八丁目城跡のお散歩コースのご紹介

八丁目城跡のお散歩コースの風景をお伝えします。冬は草も枯れ虫もいないので快適です。

八丁目城跡周辺整備協議会の歴史講演会が終わった後、せっかくなので冬の八丁目城跡を散策してみます。旧まつかわ西幼稚園からスタート。
まずは本丸跡方面へ。イノシシ注意の看板が立てられています。写真だと分かりづらいのですがイノシシに地面が掘り返されてもこもこです。ミミズや虫を食べているのだとか。このあたりの里山ではよく見る風景です。
イノシシ用の箱罠もありました。餌は米ぬか。おいしいのでしょうか。警戒心の低いうり坊(いのししの子ども)がよく捕獲されるようです。猿の捕獲にはかぼちゃがてきめんだとか。
どんどん進むと愛宕神社と本丸跡に向かう階段に到着。途中、帯郭(おびぐるわ・帯曲輪とも)といわれる戦国時代の城の地形が見られます。一段高い場所にある本丸を囲うように作られた平らな場所で通路や防衛線として役に立ったのだとか。今回は写真の右方向に行ってみます。
しばらく進むと常光院の裏手に出ました。周辺で道が分岐しますがどれも行き止まりです。
ふと周囲を見渡すとこちらでも平場(ひらば)という城の地形が見受けられます(写真中央の平らな部分)。人力で山を平らにするのも大変ですが、ここで戦(天文の乱)をするのも大変です。
愛宕神社に戻ってきました。写真中央の石碑を近くでよく見ると・・・
菩薩?さまがいました。なんとも穏やかな表情です。世の中の煩悩を卒業して(卒煩?)こういう御心になりたいものです。お金が欲しかったり婚活に苦戦したりと、出口が見えない迷える人はこちらにお参りした後、学習センターの図書室で嫌われる勇気を読みましょう。ブックオフで買うのも良し。
さらに進んで本丸跡。伊達稙宗(伊達政宗の曾祖父)も約3年ここに居城したのだとか。
本丸跡から見える松川町。今日の講演会によると、宿地千軒と言われた第一次八丁目宿から第二次八丁目宿に町を移動させたのは伊達稙宗ではないか、とのこと。地理的に安定した第一次八丁目宿(水原川沿いにあったが洪水の被害を受けるとは考えにくい)を移動させるには、時の一大権力者の伊達稙宗の意向が絶対条件。八丁目城の築城に合わせて城下町として再整備(町ごとまるっと移動)できる位すごい人だったんですねぇ。
せっかくなので八幡舘跡にも行ってみます。杉林ですが花粉感はまだゼロ。
途中、千と千尋の祠風な祠(祠の皆さまに失礼?)を過ぎ・・・
江戸ヒガン桜の巨木さんを越え・・・
八幡舘跡の鳥居に到着。
鳥居をくぐって忠魂碑へ。前半で体力を使いすぎてこちらのルートはリポートが薄いのです。残念。今日の講演会によると昔の米沢街道は現在の県道土湯温泉線よりももっと山寄り(雇用促進住宅の東側・この写真の左下)で本丸からの逃走経路も兼ねていたのではないか、とのこと。歴史を研究している方はすごいのです。