくださいよ」
さらに、孫衛門に愛好をくずして部屋をひくと、代わりに酒肴の膳が据えられた。
孫衛門はひときわ陽気に振舞いながら、しきりに典膳の盃に酒器をかたむける。孫衛門の接待の心得だ。それが功を奏して得た家老職。
典膳が酒癖のある噂は聞いていたが、こんなにはやく酔い痴れるとは思いもよらなかった。いつしか典膳の眼が据えきっている。
「孫どのは、知恵者よのう」
絡んでくる。ここが引き時。小用にと立ち上がると、典膳が袖を握って離さない。さらに膝をつきよせて噛み付いてくる。
「あの刀剣はみごとなものじゃ、どこで手に入れた」
先日、茂助に背負わせた刀のことを言っている。孫衛門は少々のけぞった。
「あれは、お浪の輿入れの持参品で、向こうさまの家宝でござりました」
「お浪どのもなかなかの曲者よのう、それで禄を上げたか」
「ご家老さま、ご粋狂にも程が……」
「のう、孫どの。あの刀剣には邪が棲みついて、血の匂いを欲しておる。どうじゃ、これが、最後の付き合いとせぬか」
まるで狂人だ。しかし、藩中では強か者と恐れられている蒲倉典膳。ここで機嫌を損ねたらどうなる、孫衛門の酔いが醒めていた。
家老職は夫婦で得たもの、お浪の持参金だってもう底を突いている。出掛けにお浪がこんなことを言ったのを思いだした。あなた、茂助が……。まさか、あの芋虫がお浪を蝕んでいるのではあるまいか。名案が閃いた。
「典膳さま。とっておき、うつけの芋虫がござります」
「なに、芋虫じゃと」
「盛りのついた芋虫でござります。如何いたしますか」
孫衛門がにたりと笑う。
「その暁には、二百石まで増禄を」
ひそひそ語らい、微笑んだ。

     七

「この満月じゃ、このまま戻るにゃ勿体ない。酔い醒ましに、ちっと遠まわりせぬか、茂助。これからは雇い人も増やさねばならんだろうし、そうなれば、茂助は使用人の頭じゃぞ、ゆとりができたら、剣術も、学問にも励んでよいのだ」
「へっ」
昇進したらこの物言い、愚かなもんだ。しかし、主人の出世は従者の出世。うれしさのあまり、茂助は孫衛門と肩をならべた。
無礼者、この臭さ野郎。
やがて人気のない地蔵原にくると、孫衛門の姿がふうと消えた。小用に違いねえ、茂助は立ちどまって見回すと、目の前に宗十郎頭巾が幻のように立ちはだかった。じっと茂助に眼をこらしている。
「なんだい、かっぱぎか。おいら、蛭田孫衛門さまの下僕だぞ。あとで後悔してもしらねえぞ」
さっき、頭になれといわれて、茂助はすこし虚勢を張る。依然、孫衛門の姿は消えたままだ。
孫衛門の下僕と知ると、宗十郎頭巾は刀を抜き、近づいて上段に構える。鈍い光がきらりと放たれる。これは辻斬りだな。後戻りすると孫衛門が現れて立ち塞がった。
茂助は、はっとした。
孫衛門の顔に憎悪がみなぎるのは、お浪との秘め事を気付いているからに違いねえ。孫衛門の袖を擦り抜けようとすると、孫衛門に突き放された。
孫衛門、おいらを殺すつもりで誘ったな。すでに宗十郎頭巾が忍び寄り、試しに空を切る太刀風を受けた。とっさに立ち並ぶ石地蔵の後ろに逃げ込むと、両端から挟まれて動きがとれない。
茂助は包丁をとりだした。
しかし、旦那さまに傷を負わせるわけにはいかん、狙いは宗十郎頭巾。
これは辻斬りの思う壺だ。宗十郎頭巾の目が獣のように輝き、再度、襲いかかる構えだ。
どうせ死ぬ覚悟をした茂助である。包丁を握り渾身の力で突っ込めば、たとえ斬られようと、宗十郎頭巾に一矢を報いることができるはずだ。
両手で包丁を確っかり握りしめた。包丁の鋭い先端が紅い月の光をうけて閃光を放った。
「やめろ」
孫衛門の声に、茂助は振り向いて、孫衛門を睨みかえす。もう下僕じゃねえんだ。
「蒲倉さまに向ってなんの真似だ。やめてくれ、茂助」
孫衛門の声に押されて、茂助は猪のごとく宗十郎頭巾めがけて突進した。
あまりの勢いに、典膳に迷いが生じ、振り下ろした刃先が茂助の袖を切った。
典膳の懐に飛び込んだ茂助は、包丁が典膳のわき腹を抉る確かな手応えを感じた。と、同時に孫衛門の刀が茂助の背を襲った。
痛手を背負った茂助は、無我夢中でその場を逃げ切った。

高台から見下ろす杉山村。十五の月に霞んで眠っている。切り株に横たわると、背の傷口が疼きだした。無性に我が家の井戸水が飲みたくなった。
「もう、村巷に戻ることは許されねえ」
どうせおいらは、大飯食いの次男坊。このまま奥州街道を上って江戸にでよう。我が家の方向に両手を合わせ、棒切れを頼りに細い道をたどった。
茂助は目頭を拭いた。
悔しくも、悲しいこともあるもんか。おいらはお月さんと二人連れ、雲間でお月さんが笑っている。

(紅い月 了)